1920年から、日本映画史を飾る傑作、ヒット作の製作、配給、興行を続けてきた松竹映画は昨年2020年に100周年を迎えました。そんな松竹映画100周年を記念した作品となる『キネマの神様』が8月6日より公開中です。
日本映画界を代表する山田洋次監督のもと豪華キャストが集結。撮影の中断など幾多の困難を乗り越えた奇跡の作品として完成した本作。若き日の<テラシン>を演じ、菅田将暉さんと共に主題歌も担当している野田洋次郎さんにお話を伺いました。
――本作大変楽しく拝見させていただきました。野田さん演じるテラシンのシーンも本当に素敵だったのですが、今回出演を決めたのは山田洋次監督という存在が大きかったですか?
ものすごく大きいです。当初は撮影がドームツアーと被っていました。僕らにとっても初めてのドームツアーで、2ヶ月くらいリハーサルをしてきていて。スタッフには「間違いなく無理だと思いますよ。スケジュール的にも」って言われていて。でも、山田洋次監督の作品に誘っていただいて、出ないわけにいかない、というか(笑)どうしても出たいというか。
なので、「休日はツアーをやって平日は撮影」というプランで行こうっていうような流れで組んでいました。結局、期せずしてツアーは延期になってしまい。断っていたら更に後悔していただろうなと思います。テラシンを生きつつ、もう一歩引いて、山田洋次の映画に出てる自分を存分に楽しんでいる、っていう自分もいた貴重な体験でした。
――現場で山田監督の作り方を見ていて、音楽の作り手として刺激された部分はありましたか?
山田監督は、計画や下調べとかプロセスを緻密に積み上げる方なので、撮影までに物凄い工程を踏むんですよ。撮影当日の何ヶ月も前から準備を重ねているんですけど、かと言って「全てそれ通りにやらないといけない」って思っているかというとそうではなくて。その場での思いつきや即興性、そこでのアイデア出し、変化を全く恐れないんです。なので、ロジカル的な思考と発想の柔らかさを凄いバランスで持たれているなと。
――野田さんが劇中でギターを弾くシーンも3日前に言われたとか?
そうですね。曲が決まったのも3日前とかで(笑)。頭が一瞬、真っ白になりましたけど…。それでも、やってみたいと思ったし、ひとつ即興的なノリでああいうシーンができたことは、ミュージシャンの僕が呼ばれた意味があったなという気もしました。監督に喜んでいただけたので良かったです。
――すごく素敵なシーンでした。役作りにおいてどんな工夫をされましたか?
監督の口から出てくる言葉、全てを受け止めようと思いました。監督は本読みの段階から、僕に色んなヒントを伝えてくれるんですよね。「人間の本質というのは、どういう時に、どういうことで瞬きが多くなって」っていうちょっとしたこともそうですし。「テラシンっていう人間はきっとこうじゃないかな」、「淑子ちゃんの目なんか見れなくて、きっとここらへんをみて喋るんじゃないかな」とか。
「テラシンっていう人は、テラシンっていう人は、テラシンっていう人は」って撮影中、何十回と僕にアイデアをくださったので、それを全て受け取って挑みました。そうしたら、「こうしよう」というわけじゃなくて、自分の中に蓄えられて本当にそうなっていくような気持ちというか。言葉によって自分が形づくられていくっていう体験だった気がしますね。
――すごいですね。山田監督の人間の観察力みたいな。
面白かったですし、必死でした。違う時はとにかく「全然、違う」ってなりますし。「そんなんじゃないんだよ!」「もっとこうだろう?」って本当に熱くなるし。「わかりました、もう一回やります」って言う時も何度もありましたし。途中から監督自身も、その場での思いが育って演出も変わってきますし。本当に一緒に作り上げさせていただいたキャラクターだと思います。
――テラシンは映写技師という役柄ですが、この職業について監督から演技指導はありましたか?
あの時代の撮影所をリアルに経験して、それがありありと記憶の中にある方なので、僕の役柄である映写技師についてたくさん教えてもらいました。「映写技師には、こんな風なオタクが多くてね」とか「誰よりも映画を見ていてね、その撮影だと、いちばん映画を知っているんだよ」とか、そういう話もたくさんされましたし。美術品のディテールのクオリティもすごいですし。で、当時、映写技師だった方が僕についてくださって。もう御年80歳くらいなのかな。3週間毎日撮影後に練習をして。
「ここで焼けちゃうと、全てぱあになっちゃうので。とにかくフィルムには細心の注意を払いながら、だけど手際よく、こうやってリールをまくんだよ」って、映写するまでの動作をいかに滑らかに美しくできるか、みたいなことに(山田監督は)すごくこだわられていました。
――テラシンのセリフで「カットとカットの間に神が宿る」という言葉がありましたが、音楽作りに通じる部分もあるのでしょうか。
「神は細部に宿る」という言葉を僕は信じていて。とにかく諦めないというか、聴こえるか聴こえないか分からないかもしれないけど、そこに絶対存在しないといけない音みたいなのが。そこ、別にいらないんじゃないの?なんで何時間もこだわるの?って思われるようなところに、その曲の雰囲気や気配を決定づける何かが存在すると僕は信じて作るんです。
山田監督もきっとそういう人なんじゃないかな、と。シーンのいちばん端っこの色なのか灯なのか美術品なのかわからないですけど、多分そこに手を抜いた瞬間に、そのシーン全てが何か一つ嘘になってしまう思いがあると思うんです。だから全てのカットに意味があって、全てのカットでその映画を作っているという意識があるんだと思います。
――ものを作る人として、共通点がありましたか?
ものすごく影響を受けましたね。今のご年齢になっても初めて監督した作品から全く変わらない情熱を持っている方だと思います。むしろ、加速していっているような気もしますし。撮影の合間の休憩や移動中は周りの方に身体を支えてもらったりしているんですけど、セットに入った瞬間からは誰よりも大きな声で、誰よりも集中して生きていて。それは(現場にいた)全ての人が感じていると思いますし、もうすごかったです。
――テラシンとゴウの関係って、戦友というか、熱い映画の世界だからこそ成り立つものと思いました。野田洋次郎さんにとって、ゴウのような存在っていらっしゃいますか?
親友というか、唯一無二の存在っていうことですよね。僕が、テラシンとゴウを見た時に思ったのは、いわゆる、すごい才能を持っていて世の中のためになるものを作る人って間違いなくいると思っていて。だけど、それと同じくらい、そういう才能や力に気づいてあげる人間が大事だと思うんですね。
作り出す人が自分の才能に気づけないことは、往往にしてある気がしていて。だから、それに気づいて、「お前、すごいんだよ」って言ってあげる人がいるっていうのは、同じくらい価値があって、同じくらい世の中に必要だなと思っています。
やっぱりテラシンとゴウはそういう関係だったなと思っていて。そういう意味では、僕が「RADWIMPS」をやっているのはギターの桑原彰が「お前の曲、すごいよ」って言ってくれたことなんです。僕は大学へ行って普通に就職をするつもりの人生で生きていましたけど。そいつは、「お前、すごいから。お前の曲で俺は食っていく」って言って高校を辞めたんですよ。
――ええ〜!
そう。まあ、やっぱり本当に考えられないバカで(笑)。だけど、それは僕にとってものすごい経験というか。だから、こいつに恨まれでもしたら嫌だなって思いましたし。だから大学に入った後も、そいつとバンドを続けようと思って、いまだに一緒にやっていますし。高1の15歳の時に初めて持っていった曲に対して「お前の才能はすごい」って言ってくれて未だに続いているっていうのは、テラシンとゴウに近いものを感じました。
――その言葉がなかったら私もRADWINPSは聞けていないかもしれない…と。
間違いなくそうですね。
――運命が変わる一言といいますか、いちファンとしても本当にすごいエピソードを聞かせていただき、ありがとうございます。本作では菅田将暉さんと主題歌を担当されていますね。菅田さんのアーティストとしての魅力をどんな部分に感じましたか?
スイッチを持っていますよよね。あとは、やっぱり稀有な表現者なのは間違い無いので、そこは全く疑うことなく。なにしろ真っ直ぐな人だから。その真っ直ぐさってカメラの前であってもマイクの前であっても変わらないというか。真っ直ぐな目で、その場を生きる人だと思うので。そこは地続きになっているイメージがありました。
去年の夏くらいに菅田くんには「こんな曲ができたんだ」って聞かせていたので。だから半年以上後に歌うことになって。あの曲がすごく好きだと言ってくれていたのですが、「え、まさか俺が歌うんですか?」みたいな感じで。レコーディングの過程は監督と役者みたいでしたね。「もっとこうしたら良いんじゃないかな」みたいに、いろんなアドバイスをしながら進めて、すごく濃密な時間が過ごせました。最初は1日の予定だったんですけど、「もうちょっと修正できるね」ってワガママを言って、別日にも時間を取らせてもらったんですけど、すごく貴重な面白い時間でしたね。
【動画】RADWIMPS feat. 菅田将暉 –うたかた歌
https://www.youtube.com/watch?v=b2-6Cn25Hcw
――この曲は、撮影中から頭に浮かんでいたのでしょうか?
僕は作品に関わると何かしら音楽を作りたくなっちゃうところがあるので今回もそうです。あとは、監督へのお礼という気持ちも強かったので。志村さんが亡くなって撮影が止まったあとあたりで、曲のデモをお渡しした記憶があります。監督に「聴いていただけますか」ってお願いしました。
――歌詞とメロディーはどちらが先行ですか?
歌詞は冒頭から作り込んでいったような気がします。「夢中になってのめりこんだ ものがそういやあったよな」って。メロディとコードが同時に出てきたんですよね。まさにこの映画そのものだと思っていて。だから、頭から書いていって、そのままサビまで書いた気がします。
――普段の曲づくりとは違うのでしょうか。
そうですね。あそこまで頭から徐々に1行1行、書くことは確かになかなかないかもしれないですね。断片を撮影中にメモしたりしていたんですよね。具体的に書こうと思う前にポツポツと浮かんだアイデアを台本の隅にメモしたり、携帯にメモしたりしていて。
志村さんがお亡くなりになられたのを聞いて、これは曲にしておくべきだと思って。あの体験を忘れたくないし忘れるべきではないし、僕ができる残し方が何かあるんじゃないかなと思って。だから、ラスサビは志村さんへの想いです。「泣いてんじゃないよ」って言ってるような感覚がしましたし。「顔あげなよ」って言われているような感覚もありましたし、そういうのを全部、残しておこうっていう気持ちでしたね。
――この映画だからこそ生まれた楽曲ですね。改めて、本作をご覧になって、野田さんはどの様な感想を抱かれましたか?
これほど、制作が決まって台本が決まってから困難が降り注いだ映画も稀だなと思っていて。やはり撮影中に主演の方が亡くなるっていう悲劇はそうそうないと思いますし。でも、それを経験したとは思えないみずみずしさがあるというか。これだけ不幸を背負ったのにそんな顔色ひとつしない、この映画は本当に素敵だなと思います。
登場人物みんな、どこか不幸を抱えながらも最後はあんな後味を与えてくれるんだ、というか。あんなに爽やかな心で観る人を笑わせてくれるんだと思った時に奇跡的な映画だなと思いました。
皆、年を重ねていって、「あの時が自分の青春時代だ」という一種のピークのような時ってあると思うんですね。「人生一生青春」な山田洋次監督のような人は、なかなか少ないと思っていて。
だから、あの時、やりきれない思いで家に帰って書いた歌詞とか。あの時があったから今の自分が生きられているって言うような感覚を持つ瞬間はあると思うし。でも、だからといって自分がピークを過ぎたって言うわけではなくて、もしかしたらこの先、あの奇跡のような瞬間があるかもしれないよねって言うのをこの映画は言っているような気がしていて。一生、忘れたくない綺麗な思い出と、それが未来にまだ残っているって言う可能性…だから明日も生きられるよね、っていう。過去と未来、両方に希望を見出せる映画なのかなと思いました。
――今日は本当に素敵なお話をどうもありがとうとざいました。
撮影:オサダコウジ
【ストーリー】
ギャンブル漬けで借金まみれのゴウ(沢田研二)は妻の淑子(宮本信子)と娘の歩(寺島しのぶ)にも見放されたダメ親父。そんな彼にも、たった一つだけ愛してやまないものがあった。それは「映画」———。行きつけの名画座の館主・テラシン(小林稔侍)とゴウは、かつて撮影所で働く仲間だった。
若き日のゴウ(菅田将暉)は助監督として撮影に明け暮れる傍ら、食堂の娘・淑子(永野芽郁)に恋をし、映写技師・テラシン(野田洋次郎)とともに夢 を語らい、青春の日々を駆け抜けていた。しかしゴウは初監督作品「キネマの神様」の撮影初日に転落事故で大怪我をし、その作品は幻となってしまう。あれから約50年。あの日の「キネマの神様」の脚本が出てきたことで、ゴウの中で止まっていた夢が再び動き始める。 これは“映画の神様”を信じ続けた男とその家族に起きる奇跡の物語。