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『キネマの神様』菅田将暉インタビュー「山田洋次監督は人と人との接触に、いまだにドギマギしていらっしゃるんだなと」



1920年から、日本映画史を飾る傑作、ヒット作の製作、配給、興行を続けてきた松竹映画は昨年2020年に100周年を迎えました。そんな松竹映画100周年を記念した作品となる『キネマの神様』が8月6日より公開中です。



日本映画界を代表する山田洋次監督のもと豪華キャストが集結。撮影の中断など幾多の困難を乗り越えた奇跡の作品として完成した本作。今回は、若き日の<ゴウ>を演じ、野田洋次郎さんと共に主題歌も担当している菅田将暉さんにお話を伺いました。



――本作大変楽しく拝見させていただきました!撮影に入る前、山田洋次監督へはどの様な印象をお持ちでしたか?


菅田:やっぱり『男はつらいよ』の寅さんのイメージが強かったです。もう偉人ですよね。映画の教科書に出てくるような、いつの間にか知っている様なそんな存在だと思います。“山田洋次”というジャンルがあって、そこにはいつも、「いっぱい迷惑をかけるんだけど憎めない人たち」がたくさん出てきて。


――菅田さんが本作で演じられた、「若きゴウ」も「いっぱい迷惑をかけるんだけど憎めない」そんなキャラクターですよね。


菅田:そうですよね。山田監督は人情味の捉え方が凄くピュアだなと感じました。撮影中に「菅田くん一個、相談がある」って言われて、(え、山田さんが俺に相談なんてあるんだ)って思いながら聞いていたら、「次のシーンでテラシンがゴウを殴るシーンがある」と。それで「今まで、人を殴るシーンを撮ったことがないから迷っている」と。確かに思い浮かべてみると、押し問答みたいに人がぐちゃっとなるシーンはあるんだけど、はっきりと人を殴るシーンって監督の作品に出てこないんですよね。


「人はそう簡単に殴らないからな」と悩んでらっしゃって、僕もそうだよなと思いながら、野田(洋次郎)さんとも相談して、ゴウとテラシンが揉めてぐちゃぐちゃっとしながら「出て行け!」と怒るシーンになったんです。


――なるほど。ワンシーン、ワンシーンに細やかなこだわりがこめられているのですね。


菅田:キスシーンの時もそうでした。雨の中、外に出て行くゴウを引き止める淑子のシーンがあった時に、台本には「口づけを交わす」って書いてあるんですけど、山田さんは寄らずに“引き”のショットだけしか撮らなくて。人との接触に関して凄く敏感というか、いまだにドギマギしていらっしゃるんだなと。人と人とが触れ合うという所に、怯えていたり怖がったりっていう情緒がすごくあるから。『男はつらいよ』の撮影時の思い出話を聞いていて、<人の接触シーン>に感じるちょっとした違和感と、僕が実際に現場で感じた違和感がくっついて、「山田さんのこの感覚からこういうシーンが生まれるんだな」と思ったんです。



――ゴウを演じる上で参考にしたことはありますか?


菅田:山田さんが現場で話してくれたエピソードの一つで、昔現場でご一緒していた助監督がゴウのように才能豊かで面白い発想を持っていた人だったらしくて。周りも期待をしていた人だったけど、結局その人はゴウ同様に女性だったり、お金だったり、ギャンブルが原因で結局いなくなっちゃった、と。そのエピソード自体が『キネマの神様』そのものなんですけど、僕はそれを語ってる時の山田さんの顔が印象的で。すごく才能があったのにいなくなってしまった寂しさと、「でも、あいつはそうなってしまうよね」っていう諦めと、両方ある顔をされていて。僕は自分が演じたゴウを経て、周りの人がこんな顔になってくれたらいいのかなっていうのは思ってやっていました。


――ゴウのモデルになった様な、そんな素敵な方だったのでしょうね。助監督役、という特別なお仕事を演じられていかがでしたか?


菅田:助監督さんは僕ら俳優が一番接する人なんですよね。僕も色々な現場に入る時に「助監督、誰なんだろう?」っていうのが気になるし、時には指名させてもらうこともあります。下手したら監督以上に密にやり取りをする相手なんですよ。(山田)監督とも助監督について話しましたし、後はカチンコの鳴らし方を意識しました。当時のフィルムの撮影だと、フィルムが勿体無いからできるだけ早く鳴らするようにしていたっていうことを聞いたり。後は、一番気をつけたのは、あの時代の空気感ですかね。改めて『東京物語』(1953)を観て、監督が小津安二郎さんの資料をくれたので、それを眺めたり、当時の写真を見て、現場に入りました。


――完成した本作をご覧になって、菅田さんが好きなシーンはどんなシーンですか?


菅田:僕がいちばんグッときたのは、映画の脚本賞を受賞して家族がスピーチした後、病院で現代のテラシンとゴウが、ちょっと喧嘩するところかな。ゴウが「やっぱり淑子ちゃんはお前と一緒にいた方がよかったんじゃないか」って言った時にテラシンが「お前、二度とそういうこと言うなよ」って怒るところはすごかったですね。身に覚えのある罪悪感というか。自分がゴウを演じたからこそ、「ごめん、テラシン」「ありがとう、テラシン」っていう両方の気持ちがバーっと出てきました。



――ゴウとテラシンの関係って本当に良いですよね。テラシンを演じた野田洋次郎さんとのシーンが多かったと思います。主題歌もご一緒に担当していますが、共演されていかがでしたか?


菅田:いやあ、楽しかったっすね。野田さんがお芝居もしているのは知っていますけど、やっぱりミュージシャンのイメージが強くて。ご自身がミュージシャンである他にも、映画の音楽をやったりとか、物を作ってる人という意味で僕ら世代からはリスペクトがある人で。その人と芝居という自分たちのフィールドで会えるっていうのはまず嬉しかったです。


結構野田さんが苦戦していて。苦戦っていうか山田さんの要望が高すぎて(笑)。急に「ここで弾き語ってくれ」とか。テラシン、ギターを弾く役だったっけ!って驚きました。感情表現も細かく山田さんがつけていて。あの野田洋次郎が必死に食い下がって戦っている姿を僕はずっと見ていて、それが凄く素敵でした。新旧の物作りの達人たちがやりあっている感じ。凄く綺麗でした。


――音楽と映画で、ジャンルも年齢も異なるけれど達人同士の戦い。すごいですね。


菅田:そうなんですよ。そして野田さんってやっぱり声が素敵だからお芝居をしていてもスッと入ってくるんですよね。今までRADWIMPSを聞いていたイメージと変わったのは、「声が素敵だから曲がいい」っていうんじゃなくて、野田さんって本当に嘘がない人なんだろうなって思いました。さっきの山田さんの話とも似ていて、普段だったら通り過ぎてしまうようなものにちゃんと敏感だから、一個一個が伝わるし、表現が生まれる人なのかなという感じがしました。


――菅田さんと野田さんによる主題歌もとても素敵だったのですが、自分が歌うことになった時の気持ちと、実際に完成してエンドロールを通して聞いてみた時の気持ちを教えてください。


菅田:俳優としては自分が出る映画のエンドロールを自分が歌うっていうのは違和感があって、凄く気持ち悪いんです、僕は。映画の中では演じているけど、歌声では演じていないから、急に「これ、嘘ですよ」って自分が感じちゃう所があって。なるべくやらないようにしていました。


でも、今回の話はすごく不思議で。まず僕ら過去パートを撮り終えて、志村さんのことがあって現場がストップしたタイミングで、野田さんからお手紙のように「“今回ご一緒できてありがとうございました”っていう気持ちを込めて一曲作ったので聞いてください」と、この歌を送ってもらって。その時は一番しかなかったんですけど。それが本当に素敵で。お手紙として、こんな素敵な曲を送ってくれる人ということ、それは野田さんにしかできないことだし、いちファンとして感動して「こちらこそありがとうございました」っていうので終わっていたんですけど。


そこから何がどうなったのか僕よく知らないですけど、2、3ヶ月後に「一緒に歌いましょう」ってなって(笑)。確かにこの曲には2人の視点が出てくるから、いつか歌いたいなって気持ちはあったんですけど。それが主題歌になるって聞いたときは、びっくりしました。コロナがあったり、色々な事があって現場が止まっている中で、あの時、野田さんの曲が来るまではみんな精神的にもストップしていたというか。映画もどうなるか分からない、このまま撮影ができるかどうか分からない、人もいない、世の中も外にもでちゃいけない……みんな、どうしたらいいのかなっていう中で、野田さんがあの曲を送ってくれたことによって、そこから『キネマの神様』が動いたような気がしていて。映画同様に人と人との繋がりで物事が動いていく感じがあったので、断るっていう選択肢もなく、一緒に歌うことになりましたね。



――本当に素敵な、宝物の様なエピソードですね。教えていただきありがとうございます。ゴウとテラシンは親友のようであり、戦友のようであり、同じ夢を持ついい関係だなと思うんですけど、菅田将暉さんにとって、そういう存在の人はいますか?


菅田:ありがたいことに、いっぱいいますね。仲野太賀とか、山崎賢人とか(※「崎」は正式には「たつさき」)、みんな10代の頃から、ただの友達なので。あとは洋服を作っている奴らとか、音楽だったら、石崎ひゅーいくんとか米津玄師とかあいみょんとか、その辺は友達であり同志であり……。それこそ、同じ人を好きになって喧嘩をしたこともありますし。そんな仲間ですね。


――実際に、ゴウとテラシンのような出来事が昔あったんですね。


菅田:懐かしいです。ありましたね。殴り合いとかはしてないけど。


――そういう存在に助けられた思い出ってありますか?


菅田:いっぱいありますね。それこそ太賀に助けられたことはいっぱいあって…。「振られた」って俺が号泣して太賀の家に行って、「その腫れた目で写真を撮ろう」みたいな。で、撮って面白い写真が撮れるとやっぱりちょっと気持ちがスッキリしますしね。


以前は、太賀に限らずオーディションでみんなと会ったりしていたのですが、受かるのは一人なので、落ちたみんなで受かった人の文句を言いつつ(笑)、「よし、頑張ろう」って思うことはよくありました。今もそれは変わらずですね。


――まさに親友であり戦友であり、素敵な関係ですね! 最後に、改めてな質問になってしまうのですが、本作で山田洋次監督とご一緒して、ご家族とか親戚の方々の反響は大きかったですか?


菅田:いやあ、大きかったですね。父に「やっと、おばあちゃん連れて観に行けるわ」って言われて。シリアスだったりハードな映画ばっかりだとね、息子が殺し合いをするのばかり観たくないじゃないですか(笑)。ずっと、「家族で見に行ける映画を作ってよ」って言われていたので。おばあちゃんもずっとホームに入っていて、コロナ禍でなかなか外出が難しい状況ではあるのですが、喜んでくれていたみたいで。父にもそういう意味で「すごく良かった」って言われました。


――おばあちゃんにとっての菅田将暉さんは、もともと自慢のお孫さんだと思うんですけど、更に嬉しいですよね。


菅田:本当にそうですね。朝ドラ、大河、紅白、山田洋次。おじいちゃんおばあちゃんは喜びますね。少しは孝行が出来たかなと思います。


――今日は本当に素敵なお話をどうもありがとうございました!


【編集後記】

実は菅田将暉さんのマネージャーさんが山田洋次監督のファンで、学生時代に論文を書かれていたそう。取材時にその話になったのですが、マネージャーさんが「一番最初に観た映画」が山田洋次監督作品だったとのことで、人と人との繋がりってすごいなあと感じました!



『キネマの神様』公開中!



(C)2021「キネマの神様」製作委員会


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