今回は華村@中国さんの『note』からご寄稿いただきました。
中国で見てきた、アジア人同士の差別意識(note)
欧米を中心に、アジア系に対するヘイトクライムが問題になっているようです。
「アジア系ヘイトの背景には」2021年5月19日『NHKニュース』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210519/k10013038851000.html
もちろんこれは痛ましいことであり、自らもアジア人の一員として、一刻も早くこのような状況がなくなることを願うばかりです。
で、それはそれとして「アジア」「差別」というキーワードによって僕が思い出すことは、この話題とはちょっと違ったものです。
それは中国に住んで目撃してきた、アジア人によるアジア人……さらには中華圏という狭い枠の中における、お互いへの差別意識です。
日本人の中には、中国人をどうしても下にしか見られない人が一定数います。
中国において、日本人どうしで日本料理屋に集まっては、中国人への悪口で盛り上がる人にたくさん遭遇しました。中には「中国人は民度が低すぎる、世界から見下されるしかない」「違う人間としか思えない」「日本人が指導してやらないと何にもできない」などと強すぎる言葉で中国人を罵る人も少なくありませんでした。「どうせ日本語わかんねえだろう」とでも言いたげに、中国人のいる中ではっきりと中国人への嫌悪感を言葉にする人も。
中国で仕事をしていて苦労したり辛酸を舐めさせられた経験がそうさせるのかもしれないし、実際僕だって痛い目に遭ったりイライラさせられたことも少なくないけれど、だからってその背景をまるで理解しようとせずに「中国人は民度が低い」のような文脈にすべてを回収して罵るのは違うんじゃないのかな、と思いながらそれらを聞いていました。
まあ、それになんの声も上げない時点で僕の言えたことではないのですが。
話は変わりますが、以前とあるメーカーに勤めていたときに、台湾の会社と共同でプロジェクトを進めていたことがありました。
その際に広東省の某所にあるその台湾の会社の製造拠点に行ったのですが、そこに来ていた台湾人の出向者との会話に違和感を持ったことがありました。
彼はまず僕に「なぜ中国に住んでいるのですか?」と聞いてきました。そりゃ仕事があるからだろ、と思いつつも適当に話題を濁していました。そして話が僕の嫁(中国人)のことに及ぶと、「なぜ中国人と結婚したんですか?」とまた質問されました。いや、たまたま縁があったのが中国人なだけで……と僕が言い終わる間もなく、彼は「だって、日本には素晴らしい女性がいっぱいいるじゃないですか。なぜ中国の女性と結婚する必要があるんですか」と言われました。そこには、「なんでわざわざそうしたのか」というニュアンスを多分に汲み取ることができました。
ちなみに、彼の婚約者は日本人ということでした。また彼は中国への出向中、絶対に中国で売られているミネラルウォーターに直接手をつけず、台湾メーカー製の浄水器を通した水しか飲まないことを自慢げに語り、昼の休憩中には台湾人が経営する台湾ラーメン屋で食事をしていました。
仕事を進めながらも、「大陸の仕事は大変ですよ。なんたってこっちの人間は……」と、こちらでのプロジェクトがいかにコントロールが難しいかを、中国人のその気質の視点から語っていました。その姿は、前述したような中国人を口汚く罵る日本人たちの姿ととてもよく似ていました。
当の中国人はどうでしょうか。
これまた別の大手日系メーカーの部長クラスの偉い人(中国人)と食事をしていた時のことです。その人は中国以外の国の生産拠点ともやり取りすることがあるらしく、主な担当地域はインドやタイなどのアジアの国々でした。
やはりそこで聞かれたのも、「インド人は民度が低くて言うことを聞かない、そんなことだからいつまでたっても中国のように経済発展しない」「東南アジアの国には泥棒しかいない」など、ちょっとなあと言いたくなるような言葉の数々でした。そこには、それが差別的であるという自覚のまったくない、「だって本当のことだし」とでも言いたげなナチュラルな差別意識のようなものを感じずにいられませんでした。
また国外に対するものだけでなく、「素質不好」な人に対する蔑視や、少数民族に向けたあからさまな見下しなど、中国国内にいる「違った」人々への自覚なき差別意識のようなものを中国人の中に感じたことも、一度や二度ではなかったような気がします。
「在中日本人から見た、中国における「階層」の姿 」2020年9月20日『note』
https://note.com/stwtcpld/n/n2b63dc01e480
最近、どなたかが「差別は人間の本能としてあるものだ」ということを書いているのを目にしました。それはおそらくその通りで、同じ人種だろうが、隣の国だろうが、同じ国にいる人間であろうが、人間とは放っておけば別の人間が「自分と違う」ところを探し、相手が「劣っている」証拠を捻り出してでも差別をする生き物なのでしょう。
こんなことを偉そうに書いている僕自身も例外ではなく、きっと自分の中にも自覚なき差別が無数に潜んでおり、それを知らず知らずのうちに撒き散らしているのだろうと思います。この文章自体が「差別者への蔑視」のようなものを含んでいるであろうことも含めて。
できることがあるとすれば、せめて「自分は差別をする生き物なのだ」と自覚的になることくらいのものです。
間違っても「自分は差別者ではない」などという意識に陥り、逆に差別を垂れ流すようなことがないように踏ん張っていきたいです。
執筆: この記事は華村@中国さんの『note』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2021年7月19日時点のものです。