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津川雅彦さん死去、「親の愛は世界を動かす…」拉致問題啓発を生んだ愛娘誘拐事件と東京新聞との遺恨とは?


 俳優の津川雅彦(78)が8月4日、心不全のため死去した。今年5月には、妻・朝丘雪路さん(享年82)を亡くし、自身も肺炎の治療のため酸素吸入のチューブをつけながら「先に死んでくれて良かった」と感謝の気持ちを語っていた。俳優としては映画『マルサの女』などの数を多く代表作を残し、またマキノ雅彦名義で映画監督としても活動していた一流の映画人であった。


 だが、晩年、馴染み深かったのは「保守陣営の精神的支柱」としての顔ではないだろうか。12年7月からは関西の政治バラエティ『たかじんのそこまで言って委員会』(よみうりテレビ)にレギュラー出演、体調不良で降板した故・三宅久之氏の後任として、ブレることない愛国の心を説いていた。16年3月には「保育園落ちた日本死ね」のブロガーに「『死ね』って言葉は許せないでしょう? 書いた人間が××ばいい(××は規制音)」と歯に絹着せぬ発言をして話題となったこともあった。


 そもそも「津川雅彦」なる芸名は石原慎太郎氏(85)が自身の作品『狂った果実』を撮影した際に名付けたという。以来、津川は「左翼だらけ」だという映画界で「右の役も左の役も」演じてきた。だが、津川は芸能人が政治的な発言を避けていた時代から、一貫して「保守」を公言してきた。この何物にも屈しない生き方が、のちの芸能人の”保守カミングアウト”に与えた功績は大きい。


 しかし、津川を”保守芸能人”としての生き方を後押しした、ある事件も忘れてはならない。それが、1974年に起こった長女誘拐事件である。


 同年8月15日、東京都世田谷区の自宅の2階から長女(当時生後5カ月)が誘拐された。犯人は身代金500万円を銀行の偽名口座に振り込むことを要求した。この時、津川は警察の指示に従って捜査に協力。警察は第一勧業銀行(元みずほ)のすべて店舗に人員を配置するという大掛かりな作戦を決行し、翌日には引き出しを見つけ、犯人の身柄を見事確保した。


 後に、「(誘拐事件があったおかげで)ボクは何事にも真剣に向き合うようになり、人生は大きく変化することになった」と語っているように、この時の”親の気持ち”と警察への感謝が、津川の生き方を大きく”右”へ舵を取っていく。


 13年7月、津川は北朝鮮による拉致問題解決を啓発するポスターのモデルを引き受けている。「必ず取り戻す」という同ポスターは15万枚以上、駅や郵便局に配布されており、いまだ目にする人も多いだろう。この時、津川は「親の愛は、世界を動かす。拉致問題は私達すべての問題です」とのメッセージを寄せている。娘を誘拐された親ならではの言葉と、津川の迫力ある表情が、日本人の問題意識に火をつけたことはいうまでもない。津川はこの出演依頼を「我が事」だとして、ボランティアで引き受けている。


 ちなみに誘拐事件の際に「芸能人は生まれた子を自分の宣伝のために利用するバカが多いから誘拐される」と、紙面で厳しく批判したのが『東京新聞』である。どうしても許せなかった津川はフジテレビの番組で同紙の編集長に公開討論をすることにしたという。


「新聞は公器だ。誘拐なんて凶悪犯罪は二度と起こらないよう書くのが君たちの務めだろう?」と抗議する津川に、編集長は謝罪どころか、「私はジャーナリストとしての信念を貫いた」の一点張り。さらに翌日は読者欄一面を使って、「津川の自業自得」との投稿ばかりを載せるキャンペーンを張る始末。これが後に津川の”リベラル嫌い”を決定づけたのかもしれない。


 ともあれ、人生をかけて家族と日本を愛し、その大切さを訴え続けた名優・津川雅彦。彼の力強い目の光は我々の記憶から消えることはないだろう。その冥福を祈りたい。


文・麻布市兵衛(あざぶ・いちべい)
※1972年大阪府出身。映像作家、劇団座付き作家などを経て取材記者に。著書は『日本の黒幕』、『不祥事を起こした大企業』(宙出版)など多数あり。
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