こんにちは。営業、製品担当の義村です。
この記事を読んでくださっている方々の中には、幼い頃にロボットが活躍する世界を夢見たことがある方も多いのではないでしょうか。私自身も大人になる頃には料理や洗濯などの家事はロボットに任せていると想像していました。結局、今でも人間がおこなうことが多く、一人暮らしの私は両親への深い感謝と畏敬の念を抱いております。
今日では「ペット型ロボット」や日経トレンディ2021ヒット予測商品の8位に入賞した「配膳ロボット」など、ロボットは身近な存在になりつつあります。
そんな、ロボットが生活の中で当たり前になる世の中が、すぐそこまで来てている中で、今回は「人とロボットが共生していく社会」について自分なりの考えをまとめてみました。
目次
- 私たちが想像しているロボットとの「共生社会」
- ロボットは「弱い」という考え方
- ロボットへの共感
- それでも、ロボット事業に携わる身として
私たちが想像しているロボットとの「共生社会」
ロボットとの共生社会において、私たち人はロボットに何を求めるのでしょうか。"人の生活を格段に便利にしてくれる"、”緊急事態が発生したら、助けに来てくれる”。
やはり、昔に観たアニメや映画が思い出されます。いわゆる、「AI」を搭載したロボットが人の能力をはるかに超えた力で私たちを助ける。こんな世の中を想像してしまいます。
ロボットは「弱い」という考え方
私たちが抱く、「ロボット=人を超えた強い存在」とは逆の考え方をされている研究者の方もいらっしゃいます。豊橋技術科学大学で情報・知能工学系の教授をされている岡田美智男先生は「弱いロボット」を通して人とロボットの在り方を考察されています。「弱いロボット」とはどんな存在なのか。例えば、自分でゴミを拾うことはできない「ゴミ箱ロボット」があります。
ゴミ箱ロボットは落ちている物を発見することはできますが、手のような物が付いていないので自分で拾うことはできません。なので、落ちている物を見つけると周りにいる人に物が落ちていることをアピールするような仕草をします。人はそれに気が付いて、落ちているものがゴミだと判断してゴミ箱ロボットへ捨てます。最後は捨ててくれた人に対してゴミ箱ロボットが会釈をします。
この一連の流れの中で、人とゴミ箱ロボットとの間にはコミュニケーションが生まれています。それも「人」と「ロボット」を単純に分け隔てるものではなく、寄り添い合うような距離感です。相手の「気持ち」を慮ることは共に生きていく中での最大要素だと思います。
ロボットへの共感
岡田先生は人は「ロボットは自律的に思考し、効果的で合理的に判断してくれるのが当然」と考えてしまうと述べられ、そこで「人」と「ロボット」に距離感が生まれてしまう。距離が離れてしまうと「共感性」が薄れてきて、さらにロボットに対してレベルの高い要求をしてしまい、また距離感が生まれるというような悪循環に陥ってしまうと考えられています。これは「人」と「人」にも当てはまりますね。
私たちが想像するロボットとの共生社会は、前述した「ロボットが人をはるかに超えた能力で助けてくれる」ことだと思います。ですが、現状のロボットは、人と同じように話せなかったり、スムーズに移動ができなかったりとまだまだ完璧な存在では無いです。そんな中、ロボットと共生する社会は間も無く訪れると考えられています。それに向けて私たち人間には「人ができないことはロボットが助ける。ロボットができないことは人が助ける。」といった考え方があっても良いのではないかと思います。
共感できるのは人の大切な能力なのですから。
それでも、ロボット事業に携わる身として
ロボットとの共生社会に向けて、「まだまだロボットは不完全で弱い存在であるから共感性を持とう」と謳いました。ですが、弊社のAIサービスロボット「Lanky」が目指すのは、やはり人の生活を豊かにできるようなサービスを提供することです。私もLankyが世の中を便利にできように、これからも邁進します。
もしどこかでLankyを見かけたら、気軽に話しかけてみてください。
きっと喜びます。