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現在のVRユーザは大人向けのVRコンテンツに対応できるだろうか?


in her shoes


VRにおける重厚なストーリーを持つ作品を考える記事がUploadVRに掲載された。その性質を正しく理解できれば、VRは物語のために最適なメディアとなる可能性を秘めているという。


VRコンテンツは、一般に次のように言われている。消費者を置き去りにしないように、注意深くあるべきだ、と。難しく考えさせず、新しい技術で驚かせたり楽しませたりするか、ドキュメンタリーで何かを伝えるのが良い。市場に浸透し始めたばかりの新しいメディアであることは事実だ。だから、製作者は壊れやすいもののように消費者を扱うべきなのだろうか。それとも、ショックを与えたり、恐れさせたり、泣かせても良いものだろうか。


いつもハッピーエンドが必要なのか? どの程度まで「ハッピーでない」作品を作っても良いのか、業界が制限を設けるべきだろうか。


ホテルの部屋に椅子が置かれている


限界を超えて


シリアスで暗いテーマは、演劇、映画、テレビ、文学で常に人気がある。チャーリー・ブルッカーが最近Netflixで第三シーズンを開始した『Black Mirror』はねじれたディストピア社会とテクノロジーの負の面を描いている。エンディングはいつも幸福なわけではない。他のあらゆるメディアで消費者はホラー、悲劇、メロドラマを求めるのに、なぜVRではそうしないのだろうか。


VRには、これまでのあらゆるメディアと異なる問題がある。恐ろしいことが起きているときでも、視聴者は「部屋の中」にいることになる。傍観者として、被害者として、あるいは加害者として。その現実感と近さは強烈で圧倒的なものである。


いくつかのスタジオは、以下のような作品でVRでのホラー映画やホラーゲームに挑戦している。Otherworld Interactiveの『Sisters』、Guy Shelmerdine for Withinの『Catatonic』、Wolf &Woodの『A Chair in a Room』。これらの作品はユーザに不快感を与えたが、そのためにこそ受け入れられたといえる。


A Chair in a Roomの壁


しかし、より現実的なストーリーはどうだろうか。暴力、病気、傷心や悲しみのリアルな描写を受け入れられるだろうか。このように極端なコンテンツの例としては、いずれもイギリスで制作されたJane Gauntlettの『In My Shoes』やロンドンに拠点を置くBreaking Fourthスタジオの『Ctrl』がある。


『In My Shoes』ではてんかんを扱っている。人を不快にする作品である。ドキュメンタリーと没入型の体験を組み合わせたこの作品で、視聴者はジェーン・ガントレットになったような体験をする。靴(というよりも椅子)に縛り付けられたように動けないまま、友人と夕食を取って話をしたり、テーブルに置いた手を見下ろしたりすることになる。


『Ctrl』では、視聴者は傍観者の立場に置かれる。作品は家庭内暴力を扱ったフィクションである。苦労している家庭の中で、家庭内暴力の兆候が見て取れる。それにもかかわらず、暴力がはっきりと表に出ることはないという状況を体験することになる。


このような作品は、視聴者を困惑させることがある。困難なテーマではあるが、挑戦的で暗いVR作品はその没入感のために現実の問題を共有し、教育する効率が高い。古代ギリシャ時代に戻り、シェイクスピアの悲劇を聞く感覚に近いだろうか。


Ctrl


しかし、このように限界に挑戦していくことにはリスクもある。視聴者は怒ったり、動転してしまうかもしれない。強いネガティブな感覚を持ったり、ハッピーエンドでないことに不満を持つかもしれない。『Ctrl』で視聴者が感じる無力感は、実際の虐待被害者が感じる無力感を再現したものといえる。


こういった悲惨なコンテンツは視聴者に抵抗感を与えたり、逃げ出したいと感じさせてしまうことがある。VR体験では、視聴者は別の「現実」に飲み込まれる。夢を見ているのと同じように、終わるまで抜け出せないと感じるかもしれない。従来の2Dスクリーンであれば、不快になった視聴者は距離を置いたり、チャンネルをいじったり、違うものに意識をそらす。


しかし、VRではこれらが不可能であるか、もしくは非常に難しい。視聴者はその経験の「中」に居るので、どちらの方向を見ても、どちらに進んでも仮想環境から逃れることができない。あらゆる方向から音が聞こえ、物語に集中することしかできない。怒りを感じる対象から逃げたり、注意をそらしたりできないので、それに直面するという選択肢しか残されないのだ。そのため、心理的に予期せぬ反応を起こしてしまうかもしれない。人によっては涙を流したり、憤りを感じたりするかもしれない。あるいは、単に内向きで沈んだ気分になるかもしれない。


このような反応に対処する方法には、作品の公開審査の他に人対人のサポートを提供するというものがある。今年の7月には、劇場にユーザが集まってSamsung Gear VRの『Ctrl』を鑑賞した。このときは上映の度に家庭内暴力の防止と支援を訴えるリーフレットやポスターが用意されていることが伝えられ、視聴したものについて話すことができた。


VRでのストーリーテリング


目新しさ以上のものに


ジョン・カーマックは10月のOculus Connect 3でVRについて語った。

「VRは目新しさを失いつつあります。プラットフォームが成功するためには、コンテンツの製作者が自分自身の立場を考え始める必要があるのです。VRは、VR以外のものと同じか、それ以上に価値あることを成し遂げられるでしょうか」

VR市場の夜明けにおいては360度パノラマの驚異が優先され、複雑なストーリーや感情は二の次になるか、存在すらしなかった。この状況は、少しずつ変わりつつある。議論を巻き起こした『In My Shoes』や『Ctrl』がその鍵だ。Oculus Connect 3で上映された『Ctrl』への反応は賛否両論だったが、いずれにしても大きなインパクトを与えた。


VRがメインストリームになっていくにつれて、コンテンツは進化して成熟していく必要がある。それがコンテンツとハードウェアに投資をしたユーザへの責任とも対価の支払いともいえるだろう。メディアとしてのVRは、通常の映画同様に多様で、エキサイティングで、独自性あるものになる必要がある。消費者は他のメディアに暗くて難しい内容を求めている。最終的に、VRでもそうなることを受け入れるべきだろう。しかし、没入感のようなVRならではの特徴が危険でもある。VRコンテンツの製作者は、視聴者の強い感情を引き起こすことを恐れるべきではないが、コンテンツがどのような性質を持つかは事前に伝えられ、可能ならば視聴後のサポートも用意されていることが望ましい。


VR業界がより深く、複雑なストーリーの作品を発表する場となれば、他の媒体にはできない方法で視聴者に影響を与える媒体になるかもしれない。そうなれば、感情的な物語を伝える最適な手段になる可能性もある。


参照元サイト名:uploadvr

URL:http://uploadvr.com/audiences-mature-serious-vr-content/


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