海外メディアIndiewireは、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督がカンヌ映画祭に出品したVR映画に関する特集記事を掲載した。
VR映画「Carne y Arena」制作の背景
現在フランス・カンヌで開催中の世界最大の映画祭カンヌ映画祭では、同映画祭史上はじめてVR映画が正式上映された。VR映画を国際映画祭で上映すること自体は、すでに新興の映画祭であるサンダンス映画祭やトライベッカ映画祭で行われていることだ。しかしながら、伝統と格式のある映画祭でのVR映画の上映は、このたびのカンヌ映画祭での試みが初めてである。このことは、VR映画を「テクノロジーの産物」ではなく「新たなアートの表現手段」と捉えようとする気運を物語っている。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督とは?
同映画祭初の6分半ほどのVR映画「Carne y Arena」(原題はスペイン語、英題「Fresh and Sand」日本語訳は「肉と砂」)を監督したのは、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督である(トップ画像参照)。
メキシコ出身である同監督は、2006年に日本女優・菊池凛子が出演した「バベル」によって同年のカンヌ映画祭監督賞を受賞し、2014年に発表した「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」ではアカデミー監督賞ほか4部門を受賞した経歴をもつ世界的に著名な「芸術映画」の監督である。
その事実を「誰も知らない」
VR映画「Carne y Arena」は、メキシコからアメリカへの移民/難民を題材とした作品である。同監督がメキシコ移民/難民を映画で採り上げたのは、「バベル:にまで遡る。同映画完成後、同監督は折に触れてメキシコ移民とワークショップを催して、彼らの体験談を収集していた。
再びメキシコ移民の映像作品を制作しようと決意したきっかけは、シリア難民を乗せたボートが沈没し、多くが子供である700人の人命が失われた事件を知ったことであった。同監督は、この事件を知って自分が収集していたメキシコ移民/難民の問題は、世界共通の問題だと悟ったのだという。同監督は、次のようにコメントしている。
65%の難民が戦争による災禍やギャングによる暴力から逃れて流浪していることを、誰も知らないのです。
VR映画の80%は鑑賞者が発見する
VR映画「Carne y Arena」が描くシチュエーションは、メキシコからアメリカへ(不法)移民する際の横断する国境付近での出来事である。
同作品が伝統的映画と決定的に異なる点は、鑑賞者は「国境を越える」という危険な出来事を「目撃する」のではなく、実際に「体験する」ことにある。そして、この「体験」を真に迫るものにするために、多くのVR映画では見られない特別な演出がなされている。
徹底したリアリティ
同作品を「体験」するためには、体験スペースに入場する前に貴重品と荷物を預けたうえに、靴を脱いで裸足になるように求められる。そして、リュックサックが渡され身に着けるように言われる。
入場する準備が整って体験スペースに入ると、そこは赤いライトで照らされた砂地である。この体験スペースと入場前の「着替え」は、VR映画の体験者がまさにメキシコからの決死の国境越えをするための準備だったのだ。
VR映画が始まると、視野いっぱいに広がるメキシコの砂漠のところどころにある木陰から、体験者と同じように国境越えをしようとしている人々が現れる。みな悲しみや苦痛に打ちひしがれた表情をしている。
そこに突然、ヘリコプターが飛んでくる。国境警備隊のものだ。ヘリコプターは着陸して、銃で武装した警備隊員が降りてくる。そして、周りにいる移民希望者を捕まえていく。逮捕者のなかには、裸足のため足が傷ついた女性もいる。
アレハンドロ監督によると、同作品を体験したヒトのリアクションはみんな違うという。あるヒトはずっと同じ場所に立ちすくみ、またあるヒトは国境警備隊員の後ろに隠れる。多くのヒトは、バーチャルな移民希望者と一緒になって、逃げ惑うか恐怖を感じるという。こうした再現された「状況」に対して体験者がそれぞれ異なった反応を示すのも、ある程度の「行動の自由」が委ねられているVR映画ならではの現象であろう。
VR映画で監督ができること
以上のようなVR映画「Carne y Arena」の制作後、同監督は以下のようなコメントをしている。
VRテクノロジーは映像表現においてまさに革新的であり、刺激的なものであります。映像制作者にとって、今まで培ってきた伝統的映画の制作手法は、全くVR映画では通用しません。
伝統的映画はフレームがあるので、制作者は自分の意図が伝わるように編集することができます。言わばタイヤのあるクルマです。しかし、VR映画はそうはいきません。それはタイヤのないクルマのようなものです。
…VR映画では私は自分の意図の20%しか鑑賞者に伝えることができません、残りの80%は鑑賞者自身が見つけるのです。作品から意図を見つける必要があるので、VR映画は「対話的」と言えます。
「共感装置」は「洗脳装置」と紙一重
VR映画あるいは360°動画の特徴として、圧倒的な没入感があることは周知の通りである。この没入感によって、体験者は再現されている状況に対して、強い共感を抱くことから360°動画は「共感装置」であるとしばしば呼ばれる。
しかしながら、本メディアで以前に報じたように、この「共感」を呼ぶ機能を過度に強調すると「共感装置」は「洗脳装置」として機能しかねない。この問題は、実際に本年度のトライベッカ映画祭で議論されたことである。
アレハンドロ監督のVR映画へのアプローチは、VR映画がもつ「洗脳」機能が発動することを回避しているように思われる。というのも、同監督のアプローチにおいては、VR映画を何らかの「アイデア」や「共感」を強く訴える手段としてではなく、むしろ体験者に何かしらの「アイデア」「感情」を自発的に抱かせることを重視しているのだから。
どうやらVR映画あるいは360°動画には、「共感装置」ではなく「思考誘発装置」としての側面もありそうだ。この側面に光をあてた事例は、これから報告されるだろう。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督がカンヌ映画祭に出品したVR映画「Carne y Arena」に関するInsiewireの記事
http://www.indiewire.com/2017/05/alejandro-gonzalez-inarritu-carne-y-arena-cannes-vr-1201819096/
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