秋田県は横手市平鹿町浅舞上蒋沼、横手駅から国道13号線を南下し、婦気(ふけ)交差点から国道107号に入り、道なりに8kmあまり進んだところにある「浅舞公園」の片隅に「忠義な猫の碑」というものがあります(Googleマップでもその姿を確認できます)。しかし、地域の方々の多くは、その由緒を長年知らぬままだったといいます。
その疑問を解消しようとしたのが、社会福祉法人理事長の畠山さん。2010年ごろ、地元の教員でもある知り合いの郷土史家に依頼して、猫の碑が設置されている土地を元々所有していた地主の「伊勢家」の史料を調べてもらった結果、忠猫の由緒が判明したそうです。
明治の中頃、この公園は大地主 伊勢多右衛門(たえもん)の庭園でした。多右衛門は貧しい人を助けたり凶作や災害に備えるために、感恩講という慈善組織をつくり、米を蓄えていました。庭園を人々が憩う公園にする工事も進めていたのです。
ところが、村のあちこちにある米蔵はネズミに荒らされ、庭園は野ネズミやヘビによって木や側溝、堤にも被害が出ていました。すると、飼っていた白まだらの雌猫が米蔵を回ってはネズミを捕り、庭園の野ネズミやヘビも10年ほどかけて絶滅させたのです。
多右衛門は自分の意を体して働く猫に感動したのでした。その姿は、神仏が乗り移って人々を守ろうとする命の番人に見えた。生涯、子供を産まず、聖女のようだったという。
忠猫は、村人たちを救い、いのちの番人と称えられた猫だったのです。
明治40(1907)年に亡くなったこの白猫の功績を伝えるために、翌年の明治41(1908)年に建立された碑だと知った畠山さんは、有志を集めて「忠義な猫でまちおこし推進委員会」を設立。そして、現在は公園の隅で野ざらしになっている「忠義な猫の碑」を永続的に保守管理するために、移転計画を進め、それに賛同してくれる方からの支援を「READYFOR」にて募集しています。
移転場所は、公園近くの旧仏具店。猫の碑を安置する台座や、それを祭る神社も建立するとのことで、目標額は190万円。記事執筆時では54%の支援が集まっています。支援金額は、5000円〜10万円の7タイプ。支援に対するお礼となるリターンには「忠義な猫の紙芝居DVD」(ダイジェスト版映像はこちら)や「招福猫サブレ」、「絵馬と新米(あきたこまち5kg)」などが用意されています。締切は7月15日の23時までとなっています。
猫ジャーナルとしましては、猫神社造営が成るとともに、横手市地域の猫のために、猫を愛でる一大拠点となることを切願する次第と、恐み恐みも白す。ちなみに、猫にまつわる神社はこちらに一覧がありますので、ご参照ください。
[日本一の愛猫家の聖地となる施設をオープンさせたい!/READYFOR]