アメリカのコロンビア大学(Columbia)で行われた研究により、ヒト受精卵のDNAを書き換える遺伝子編集で、有望な成果が報告されました。
従来の遺伝子編集は、誕生後の人間を対象とする遺伝子治療には使えても、受精卵の段階で行うと「大失敗」を起こし、染色体が大きく壊れてしまうことが知られていました。
しかし今回の研究ではDNAの遺伝暗号を1文字単位で精密に書き換える技術が使用され「染色体がボロボロになる」惨状が起きなかったのです。
今回の成果により、受精卵のより安全な遺伝子編集に向けて大きな一歩を踏み出したことになります。
研究内容の詳細は2026年6月1日にプレプリントサーバー『bioRxiv』にて発表されました。
目次
- 受精直後のヒトの卵で、3つの遺伝子を書き換える挑戦
- 受精卵の遺伝子編集技術に大きな進歩
- 予想外の発見と、立ちはだかる壁
- 「最高の赤ちゃんを」──商業化の足音
受精直後のヒトの卵で、3つの遺伝子を書き換える挑戦

2018年、中国の科学者・賀建奎(が けんけい)氏がヒト胚の遺伝子を書き換え、3人の赤ちゃんを誕生させたと発表して世界に衝撃を与えました。
科学者たちがこの行為を強く非難した大きな理由のひとつは、使われた技術そのものが危険すぎたことにありました。
当時使われたのは、2012年に登場した、DNAの二本鎖をまとめて切断する技術(CRISPR-Cas9)──いわば「遺伝子のハサミ」です。
狙った場所を切って細胞の修復力に任せる仕組みですが、この修復がしばしば失敗し、DNAの大きな領域が丸ごと消えたり、染色体そのものが壊れたりすることがありました。
実験室の細胞や実験動物、植物が相手なら非常に有用なツールでしたが、人間の受精卵に対して行うのは生まれてくる子供たちの遺伝的な健全性を顧みない「暴挙」と言えるものでした。
たとえば2020年、受精卵に従来型の遺伝子編集を行ったところ、染色体がボロボロになってしまうことが示されています。
およそ半数の細胞で、長い範囲のDNAが削り取られたり、その遺伝子が載っている染色体そのものが壊れたりしたのです。実験を行ったエグリ博士はこのとき「まったく破滅的だった」と語っています。
従来型の操作は、誕生後の人間にとっては有用な遺伝子治療になります。
それなのに「受精卵の段階」で行うと「破滅的」になる──同じ人間の細胞でも、受精卵の段階での操作はうまくいかなかったのです。
ところが、「破滅的」を経験した同じ研究チームは諦めませんでした。
「遺伝子のハサミ」で二本鎖を大々的に切るのではなく、もっと穏やかな道具を使うことにしたのです。
それが「塩基編集」と呼ばれる技術です。
2016年に原型が生まれ、現在に至るまで進化を続けていました。
2012年生まれの従来型がDNA二本鎖を「バチン」とまとめて切るのに対し、塩基編集は片方の鎖に小さな切れ目を入れるだけ。
間違った一文字を消して、正しい文字に書き直すようなイメージです。
この技術は、すでに「誕生後の」人の命を救い始めています。
昨年には、この技術で赤ちゃんが命にかかわる遺伝性疾患から回復しました。さらに現在、高コレステロールの治療でも臨床試験が進んでいます。
そこでコロンビア大学の研究者たちは、このピンポイントな方法なら、失敗続きだった「ヒト受精卵」の遺伝子編集もうまくいくのではないかと考え、実験に踏み切りました。
受精卵の遺伝子編集技術に大きな進歩

調査ではまずヒト受精卵が用意され、3つのポイントが編集箇所に選ばれました。
1つ目は、血中の悪玉コレステロールを増やす遺伝子(PCSK9)の書き換えです。
この遺伝子の働きをオフにする変異を自然に持っている人は、心臓発作や脳卒中のリスクが低いことが知られています。
チームは塩基編集でDNA配列の「A」を「G」に変え、この遺伝子の機能を止めることを狙いました。
2つ目と3つ目は、酸素運搬を担う2つの遺伝子(HBG1とHBG2)の書き換えです。
私たちは生まれると胎児型から大人型のヘモグロビンに切り替わるのですが、ここに「A→G」の1文字変化を入れると、大人になっても胎児型ヘモグロビンを作り続けることができます。
この変異を自然に持つ人は、鎌状赤血球症やサラセミアといった血液疾患の症状が和らぐことが知られています。
つまり、心臓病リスクを下げる操作が1種類、血液疾患を軽減する操作が2種類──合計3種類の遺伝子操作です。
研究では個々の遺伝子を別々に書き換えるだけでなく、一部の受精卵では、これらをまとめて同時に書き換えることにも挑みました。
結果は、目を見張るものでした。
まず、従来型で問題になっていた大きな欠失(DNAがごっそり消えてしまう現象)が、調べた細胞のどれを見てもゼロでした。
次に、染色体全体を1つ1つの細胞レベルで調べたところ、書き換えの標的となった1番・11番染色体は、どちらも無傷のままでした。
そして、編集した受精卵の一部は、その後も元気に細胞分裂を続け、約6日後にはおよそ100個の細胞からなる小さな球(胚盤胞)にまで育ちました。
これは通常なら、子宮に着床する直前の段階です。編集をしても、胚はここまでちゃんと育つことができたわけです。
さらにチームは、この胚盤胞の内側から、体のいろいろな細胞に育つことができる細胞(ES細胞)を3つ(3系統)取り出し、培養皿の中で増やし続けることにも成功しました。
しかも、そのうちの1系統では、悪玉コレステロールに関連する遺伝子(PCSK9)が父親由来・母親由来の両方とも書き換えられていました。
さらに細胞を詳しく調べたところ、PCSK9から作られるはずのタンパク質が、きれいさっぱり消えていることが確認されたのです。
これは単に「DNAの文字が変わった」という話ではありません。
書き換えの結果として、狙ったタンパク質が実際に作られなくなる──つまり「体の仕組み」そのものが書き換わるところまで確認できた、ということです。
研究用に提供された正常なヒトの初期胚で、染色体レベルの安全性までしっかり確かめたのは、今回が初めてのことです。
もし3つの編集をすべて備えた受精卵が、赤ちゃんとして生まれていたとしたら、まず悪玉コレステロールの遺伝子がオフになっているため、心臓発作や脳卒中になりにくい“遺伝的なくじ”を引いた状態で生まれてくる可能性があります。
また大人になっても胎児型ヘモグロビンを作り続ける力を持つため、もし鎌状赤血球症やサラセミアの遺伝的リスクがあったとしても、症状が和らぐ体質を備えているかもしれません。
しかし研究では、予想外の事実も判明しました。
予想外の発見と、立ちはだかる壁

受精卵の内部に遺伝子編集の道具を届けるには、大きく分けて2つの方法があります。
1つは、新型コロナウイルスのワクチンで一躍有名になった「mRNA方式」と同じ発想です。
ファイザーやモデルナのワクチンでは、ウイルスのトゲ(スパイクタンパク質)の設計図であるmRNAを体に注入し、私たちの細胞の中にある「組立工場」にそのタンパク質を“現地生産”させることで、免疫に敵の姿を学習させていました。
今回の実験でも同じように、編集の道具の設計図(mRNA)を送り込み、胚の中の工場にその道具を組み立てさせるやり方がとられました。
もう1つは、設計図ではなく、編集の道具そのもの(タンパク質)を直接届ける方法です。
アメリカのノババックス社が開発し、日本では武田薬品工業が製造したノババックス型ワクチンに発想が近いやり方です。
ノババックスのワクチンは設計図ではなく、ウイルスの一部(スパイクタンパク質)そのものを完成品として直接体に届け、免疫に学習させるものでした。
今回も同様に、あらかじめ試験管の中で組み立てた編集の道具を、完成品としてそのまま胚に注入する方法が同時に行われました。
研究者たちは最初、どちらの方法もうまくいくと考えていました。ところが結果は違いました。
「設計図」であるmRNAを受精卵に注入した場合──19個の胚のうち、正常に育ったものは1つもありませんでした。すべてが1〜4個の細胞の段階で発生を止めてしまったのです。
一方、「完成品」のタンパク質を直接注入した場合は、約3割の胚が胚盤胞まで正常に発生しました。
この落差は衝撃的です。注入したmRNAは、医療用に安定化処理を施した高品質なもの(キャップ付き、修飾ヌクレオチド使用、ポリA尾部付き)で、ふつうの細胞なら問題なく働くはずのものでした。
完成品のタンパク質なら胚は育ったわけですから、胚を止めたのは道具のタンパク質ではなく、“設計図を送り込む”というmRNAのやり方のほうだったようです。
では、なぜ受精卵では設計図が拒否されたのでしょうか。
エグリ博士らは、初期胚には外から来たRNAを察知して発生を自ら止める“見張り番”のような品質管理の仕組みがあるのではないか、と推測しています。
ふつうの細胞は、自分のDNAからどんどんmRNAを作り出して(転写して)タンパク質を合成しています。
ところが受精直後の初期胚は、まだ自分の遺伝子をほとんど動かしていません。いわば「静かな部屋」のような状態です。
そこに突然、外から大量のRNAが入ってくる。静まり返った部屋でいきなり大きな音がしたら気づかないはずがないように、初期胚はこの「異物」を鋭く感じ取り、「何かおかしい」と判断して自ら発生を止めてしまうのかもしれません。
ワクチンで実績のあるやり方をそのまま受精卵に持ち込んで「大丈夫だろう」と考えると、思いもよらない失敗が待っている──そんな教訓を示す結果と言えます。
さらに、道具の届け方だけでなく、編集の「効き方」にも大きな課題が見つかりました。受精卵を書き換えたところ、ある細胞は書き換え済み、隣の細胞は元のまま──というように、編集済みと未編集の細胞がまだらに混ざる状態(モザイク)が生じてしまったのです。もし赤ちゃんの体になったときに、運悪く遺伝子編集された細胞が必要な器官になかった場合、「この遺伝子編集は外れでした」となり、防いだはずの病気を結局は発症してしまうおそれがあります。実際、2018年に生まれた賀氏の3人の子どもたちも、全員がモザイクである可能性が指摘されています。加えて使う道具の設計しだいで、狙った場所以外まで書き換わってしまう問題も確認されました。
それでも今回の研究は、遺伝子をハサミで切り取るタイプに比べれば、確かに大きく前進しました。
染色体がボロボロになるような破滅的なことは起きず、編集を受けた胚の一部は、ちゃんと胚盤胞の段階まで到達したのです。
受精卵段階での遺伝子編集において、大きな一歩であることは確かなのです。
それゆえ「商業化」の足音も聞こえ始めています。
「最高の赤ちゃんを」──商業化の足音

今回の論文を率いたエグリ博士の周辺には、商業化の足音も聞こえてきます。
論文によれば、今回の染色体解析にはGenomic Prediction社が協力しています。さらに報道によれば、共著者のネイサン・トレフ氏は別の胚検査企業ニュークレウス・ゲノミクス(Nucleus Genomics)に所属しており、同社が今後の研究を支援する予定だといいます。
2021年に設立されたニュークレウスは、体外受精の胚を対象に数千種類の遺伝性疾患をスクリーニングするサービスを提供していますが、それだけではありません。心臓病や糖尿病のリスク予測に加え、知能や身長といった特性に関連する遺伝子を調べる「遺伝的最適化」検査も手がけています。
2025年11月、同社はニューヨーク市の地下鉄に「最高の赤ちゃんを(have your best baby)」と呼びかける広告を大量に出し、大きな論争を巻き起こしました。
一連の報道によれば、トレフ氏は「胚の段階で病気の原因となる変異を修正できれば、本来なら廃棄していた胚を移植できるようになる」と述べています。
同社CEOのキアン・サデギ氏も、胚編集を「論理的な次の一歩」と位置づけ、「これらはすべて同じ目的の一部だ。患者がより健康な子どもを持つために、より十分な情報に基づいた選択を手助けすることだ」と語っています。
広報責任者のケイトリン・ギャラハー氏は、「完全な“遺伝的最適化”の一式の一部として、こうした技術を臨床医療に取り入れていく自然な道筋だ」と述べたと報じられています。
では、仮に先ほどの問題(mRNAによる停止やモザイク)がすべて解決したとして、近い将来、デザイナーベビーは本当に作れるのでしょうか。
少なくとも身長や知能となると、まだ難しそうです。
2022年に発表された540万人規模の大研究では、身長に関わる遺伝子の変異が1万2000個以上もあることが分かりました。
しかも、よく知られた例として挙がるHMGA2という遺伝子の近くの変異でさえ、効果は1つあたり約0.4〜0.5cmにすぎません。
知能はさらに厳しく、2018年の27万人規模の研究では、知能に関わる遺伝子が1016個も見つかりましたがその一つひとつは、最も影響が大きいものでさえ、IQの変化に及ぼす影響度は小数点以下でした。
一方、今回の編集についてエグリ博士は、報道のなかで「同時に書き換えられるのは、せいぜい3つか4つ、よくて5つが限界」と語っています。
身長は1万2000個、知能は1016個。それなのに、いじれるのはせいぜい5個。まさに焼け石に水です。
サデギ氏自身も、知能や身長のために胚を編集することは「現状では非現実的」で、そうした特性は「非常に複雑で、多くの遺伝子の複合的な働きによるため、塩基編集では実現できない」と認めていると報じられています。
ただ、公正を期すために「有用な場合」があることも付け加えます。
たった1つの遺伝子が、体に劇的な影響を与える場合も確かにあります。
その好例が、まさに今回標的になった悪玉コレステロールの遺伝子(PCSK9)です。
この1つをオフにするだけで、LDLコレステロール値が大きく下がり、心臓病リスクが劇的に減ることが知られています。
また、マルファン症候群では、FBN1というたった1つの遺伝子の変異が、極端な高身長や心臓弁の異常を引き起こします。
つまり、特定の病気リスクを1つの遺伝子で大きく変えられるケースは、確かに存在するのです。
塩基編集が本当に力を発揮するのは、こうした「少数の遺伝子が決定的な役割を握る」場面でしょう。
しかしそれは、「頭のいい子」や「背の高い子」を自由に設計するという話とは、根本的に別物です。
エグリ博士自身、報道によれば胚の「能力増強」には断固反対の立場で、「技術の誤った使用を思いとどまらせる情報を提供するためにこそ、研究が必要だ」と強調しています。
もっとも、現在の形で生殖を目的とした胚の遺伝子編集は、多くの国で禁止・規制されています。
ヒト胚を、染色体を壊さずに精密に書き換える技術は、確かに一歩前進しました。
しかし、それを使うべきかどうかは、まったく別の問いです。
その答えは、科学者だけでなく、私たち社会全体で考えていく必要があるのでしょう。
元論文
Efficient base editing and development in human embryos without chromosomal alterations
https://doi.org/10.64898/2026.05.30.728989
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
