師との出会いの脳科学です。
日本の早稲田大学(Waseda)で行われた研究によって、鳥が「歌の先生」を選ぶ際には、人間が感情を感じたり社会的な判断を行ったりする時に重要な働きをする「扁桃体(へんとうたい)」という脳部位が深く関わっていることが初めて明らかになりました。
キンカチョウというオーストラリア原産の小鳥は、幼鳥の時期に複数の大人の鳥から歌を聴きますが、実際に真似をするのはその中でも特定の一羽だけです。
実験によれば、この幼鳥たちは「短時間に長い歌を歌い、歌う回数が少ない先生」を特に好んで選ぶ傾向がありました。
しかし扁桃体の働きを止めてしまうと、どの先生を選ぶかがはっきりせず、「誰の歌でもいい」と迷うような行動を見せたのです。
この結果は、扁桃体が単なる恐怖や不安といったネガティブな感情だけでなく、誰に魅力を感じ、誰から学ぶべきかといった社会的な判断にも重要な役割を果たしている可能性を示唆しています。
では、鳥が先生を選ぶ時に感じている「ときめき」は、私たち人間の感情や社会性とも通じるものなのでしょうか?
研究内容の詳細は『The Journal of Neuroscience』にて発表されました。
目次
- 鳥に学ぶ「良い先生を見つける方法」――脳の不思議な働き
- 「この先生がいい!」の正体を発見――鳥の脳を操作した実験結果
- 鳥が教えてくれた「学びの本質」――鍵は扁桃体と社会性
鳥に学ぶ「良い先生を見つける方法」――脳の不思議な働き

皆さんが何か新しい趣味や特技を身につけようと思った時、最初に悩むのは「どの先生に教わればいいんだろう?」ということではないでしょうか。
有名な先生だから良いのか、教え方が上手な先生がいいのか、はたまたフィーリングが合う先生がベストなのか――。
実は「誰に教わるか」というのは、ただ単に好みの問題ではありません。
なぜなら、先生選びは、学ぶ人がその文化や技能をどのように身につけ、将来どんな形で次世代に伝えていくのかを決定づける大事な一歩だからです。
ところが、この重要な「先生選び」の判断が私たちの脳の中でどのように行われているのか、その詳しいメカニズムはほとんど解明されていません。
こうした「先生選び」の謎を解くために、科学者たちが注目したのは、実は人間ではなく「鳥」でした。
スズメの仲間である「歌鳥(うたどり)」という鳥たちは、幼鳥の頃に大人の鳥(成鳥)の歌を聴き、その中から自分が一番良いと感じた特定の一羽の歌を選んで真似することが知られています。
歌鳥の中でも、オーストラリアなどに暮らすキンカチョウという小さな鳥は、大人の歌を1対1で教わり、まるで人間が言葉を覚えるようにじっくり練習を重ね、自分の歌を完成させます。
興味深いのは、幼鳥が歌を覚える時、ただ録音された歌を聞かせるよりも、目の前で実際に成鳥と対面して教わったほうが、ずっと上達しやすいということです。
これはまるで人間が直接先生に教わる方が、ビデオ教材を見るよりも効果的であることと似ています。
つまり鳥たちも「対面での社会的コミュニケーション」を通じて、自分の先生を選んでいる可能性があるのです。
今回の研究チームは、この鳥たちが先生を選ぶ時に働く「脳のメカニズム」を明らかにするために、特に哺乳類では感情や社会性を司ることで有名な脳の「扁桃体(へんとうたい)」という部分に注目しました。
はたして鳥たちが「この先生がいい!」と選ぶ心にも、人間と同じように扁桃体が関わっているのでしょうか?
「この先生がいい!」の正体を発見――鳥の脳を操作した実験結果

はたして鳥たちが「この先生がいい!」と感じる心にも、人間と同じように脳の扁桃体が関わっているのでしょうか。
この謎を解明するため、研究者たちはまず若いキンカチョウの幼鳥に、歌声が異なる2羽の大人の鳥(成鳥)を順番に紹介して、それぞれの歌をじっくり聞かせることにしました。
その後、幼鳥たちはしばらく自由に歌の練習をして、歌を覚え終わった頃に研究者が録音し、その歌を分析しました。
すると幼鳥たちは、2羽の先生の歌をミックスするのではなく、どちらか一羽の歌を集中的に真似していたのです。
どちらの先生が選ばれるかは幼鳥ごとに違っていましたが、不思議なことに「人気のある先生」には共通する特徴がありました。
それは、「1回あたりに長く歌い、歌う回数が少ない先生」です。
短時間にぎゅっと集中して魅力的な歌を聴かせる先生ほど、幼鳥に好かれやすいという結果だったのです。
では、この先生選びに扁桃体は関わっているのでしょうか。
その疑問を調べるため、研究者たちは幼鳥の扁桃体に興奮毒性病変(エキサイトトキシック・レジョン)という特別な処理を施して、扁桃体の働きを一時的に弱めました。
そして再び同じように2羽の先生の歌を聞かせて、幼鳥がどちらを選ぶかを観察しました。
すると、驚くべきことが起こりました。

扁桃体を損傷した幼鳥は、正常な幼鳥とは違い、「短期集中型の先生」を選ぶ傾向が明らかに薄れてしまったのです。
本来なら「この先生に習いたい!」というはっきりした選択ができるのに、扁桃体がうまく働かない幼鳥たちは、「誰を模倣すればいいのか、よく分からない状態」になりました。
またこの違いは、幼鳥の行動にもはっきり現れました。
正常な幼鳥は「習いたい」と感じる先生の歌が聞こえると、その先生に積極的に近づいて行きますが、扁桃体が損傷した幼鳥はそうした反応がほとんど見られなくなりました。
その代わり、「この先生も気になる、あの先生も気になる」といった感じで、ケージ越しに落ち着きなく何度も行ったり来たりするような行動が目立ったのです。
つまり扁桃体が働かなくなると、先生を選ぶための「ときめき」がなくなり、目の前の先生をはっきり選べなくなってしまうのです。
しかし不思議なことに、扁桃体が損傷しても「歌そのものを真似する能力」には何の問題もありませんでした。
つまり扁桃体は歌の技術を学ぶ力には関係なく、「誰の歌を学ぶのか」を決めるためだけに特別に働いていることが分かったのです。
鳥が教えてくれた「学びの本質」――鍵は扁桃体と社会性

今回の研究によって、「鳥が歌の先生を選ぶとき、脳の扁桃体が重要な役割を果たしている可能性」が示されました。
私たちは誰かから何かを学ぶとき、その先生が魅力的か、自分と相性がよいかどうかを無意識のうちに判断しています。
今回のキンカチョウの実験結果は、その「先生選び」の判断が、私たちが持つ「社会的な感情」をコントロールする扁桃体の働きと強く結びついていることを示しています。
正常な幼鳥は、目の前の複数の大人の鳥すべてに対して無差別に興味を持つのではなく、自分が本当に習うべき先生を絞り込んでいました。
つまり扁桃体が働くことで、「この先生こそ自分にとって理想的だ」という社会的な動機づけがはっきりと生まれていたのです。
しかし、扁桃体がうまく働かない状態では、その大切な「先生を見分けるスイッチ」が機能せず、幼鳥は目の前にいるどの先生にも同じように興味を示してしまいました。
これはまるで、私たち人間が好みや直感を失ってしまった状態に似ているかもしれません。
扁桃体はもともと、恐怖や不安などの「ネガティブな感情」を処理する脳の部位として広く知られていました。
ところが最近の研究からは、扁桃体が単に恐怖だけではなく、「好き」「魅力を感じる」「この人と関わりたい」といった積極的な社会的な感情の調整にも関わっていることが分かりつつあります。
今回の結果はさらに踏み込み、扁桃体が「誰を先生にするか」という模倣学習に欠かせない重要な役割まで担っていることを示した画期的な発見です。
またこの発見は、小さな鳥だけの話ではありません。
人間を含む他の動物たちにも、「誰かの真似をして何かを学ぶ」という文化伝達の仕組みが広く存在します。
つまり今回のキンカチョウの研究結果は、私たちが無意識に先生を選ぶ際の心の動きや脳の働きを理解するための重要なヒントになる可能性があります。
もちろん、この研究で分かったのは先生選びの脳の仕組みの一部であり、他にも多くの要素や脳の部位が関係していると考えられます。
今後、さらに研究が進めば、私たち人間が何かを学ぶときに感じる「この先生なら学びたい」という気持ちや、その判断がどのように行われているのか、もっと詳しく分かるかもしれません。
今回のキンカチョウの発見を通じて私たちが学ぶべき最も重要なことは、文化や技能を次世代に受け継ぐための「先生選び」は、単なる知識や技術の問題ではなく、「社会性」という私たちの本能的な感情と切り離せないものだということなのかもしれません。
参考文献
歌の先生を選ぶために働く脳の仕組みの解明にむけて手がかり
https://www.waseda.jp/inst/research/news/81035
元論文
The Amygdala Regulates Social Motivation for Selective Vocal Imitation in Zebra Finches
https://doi.org/10.1523/JNEUROSCI.2435-24.2025
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部