もし1日1時間、音楽を聴くだけで耳の聞こえが良くなるとしたら、それは魔法ではなく、科学のおかげかもしれません。
広島大学の研究グループは、感音性難聴を抱える人々が「高音域の音楽」を毎日短時間聴くだけで、脳の聴覚中枢が活性化し、特に騒がしい場所での聞き取り能力が改善されることを明らかにしました。
補聴器に頼らず、家庭でできる新しいリハビリ手法として期待が高まっています。
研究の詳細は2024年12月6日付で科学雑誌『Biology』に掲載されました。
目次
- 会話が聞き取りづらい「感音性難聴」とは?
- 「高音の音楽を聴く」と脳が活性化した!
会話が聞き取りづらい「感音性難聴」とは?

日本では高齢化の進行とともに「感音性難聴」を抱える人が増えています。
感音性難聴とは、耳の奥にある「蝸牛(かぎゅう)」や「聴神経」、さらには脳の聴覚中枢などに障害が起こることで音の感知や認識が低下するタイプの難聴です。
このタイプの難聴では、単に「音が小さい」だけではなく、「音は聞こえても言葉がはっきり聞き取れない」という症状が現れます。
特に騒音下では、会話内の言葉がぼやけてしまい、相手の話す内容を理解するのが難しくなります。
その結果、聞くことに集中しすぎて疲労を感じたり、会話を避けるようになってしまったりと、社会的孤立や認知機能の低下につながる恐れもあるのです。
従来の対策として補聴器の使用が一般的ですが、以下のような課題があります。
・長時間の装着が不快
・音がうるさすぎて疲れる
・装着そのものへの心理的抵抗
このような背景から、補聴器に代わる新しい聴覚リハビリ手段の開発が求められていたのです。
そこで注目されたのが「音楽による脳への刺激」です。
とくに「高音域」に着目した音響療法が、脳の聴覚処理を活性化させる可能性に光が当たってきました。
「高音の音楽を聴く」と脳が活性化した!
研究チームは今回、感音性難聴のある40人を対象に、1日1時間の音楽視聴を35日間続けてもらう実験を行いました。
使用されたのは、2kHz~8kHz以上の高音域を明瞭に再生する「高明瞭化音響デバイス」です。

このデバイスから流れる音楽には、歪みが少なく、聴覚中枢への刺激に適した「明瞭聴取音(IH音:高音域を強調し歪みを抑えた高精細音)」が使われました。
被験者は大きく「音楽療法を受ける実験群」と「音楽療法を受けない対照群」に分けられています。
そして35日間の音楽視聴後、「騒音下語音聴取テスト」を実施したところ、音楽療法を受けた実験群では、騒音下でも言葉の聞き取り能力が有意に向上していることがわかりました。
特に注目すべきは「もともと会話の聞き取りが苦手だった人ほど、改善の幅が大きかった」という点です。
つまり、聴覚のハンディが大きい人ほど、この音響療法の恩恵を受けやすいことが示されています。
さらに脳活動の測定では、聴覚中枢における神経活動が活性化していることが明らかになりました。
具体的には、脳の音処理の初期反応を示す指標が増大していたり、注意機能や音声識別に関わる脳の反応が強化していたのです。
これらのデータは、音楽視聴が単なるリラックス効果以上に、脳の聴覚処理機能そのものを改善している可能性を示しています。
またこの効果は年齢に関係なく広く見られたことから、若年者から高齢者まで幅広い層に有効であると考えられています。

今回の研究は、補聴器を使わなくても、日常生活の中で自然に行える「聴覚リハビリテーション」の新たな可能性を示しました。
今後の研究では、次のような点が検証されていく予定です。
・最適な音楽の種類や聴取時間の設定
・補聴器との併用による相乗効果
・効果の持続性や長期的な変化
・実生活での聞こえの満足度
さらに、高明瞭化音響技術を用いたパーソナル音響デバイス(例:COMUOON pocket)の改良も進められており、自宅での利用も現実的なものとなっています。
参考文献
1日1時間高音域の音楽を聴くだけで難聴者の脳が活性化し、 聞き取り能力が改善することが判明 ~新しい聴覚リハビリ手法として期待~
https://www.hiroshima-u.ac.jp/news/90995
元論文
Intelligibility Sound Therapy Enhances the Ability of Speech-in-Noise Perception and Pre-Perceptual Neurophysiological Response
https://doi.org/10.3390/biology13121021
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部