自分の体から意識が抜け出すような体外離脱体験(Out-of-Body Experience: OBE)は、これまで精神疾患に伴う現象、いわば「病気のサイン」と考えられがちでした。
しかし、アメリカのバージニア大学(UVA)で行われた研究によって、体外離脱体験は必ずしも精神病理の表れではなく、むしろ心がストレスやトラウマから身を守るための適応的な反応である可能性が示唆されています。
この発見は、「不思議な体験=異常」という従来の考え方に一石を投じ、体験者への接し方や治療のあり方を見直す契機となりそうです。
研究内容の詳細は『Personality and Individual Differences』にて発表されました。
目次
- なぜ幽体離脱は誤解されてきたのか
- “病理ラベル”を剥がす瞬間
- 体外離脱は“心のエアバッグ”だった
なぜ幽体離脱は誤解されてきたのか

自分の身体を離れて宙に浮かぶような感覚――そんな体外離脱体験は古くから報告されています。
日本では幽体離脱というオカルト用語のほうが有名ですが、いわゆる幽体離脱も医学的には体外離脱体験(OBE)と考えられています。
医療や心理の分野では、解離性障害(ストレスやトラウマに対処するため意識が分離する障害)や統合失調症などいくつかの精神疾患で見られる症状として体外離脱体験が語られてきました。
また、体外離脱体験者には身体イメージのゆがみや現実感の喪失など解離症状の傾向が高いとの指摘もあります。
一方で、体外離脱体験そのものが直ちに「心の病」を意味するわけではないとの見解も以前からありました。
例えば、1980年代の調査では体外離脱体験者の約55%が「人生が変わった」と答え、71%が「長く続く恩恵を得た」、40%に至っては「人生で最高の出来事だった」と感じていたという報告もあります。
さらに多くの体験者が、「死の恐怖が薄れた」「心の平穏が増した」といった前向きな変化を口にしています。
つまり、体外離脱体験にはポジティブな側面もあり、必ずしも本人に害を及ぼす経験ではないのです。
とはいえ、医学的には「体外離脱体験=病的」という偏見やスティグマ(烙印)が根強く、本人も周囲もそれを語りたがらない傾向がありました。
実際、「体外離脱を体験するのは自分がおかしい証拠だ」と思い込み、周囲に知られることを恐れて隠してしまう人も多いといいます。
米バージニア大学医学部のMarina Weiler博士(神経科学者)も「残念ながら、多くの精神保健の専門家も同じように捉えています」と指摘しています。
Weiler博士ら研究チームは、こうした状況を踏まえ、「果たしてOBEは本当に病の兆候なのか?」という疑問を検証することにしました。
研究の狙いは体外離脱体験者の精神的な健康状態を客観的に評価し、一般の非体験者と比べて遜色ないかどうかを確かめることでした。
もし体外離脱体験者のメンタルヘルスが非体験者と大差ないと示されれば、「体外離脱体験=病理」という単純な図式に疑問を投げかけることになるでしょう。
“病理ラベル”を剥がす瞬間

体外離脱は本当に精神的な「病気」なのか?
答えを得るため研究チームは18歳以上の計545名(体外離脱体験者256名+非体験者289名)を対象にオンライン調査を行いました。
まず「あなたはこれまでに体外離脱体験をしたことがありますか?」という質問でグループ分けし、全員にこれまでの精神疾患の診断歴や治療歴、さらには子ども時代のトラウマ体験などについて詳細に回答してもらいました。
また体外離脱体験者には初めて体外離脱を経験した年齢やその頻度、状況(睡眠中、薬物影響下、瞑想中など)についても尋ねています。
その結果、体外離脱体験の初体験年齢は平均20歳前後(20±9.4歳)であり、比較的若い年齢で経験する人が多いことがわかりました。
各人の体外離脱発生頻度は「生涯で1~4回程度」が8割を占め、大半は特に誘因もなく突然起こるタイプ(約74%)でした。
意外なことに薬物や瞑想など意図的に引き起こしたという人はごく少数でした。
肝心の精神的健康度については、いくつかの指標でグループ間に差が見られました。
例えば、心理的ストレスを測る20項目の自己評価質問票(SRQ-20:スコア7以上が臨床的に有意とされる)では、体外離脱体験者の約53%が臨床的に有意なストレスレベル(スコア7以上、論文Table 3)に該当したのに対し、この臨床域に該当した非体験者は44%でした。
さらに、何らかの精神疾患の診断を受けたことがある人の割合は、体外離脱体験者で32%、非体験者では22%と有意に体験者グループの方が高率でした。
社会生活への適応度や解離症状(Dissociative Experiences Scale–Taxon: DES-T。解離症状の程度を測る尺度)の程度についても、統計的には体外離脱体験者のほうが明確に悪い傾向が示されています。
研究チームは当初「体外離脱体験者のメンタルヘルスは非体験者と遜色ない(劣っていない)はずだ」という仮説を立てていましたが、データは残念ながらその仮説に反する結果となりました。
つまり、数字の上では体外離脱体験者のほうが精神的な不調や診断歴が明確に多いことが分かりました。
しかし注目すべきは、そうした心理的な不調と並行して、体外離脱体験者には子ども時代のトラウマ(心的外傷)経験が多いことも明らかになった点です。
調査した幼少期の虐待や心的ストレスに関する質問票のスコアは、体外離脱体験者グループで有意に高く、幼少期に深い悲しみや苦痛を経験している人が多い傾向が示されました。
これは、体外離脱体験がそうした過去の心的外傷と何らかの関係がある可能性を示唆するものです。
また、体外離脱体験者では初めて体外離脱を体験してからの経過時間が短いほど現在の心理的ストレスが高い傾向も指摘されました。
言い換えれば、最近になって体外離脱を経験した人ほど、心の不調を抱えている割合が高かったのです。
このことから研究チームは、「体外離脱それ自体が人を病ませている」というより、むしろ「心が不調なとき・傷ついたときに体外離脱が起きやすい」のではないかと考察しています。
体外離脱は“心のエアバッグ”だった

Marina Weiler博士は今回の知見について、「私たちの発見は、体外離脱体験が過去のトラウマに対する対処メカニズムとして機能している可能性を示唆しています。」と説明します。
研究チームはさらに、OBEそのものが精神疾患を引き起こす原因というよりも、過去の辛い経験から自分を守るために心が無意識にとる対処手段となっている可能性を指摘しています。
実際、幼少期に深い心の傷を負った人が大人になってからフラッシュバックや解離症状を示すことがありますが、OBEもそれに近い「解離的な対処反応」と位置付けられるかもしれません。
研究チームは論文の中で「この見方に立てば、体外離脱体験を原因と捉えるのではなく、困難な体験を乗り越えるための結果として捉え直すことになる」と述べています。
この再解釈は単に学術的な議論に留まりません。
もし体外離脱体験が病的症状ではなく心の適応的な反応だと理解されれば、臨床現場や研究の方向性、そして社会の受け止め方まで大きく変わる可能性があるとWeiler博士は強調します。
従来、体外離脱体験を打ち明けられても多くの専門家は「それは病気の兆候だ」と受け止め、場合によっては症状として抑え込もうとしたかもしれません。
しかし今後は、体外離脱体験そのものを否定的に捉えるのではなく、その背景にあるストレスやトラウマに目を向けたケアが重要になるでしょう。
Weiler博士もまた、体外離脱体験を巡る偏見(スティグマ)を減らし、体験者が支援を受けやすくなるよう社会的な理解を促す必要性を訴えています。
体外離脱体験についてオープンに語れる空気が生まれれば、体験者どうしがお互いを支え合いながら心の回復力(レジリエンス)を高めていくことも期待できます。
研究チームは、本研究の結果を踏まえて、今後さらに追試や質的研究を行い、体外離脱体験の多様な側面を明らかにしていく必要性を強調しています。
体外離脱体験は決して珍奇な現象や狂気の兆候ではなく、人間の心が極限状態で編み出すひとつのサバイバル戦略なのかもしれません。
この新たな視点が、多くの人々にとって体外離脱体験の謎に光を当て、偏見なく語り合えるきっかけになることが期待されます。
元論文
Are out-of-body experiences indicative of an underlying psychopathology?
https://doi.org/10.1016/j.paid.2025.113292
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部