朝、憂うつな気分で職場に向かう。会議中も心ここにあらず。仕事の質も量も思うようにいかない。
社会人になると、そんな経験をすることが少ないないでしょう。
しかし、それが社会全体に与える影響となるとどうでしょうか?
このほど、横浜市立大学大学院の最新研究で、働く人々のメンタル不調が日本全体で年間約4.8兆円もの経済的損失を生み出していることが明らかになりました。
これは国内総生産(GDP)の約1.1%に相当し、精神疾患の医療費の7倍にものぼります。
社会人の“心の不調”は、これほどまで日本経済を蝕み得る危険なものなのです。
研究の詳細は2025年5月28日付で学術誌『Journal of Occupational and Environmental Medicine』に掲載されています。
目次
- 見えない損失「プレゼンティーズム」の脅威
- 調査で見えた驚くべき「経済損失の大きさ」
見えない損失「プレゼンティーズム」の脅威
これまで、職場のメンタルヘルス問題が経済にどれほど影響を与えているのかを全国レベルで定量的に示す研究は限られていました。
多くの先行研究は、診断名ベース(例:うつ病と診断された人)での分析が中心であり、医療機関を受診していない人々の状態までは捉えきれていなかったのです。
特に注目されているのが「プレゼンティーズム(Presenteeism)」と呼ばれる現象です。
これは出勤こそしているものの、心身の不調によって通常のパフォーマンスを発揮できない状態を指します。
一見、仕事をしているように見えるため、企業や社会における損失としては軽視されがちですが、実際には欠勤(アブセンティーズム)よりも遥かに大きな影響を与えていると考えられています。

厚生労働省による調査では、日本の労働者の約8割が「仕事に関連する強い不安やストレスを感じている」と回答しており、ストレスチェック制度も2015年から法制化されました。
しかし現場での対策は進んでおらず、特に中小企業では対応が遅れているのが現状です。
その理由のひとつは、「メンタル不調が実際にどれほどの損失を生んでいるのか」が定量的に示されていなかったことにあります。
調査で見えた驚くべき「経済損失の大きさ」
研究チームは今回、この課題に真正面から取り組みました。
研究では、全国の労働者2万7,507人を対象に、性別・年齢・地域ごとに層化抽出を行い、インターネット調査を実施。
調査では「気分が沈む」「眠れない」といったメンタル不調の有無を尋ね、症状がある場合には、その期間中の仕事の「量」と「質」の低下を自己評価してもらいました。
この情報をもとに、プレゼンティーズムとアブセンティーズムによる年間の「損失日数」を算出し、性別や年齢別の平均賃金などと組み合わせて経済的損失額を推計しています。
その結果、プレゼンティーズムによる経済的損失は約4.67兆円、アブセンティーズムによる損失は約0.19兆円。
合計すると、日本全体で年間約4.8兆円という莫大な損失が明らかになったのです。
特に20~30代の女性でメンタル不調の報告率が高く、若年層の女性に対する対策の必要性も浮き彫りになっています。
さらに興味深いのは、プレゼンティーズムの損失額がアブセンティーズムの25倍以上に達していた点です。
これは日本社会において「体調が悪くても休みにくい」という職場文化が影響しているとみられています。

本研究は、メンタルヘルス対策が単なる個人の健康管理ではなく、社会全体の経済的課題であることを強く示唆しています。
厚生労働省や経済産業省では「健康経営」や「働き方改革」を推進していますが、今回の研究結果はその重要性を裏付けるものです。
実際、世界保健機関(WHO)の報告では「うつ病や不安障害への治療への1ドルの投資は、健康と生産性の改善によって4ドルのリターンをもたらす」とされています。
今後は、企業による早期介入の体制づくり、メンタル不調のスクリーニング、柔軟な働き方の導入など、多層的な対策が求められます。
また医療機関と職場が連携し、不調を感じた段階での支援や復職支援の充実も不可欠となるでしょう。
参考文献
メンタル不調の影響、年間4.8兆円の生産性損失に—GDPの1.1%に相当と試算
https://www.yokohama-cu.ac.jp/news/2025/20250611hara.html
元論文
The impact of productivity loss from presenteeism and absenteeism on mental health in Japan
https://doi.org/10.1097/JOM.0000000000003431
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部