「平和の宗教」と呼ばれる仏教が、国家と手を組んだ瞬間に“暴力の化身”へと姿を変える――そんな逆説を、シンガポールの南洋理工大学(NTU)で行われた研究によって浮き彫りにされました。
研究ではミャンマーやスリランカ、タイなど仏教徒が多数派を占める国々では、仏教を特別に優遇する政治体制(国家による特定宗教への肩入れ)が一部僧侶や在家の“自警団”を勢いづけ、宗教的少数派への暴力につながっていることが示されています。
逆にシンガポールのようにいかなる宗教も優遇しない原則を貫く国では、同じ東南アジア地域でも仏教徒による宗教暴力はほとんど起きていません。
この研究論文は、仏教過激派による暴力の背景に「国家と宗教の危険な蜜月」があることを実証的に示し、宗教と政治の関係性こそが鍵だと指摘しています。
研究は国家が多数派宗教と距離を取ることこそ平和への近道だと示唆していますが、本当に宗教優遇を手放せば暴力の火種は鎮まるのでしょうか?
研究内容の詳細は『International Security』にて発表されました。
目次
- 仏教暴力の“見落とされた謎”に挑む
- “平和の宗教”が戦闘モードになる瞬間
- 宗教を守るはずが社会を壊す――特権政策のブーメラン
仏教暴力の“見落とされた謎”に挑む

近年、世界各地で宗教に起因する憎悪犯罪やテロ、紛争が相次ぎ、宗教的暴力がグローバルに増加しています。
とりわけ9・11以降はイスラム過激派の暴力に注目が集まりがちでしたが、キリスト教やヒンドゥー教、ユダヤ教など他宗教の過激主義にも関心が広がりつつあります。
一方で、主要な宗教の中でも仏教の暴力についてはこれまで相対的に研究の注目度が低く、体系的な分析が不足していました。
仏教は一般に慈悲や非暴力を重んじる穏やかな宗教というイメージが強く、そうした固定観念(いわゆる「平和的オリエンタリズム」)ゆえに、宗教と暴力を論じる理論の中で仏教は「例外」とみなされがちだったのです。
実際、仏教教義では殺生を禁じる「不殺生」が基本とされ、歴史的にもダライ・ラマや禅の平和思想など平和的側面が強調されてきました。
しかし現実には、仏教の歴史にも暴力の事例は存在します。
古くは6世紀の中国で「敵を殺せば菩薩になれる」と讃えられたり、中世日本の「僧兵」やタイの聖者による反乱、第二次大戦時の日本で禅僧が戦意高揚に寄与した例もありました。
そして現代においても、21世紀に入って仏教徒が多数派を占める11か国のうち実に8か国で、仏教徒による少数派への迫害やテロ事件が起きています。
例えばスリランカ内戦ではシンハラ仏教至上主義が影を落とし、ミャンマーでは過激な僧侶がイスラム系ロヒンギャ住民への憎悪を煽り「大量虐殺の疑い」とされる規模の迫害に発展しました。
またタイ南部の紛争やチベット騒乱(2008年)では、仏教徒が関与する暴動で多数の死者が出ています。
このように「仏教にも暴力的な一面がある」こと自体は指摘されてきましたが、「なぜある場所では仏教が暴力化し、他の場所ではそうならないのか」について体系的に解明した研究は少なかったのです。
今回注目の研究論文は、この疑問に答えるために行われました。
シンガポール南洋理工大学のニレイ・サイヤ准教授とストゥティ・マンチャンダ博士ら研究チームは、「仏教が暴力に転じる背景には宗教と国家の関係が深く関与しているのではないか」と仮定しました。
彼らの研究目的は、仏教徒過激派による暴力の発生メカニズムを解明し、宗教と政治の制度的な関わり(政教関係)が暴力に与える影響を検証することでした。
“平和の宗教”が戦闘モードになる瞬間

研究チームはまず仏教徒多数国における宗教暴力の実態を数量的に調べ、さらに代表的なケースとしてミャンマー、スリランカ、タイ、シンガポールの詳細な事例研究を行いました。
その結果浮かび上がったのは、「仏教と国家が密接に結びついている国ほど仏教徒による暴力が起きやすい」ということが統計的に示されました。
サイヤ氏らはこの現象を「特権のパラドックス」と表現しています。
つまり、本来は非暴力を説く仏教が、国家から特別扱い(特権的な地位)を与えられると逆に暴力を誘発してしまうという逆説です。
具体的には、国教やそれに準ずる形で仏教を優遇する政府のもとでは、一部の強硬派僧侶や仏教徒グループが自らを“宗教の守護者”たる自警団とみなし、少数派住民に対する差別や攻撃を正当化しやすくなることが分かりました。
国家が仏教を庇護・推進する姿勢を見せることで、過激派は「政府のお墨付きがある(お咎めはない)はずだ」と感じ、異教徒や少数派に対する暴力行為に踏み切りやすくなるのです。
実際、ミャンマーでは政府が憲法で「仏教の特別な地位」を規定し、強硬派僧侶の集団がイスラム系少数民族に対する排斥運動を公然と展開しました。
仏教至上主義を掲げる僧侶たちは、自らを「仏教国家を守る正義の団」と称してモスクの焼き討ちや住民への集団暴行を扇動し、多数の死傷者と難民を生み、当局も当初は十分にこれを取り締まりませんでした。
その結果、2010年代にはロヒンギャ危機と呼ばれる大量虐殺・難民発生という悲劇に至ったのです。
スリランカでも政府が「仏教に最も尊い地位を与える」と憲法で定め、多数派シンハラ仏教徒の民族宗教ナショナリズムが助長されてきました。
その下地のもとで仏教強硬派グループが台頭し、内戦終結後の近年にはイスラム系やキリスト教系の少数派住民を狙った暴動(寺院や教会の破壊、殺傷事件など)が繰り返し起きています。
タイも2017年憲法第67条でテーラワーダ仏教の保護を明記し、事実上多数派仏教を国のアイデンティティに位置付ける傾向があり、長引く南部の宗教紛争では仏教徒住民とイスラム教徒住民の対立が深刻化しました。
こうしたケーススタディから浮かぶ結論はシンプルです。
「国家が仏教を優遇すると、その特権意識が過激派に“お墨付き”を与え、暴力の引き金になる」ということです。
研究者たちは「宗教優遇策には暗い影の部分があり、それが多数派の自警団に少数派攻撃の口実を与えてしまう」と述べています。
優遇されている側の過激な僧侶や民間人は、自らの暴挙を「国家と仏教を守るための正当な行動」と主張しますが、その結果、生じるのは社会の分断や秩序の破壊です。
実際、ミャンマーやスリランカでは政府自身が煽った宗教対立が手に負えなくなり、後になって沈静化を図ろうとする事態に陥りました。
統計モデルでは、国家の“仏教優遇スコア”が1ポイント上がるごとに、暴力事件が 31~56 % 増えると推定されています。
仏教優遇スコアとは?
研究チームが使った 「仏教優遇スコア(Buddhist Favoritism Score)」 は、以下の8 つのチェック項目が当てはまるごとに1ポイントプラスされ、合計 0〜8 点で判断されます。点数が高いほど「国家と仏教の蜜月度」が強いことを示します。
1. 憲法が仏教を優遇される宗教として認めている
2. 仏教に他宗教には与えられていない特権がある
3. 政府が仏教に資金やその他で明らかな優遇措置をしている
4. 政府が教育において仏教に明らかな優遇措置をしている
5. 政府が仏教の宗教的財産に明らかな優遇措置を提供している
6. 政府が教育や財産以外の仏教の宗教的活動に明らかな優遇措置をしている
7. 公立学校で仏教の宗教教育が義務付けられている
8. 政府が法的判断で仏教の権威、経典、教義を何らかの形で採用している
研究ではこの簡易な判断であっても-3 σ 〜 +3 σ 程度の分布が得られ、回帰分析で十分なばらつきが確保できることが示されました。
一方、国家がどの宗教も特別扱いしない場合には、同じ仏教徒多数の社会でも暴力の芽が大きく抑えられることも明らかになりました。
シンガポールはその顕著な例です。
シンガポールは人口の3割以上が仏教徒という国ですが、政府は建国以来一貫して政教分離と全宗教の平等を厳格に守ってきました。
憲法第12条で「宗教を理由とする差別の禁止」を、第15条で「信教の自由(いかなる宗教でも信仰・実践し布教する権利)」を保証し、実際に政府はどの宗教にも公式な優先権を与えず、厳格な政教分離と監督制度で横並びを維持しています。
また宗教ではなく「シンガポール国民」であることを共通のアイデンティティと位置づけ、多民族・多宗教社会の調和を図っています。
その結果、驚くべきことにこれだけ宗教的多様性に富む小国で深刻な宗教対立が生じることなく、むしろ宗教間の平和と安定が保たれているのです。
統計的にもシンガポールでは宗教に関連する社会的敵対行為が非常に低い水準にあり、多くの国民が「多様性が社会を豊かにする」と感じています。
このように国家が特定宗教を優遇しない環境では、仏教徒が暴力に走る動機も正当化も生まれにくいことが実証されたのです。
宗教を守るはずが社会を壊す――特権政策のブーメラン

今回の研究は、仏教国における暴力の問題を通して、宗教と国家の関係が宗教平和に与える影響を浮き彫りにしました。
そのメッセージは仏教にとどまらず一般化できます。
「どの宗教も状況次第で暴力化し得る」という点です。
決して仏教そのものが他宗教より暴力的だということではなく、逆にどんな平和的教えの宗教でも、国家権力と結びつけば過激化する可能性があるのです。
重要なのは宗教の教義そのものよりも、それを取り巻く政治的環境だと著者らは強調しています。
サイヤ准教授は「平和を維持するつもりで多数派宗教を優遇すると、皮肉にもそれが暴力の火種になることがある」と指摘します。
政府としては多数派宗教を厚遇することで国民の結束や政権の正統性を高め、紛争を防げると考えがちですが、現実には特権を与えられた宗教勢力が暴走し、社会の安定を損ねてしまう「逆効果」が見られるのです。
今回の実証結果は、この「宗教特権の逆効果」を具体的に示したものと言えるでしょう。
では解決策は何でしょうか。
研究チームは、宗教間の平和と安定を図る政策として政教分離と信教の平等・自由を挙げています。
具体的には、以下のような原則に基づく社会制度が望ましいと提言しています。
政教分離:政治権力と宗教組織を明確に分離し、国家が特定の宗教に肩入れしない。
宗教間の平等:歴史的に優勢な宗教であっても他の宗教と同等に扱い、法制度上の特権を認めない。
信教の自由:すべての市民に信仰の選択・実践の自由を保障し、どの宗教にも改宗や布教の権利を認める。
研究者らは「国家は宗教と国家を切り離し、多様な信仰を平等に扱う政策を追求した方が、結果的に安定に資する」という趣旨を述べています。
これは宗教的寛容(トレランス)の重要性を説く近年の知見とも合致します。
実際、宗教の自由度が高い社会では過激思想が公開の議論で批判に晒されやすく、過激派が支持を集めにくい傾向があります。
逆に政府が弾圧的すぎても地下に潜って過激化する恐れがありますが、少なくとも「一宗教を公然と優遇する」体制は多宗教社会に不和と暴力をもたらすリスクが高いと言えるでしょう。
本研究は、仏教を題材に「宗教と国家の関係性」が宗教平和の鍵を握ることを明らかにしました。
仏教に限らず世界各地で台頭する宗教ナショナリズムに対し、安易に多数派宗教と政権が結託することの危うさを示唆するものです。
著者らは「宗教と国家の同盟関係が本当に有益なのか、当事者たちが再考することが望まれる」と述べています。
宗教的熱狂が政治権力と結びついて暴力という牙をむく現象は、21世紀に入って顕著となった宗教暴力増加の一因とも指摘されています。
本来は人々の心の支えであるはずの宗教が「武器」と化す皮肉なパラドックスを克服するためには、国家が宗教と適切な距離を保ち、多元的な社会の中で信仰の自由と平等を保障していくことが不可欠と言えるでしょう。
これは仏教圏のみならず、世界の平和と安定に向けた重要な示唆です。
研究者らの発信するこのメッセージは、今後の宗教政策や国際安全保障の議論に一石を投じるものです。
元論文
Monks Behaving Badly: Explaining Buddhist Violence in Asia
https://doi.org/10.1162/isec_a_00510
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部