仕事がうまく続かない。すぐに集中が切れて、失敗してしまう。職場のルールや人間関係がどうしてもなじめず、自信をなくしてしまう──。
こうした「働きづらさ」は、誰にでも起こりうるものです。しかし中には、その背景にADHD(注意欠如・多動症)という脳の特性が関係している場合があります。
ADHDは、子どもの問題として語られることが多いですが、近年は大人になってその影響に苦しむ人も広く認識されるようになっています。
そして2025年に発表されたデンマークの研究では、ADHDを持つ人が30歳を迎えたとき、雇用や教育、健康など多くの面で社会的に不利な立場に置かれていることが明らかになりました。
この研究は、デンマークのコペンハーゲン大学(University of Copenhagen)などの研究チームによって行われ、2025年1月に科学雑誌『Journal of Psychiatric Research』に掲載されました
目次
- なぜADHDのある人は、働きづらくなるのか?──調査の背景と方法
- 雇用率は35%、学歴も収入も低水準──ADHDが成人後に残す社会的な影響
なぜADHDのある人は、働きづらくなるのか?──調査の背景と方法
ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder:注意欠如・多動症)は、不注意、衝動性、多動性といった特性を持つ神経発達症のひとつです。
子どもの頃には、授業中にじっと座っていられなかったり、順番を待つのが苦手だったり、人の話を最後まで聞かずに割り込むといった行動として表れることが多くあります。また、宿題や忘れ物の管理が難しい、気が散りやすく集中が続かないといった特性も見られます。
一方で、成人になってからADHDと診断されるケースも珍しくありません。大人になると、こうした特性は形を変えて、仕事の納期が守れない、会議中に話の流れを追えない、人間関係で衝動的な言動をしてしまうなどの問題として現れます。
これらの症状によって、ADHDのある人は職場での評価が低くなったり、失業や転職を繰り返したり、金銭管理がうまくいかないといった社会的な不利益を被ることがあります。また、こうしたことから自己肯定感の低下やうつ、不安といった二次的な心理的困難に悩まされることも少なくありません。
近年、こうした大人のADHDについてよく耳にするようになり、彼らの就労や人間関係で困難を抱えることは広く語られています。しかし、それらの多くは体験談や印象に基づくもので、科学的に実証されたデータは限られていました。
そこで今回の研究は、全国レベルの行政データを用いて、ADHDのある若年成人が実際に就労や教育の面でどのような不利益を受けているのかを明らかにすべく調査を行ったのです。
調査では、1995年〜2016年の間にADHDと診断された、30歳未満の成人したデンマーク国民4,897人を対象に、その社会的な状況を追跡しました。
そして対象者が30歳に達した時点での就労状況、学歴、医療費、精神疾患の有無などを総合的に分析し、同じ年齢・性別・地域に住む18,931人の一般市民と比較しました。
研究では、ADHDと診断された時期(18歳未満で診断されたグループと、18〜30歳で診断されたグループ)で参加者を分類したうえで、主に雇用率(employment rate)」にどのような違いが生じるかが分析されました。
なお、研究で用いられている「雇用率」は、一般的な意味での「職についているかどうか」ではなく、その年における主な収入源が労働によるものであるかどうかで判定されています。
フルタイムかパートタイムかは問わず、主たる収入が労働によるものであれば就労とみなされます。この定義に基づき、ADHDのある若年成人が、どれほど労働市場に参加できているのかが分析されました。
大人のADHDは、仕事上の困難や、就職・面接において不利になる可能性がよく指摘されていましたが、実際数値として調べた結果はどうなったのでしょうか?
雇用率は35%、学歴も収入も低水準──ADHDが成人後に残す社会的な影響
結果として明らかになったのは、ADHDがある人は社会的に大きな不利を抱えているという事実です。
まず、30歳時点での就労率はわずか35.5%。同年齢層の一般の人々では74.3%が就労しており、実に倍以上の開きがありました。
また、ADHDのある人は教育面でも苦労しており、約半数が初等教育(日本の中学校相当)で学業を終えている一方、一般市民の多くは職業訓練や高等教育を修了していました。
さらに深刻なのは、精神疾患(うつ病、不安障害、薬物依存など)との併発率が非常に高いことです。
ADHDと診断された人のうち、約70%が何らかの精神疾患を併発しており、それが就労や学業の達成をさらに難しくしている可能性が示唆されました。
興味深いのは、早期に診断された人のほうが、より良好な社会的成果を得ているという点です。18歳未満で診断された人の就労率は47.6%とやや高く、精神疾患の併発率も低めでした。
一方で、20代以降に診断された人の多くは、既に精神的・社会的に困難な状況に陥っており、その後の回復が難しいケースが多いことがわかりました。
今回の研究で分析された、「主たる収入が労働によるものではない人」の中には、こうした精神疾患が重症となり「障害年金や生活保護などの社会保障」で暮らしている人も含まれます。
加えて、学生などまだ就労する必要のない人たちも含まれるため、全てが働きたいのに働けない人たちを指しているわけではありませんが、それでも一般の雇用率約74%とADHDの約35%という開きは注目すべきものです。
また、21〜30歳の間にADHD治療薬を継続的に服用していた人についても分析が行われましたが、投薬治療が雇用や学歴に対して有意な改善をもたらす証拠は見つかりませんでした。
これは、「薬に効果がない」ということではなく、注意力や衝動性といった症状を軽減する助けにはなる一方で、就労や学業の成果といった社会的な結果を改善するには、不十分な可能性を示唆するものです。
つまり症状が軽度であったり、軽減されたとしても、会社の雇用等ではなかなか受け入れてもらないというのが、現在のADHDの人たちを取り巻く社会的状況なのでしょう。
ADHDという“見えにくい壁”に、社会がどう向き合うべきか
この結果にはデンマークという国の特性も関係しているかもしれません。
北欧諸国は、税金が高い代わりに障害の有無にかかわらず、すべての国民に対して手厚い医療・教育・福祉の支援制度が整備されていることで知られています。
ADHDを持つ人が、必ずしも無理に働かなくても生活できるだけの社会保障を受けられる環境にあるため、就労率の差がより顕著に現れた可能性もあります。
しかしながら、日本でも近年、発達障害のある若者が就職や学業に困難を抱えやすいことは、本人の体験談や支援現場から繰り返し報告されています。
たとえ福祉制度に違いがあったとしても、ADHDの人が30歳時点で就労できない人が多いという問題は、日本においても決して“他人事”ではないということを、この研究結果は示唆しているのです。
「就職できない」「学校を卒業できない」という表面的な問題の背後には、こうした脳の特性の理解と、それをサポートできていない社会の構造が複雑に絡み合っています。
特に注目すべきなのは、早く診断され、適切な支援を受けた人ほど、その後の人生でより良い成果を出せているという点です。
これは、大人になってから投薬治療を受けた人にあまり改善が見られなかったことと併せて考えると、ADHDは単純な治療だけでなく、教育や就労の場における支援体制、理解ある人間関係、社会的な配慮といった多面的な支援が必要なことを示しています。
近年は世界的にADHDと診断されている人が増えていることが報告されています。こうした報告と併せて考えると、社会は上手く噛み合わない人を締め出すのではなく、社会全体でその支援、受け入れ方を考えることが求められていくでしょう。
参考文献
Adults with ADHD face long-term social and economic challenges, study finds — even with medication
Adults with ADHD face long-term social and economic challenges, study finds — even with medication
https://www.psypost.org/adults-with-adhd-face-long-term-social-and-economic-challenges-study-finds-even-with-medication/
元論文
Long-term effects of attention deficit hyperactivity disorder (ADHD) on social functioning and health care outcomes
https://doi.org/10.1016/j.jpsychires.2025.01.016
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部