水面の波がまるで映像を逆再生したように元の場所へ戻っていく――そんな信じがたい現象が実現しました。
フランスのESPCIパリ=高等物理化学産業大学校(ESPCI Paris-PSL)で行われた研究によって、マイナス21倍の逆方向の重力で衝撃を与えることで波の時間的の反転に成功しました。
研究者たちはこれを「瞬間タイムミラー(Instantaneous Time Mirror, ITM)」と呼んでいます。
この現象は視覚的にも明瞭であり、研究では重力を一瞬だけ“逆転”させるというシンプルな力学操作で、スマイルマークやエッフェル塔の波形までも見事に再現してみせました。
この時間反転鏡技術は未来をどのように変えていくのでしょうか?
研究内容の詳細は『Nature Physics』にて発表されました。
目次
- 空間ではなく時間に鏡を作る
- 水面を「21倍重力」で叩くと波が過去へ巻き戻る
- 重力の符号を反転すると時間も反転する?
空間ではなく時間に鏡を作る

波の時間反転(タイムリバーサル)という概念自体は以前から研究されてきました。
例えば音波や電磁波では、波を検出器で記録して逆再生し、元の発生源に再集束させる「時間反転ミラー」という手法が知られています。
しかし従来の時間反転実験には、波を拾う多数のセンサーやその信号を処理・再生する大掛かりな装置が必要でした。
特に水の表面を伝わる波(表面波)は、様々な波長成分が異なる速度で進む分散という性質や、水の粘性による減衰が強いために、時間反転による再集束が理論上は可能でも実験的には難しいと考えられてきたのです。
こうした中、フランスのESPCIパリ=高等物理化学産業大学校の研究チームは、空間と時間の対称性に着目したまったく新しいアプローチで波の時間反転に挑みました。
彼らの発想は、空間ではなく時間に「鏡」を作ることです。
すなわち、波が伝わっている媒質の性質をある瞬間に全空間で一斉にガラリと変化させることで、波を過去に送り返すというアイデアでした。
もしそれが実現できれば、煩雑なセンサーや電子機器を使わずとも媒質自体が“記憶装置”の役割を果たし、波をその場で逆転させられるはずです。
この大胆な発想に基づき提案されたのが「瞬間タイムミラー」という手法で、今回はその世界初の実験実証が行われました。
水面を「21倍重力」で叩くと波が過去へ巻き戻る

研究チームは水を張った水槽を用意し、水面にさまざまな波紋の「元」を作りました。
まず単純な点状の波源(ピンで水面を突く)によって同心円状の波紋を発生させ、次にスマイルマーク(ニコちゃんマーク)やエッフェル塔の形に配置した複数の波源によって複雑な波紋を作り出しました。
こうして水面全体に波が広がり、特に複雑な図形の場合はいったん元の形が判別できないほど波が乱れてしまいます。
ところが、波が十分広がったそのある瞬間に、水槽ごと下方向へ瞬間的にガクンと加速させます。
実験では、水槽を 約 2 ミリ秒だけ下向きに 21 倍の重力(−21G) で加速するとで、媒質に「時間の境界」を作り出しました。
この一瞬の衝撃(タイムミラー作動)によって、水槽を急激に揺らした瞬間、波の速さがガクッと変わり、外向きの波に重なるかたちで逆向きの波が生まれます。
(※マイナスの重力加速度で位相がずれて“巻き戻し用”の波成分が同時に現れます。)
つまり、水面には元の外向き波と新しく生まれた逆向き波が重なって広がります。
研究者らの高速撮影映像には、この様子がまるで波紋の映像を巻き戻しているかのように捉えられています。
実際、外側へ広がっていた波紋が逆向きの波となって中心へ収束し、最終的に波源のあった位置で再び波が盛り上がりました。
驚くべきことに、その波の形は最初に発生させた波紋の形とほぼ同一だったのです。
特にスマイルマークやエッフェル塔など複雑な形で顕著でした。
タイムミラー発動の瞬間、水面は複雑な干渉模様に覆われて元の模様はまったく見えなくなっていましたが、逆転波が再集束するにつれて次第に元の形が浮かび上がり、最後には初めに作ったスマイルやエッフェル塔の輪郭がくっきり蘇りました。
波が伝わって広がり切った後でも、情報が失われていなかったどころか、見事に元のパターンを再現できたのです。
研究チームは逆転後の波形について、初期の波との高い相似性を確認しています。
水の粘性による減衰で細部の振幅こそ低下するものの、本質的な形は非常に精度よく“巻き戻し”されました。
重力の符号を反転すると時間も反転する?

なぜこのようなことが可能なのでしょうか?
背景には、水面波の伝わる速さが重力に依存するという物理法則があります。
通常、水面にできる重力波・表面波の速度は重力加速度(G)や波長によって決まっています。
そこで水槽を約 2 ミリ秒だけ最大 21 G で下向きに加速すると、有効重力が一瞬マイナスになり、波の速さが大きく変わります。
重力より強い下向き加速度を一瞬かけることで、波の式に入る重力 の符号をひっくり返してしまうわけです。
すると波の形は保たれたまま、時間の流れだけが逆向きになったように振る舞います。
研究者たちは「元の波がまさに鏡で反射されたように振る舞う」と表現しています。
この瞬間タイムミラーの考え方は、水面波に限らずあらゆる波動に一般化可能だといいます。
重力の逆転が系内の波を反転させる効果があるという結果は、今後さまざまな分野で応用できます。
実際、理論的には音波や光波などでも媒質の屈折率や誘電率を全体に一斉に変化させることができれば、同様に時間反転した波を発生させられると考えられています。
鍵となるのは、扱う波の周期より十分に短い時間で媒質の特性を大きく変化させることですが、光のように振動が極めて高速な波では技術的ハードルも高く、現在はどの波でも水の実験ほど簡単にできるわけではありません。
それでも「時間反転対称性はあらゆる波動に普遍的に成立する」ことを今回の結果は示唆しており、この手法を応用した波の制御技術には大きな期待が寄せられています。
タイムミラーの応用
近年では「瞬間タイムミラー」で始まった“時間をいじる”アイデアは、水だけでなく光や音、電磁波へと一気に広がっています。
まず 2023 年、元祖の水面実験の続報では、レーザーで水面の立体的な動きを追いながら、巻き戻し波が元の波の“時間的な傾き”に当たることを数式と映像で突き合わせ、理論と実測のズレをほぼ解消しました。
同じ頃、ニューヨーク市立大学のチームはテラヘルツ帯のメタマテリアルを一瞬だけ屈折率ジャンプさせることで、入ってきた電磁パルスを“時間の壁”で跳ね返す現象を世界で初めて観測し、マイクロ波より高い周波数でもセンサーなしの時間反転が可能だと示しました。
光の分野では 2024 年、実際の材料で“フォトニック時間結晶”のバンドギャップを大きく広げる手法が報告され、フェムト秒レーザーで誘電率を周期的に揺さぶると、光そのものが「時間方向のブラッグ反射」を起こし、波長変換と時間反転を同時に操れる道が開けつつあります。
音の世界でも、時間的に急変させた弾性格子で「音波の時間屈折」が再現され、アコースティックメタマテリアルの設計図には“瞬時に媒質を切り替えて反射も透過も自由に決める”タイム・メタデバイスが重点項目として加わりました。
さらに、固体表面のプラズモンや量子ウォークのようなミクロな波でも、時間に境界を作るとトポロジカルな状態が切り替わることがわかり、時空の形と波の可逆性を結びつける研究が勢いを増しています。
録音してから巻き戻す時代を超え、波をその場で時間ごと折り返す技術へ――そんな大きな流れが見えています。
具体的な応用の道も進んでいます。
特に音波の時間反転は既に医療分野で研究が進んでおり、複雑な生体内でも超音波エネルギーを一点に集束させる手法として有望視されています。
従来はセンサーアレイで目標からのエコーを録音・反転再生する必要がありましたが、将来的には「瞬間タイムミラー」によってシンプルな装置で体内の病変部位へピンポイントに超音波を当てる、といった治療応用も夢ではないかもしれません。
また電波の世界でも、時間反転信号処理は通信において最適な信号生成や過去に発生した信号源イベントの再構築、高エネルギー波の空間集束などに役立つことが知られています。
今回の成果はこうした情報通信への応用にも新たな道を拓く可能性があります。
たとえば、一度失われた信号の時間的な“残響”から元の情報を復元したり、マルチパス環境で散乱した通信波を受信点に効率よく集めたりする、といったアイデアも考えられるでしょう。
研究チームによれば、この実験は波動がもつ可逆性の「魔法」を目で見て直感的に理解するための優れた教材にもなるといいます。
「瞬間タイムミラー」現象は、私たちの身の回りにある波のイメージを覆し、将来の波動制御技術に新風を吹き込むかもしれません。
元論文
Time reversal and holography with spacetime transformations
https://doi.org/10.1038/nphys3810
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部