午後3時、まぶたが鉛のように重くなり始めたころ――もし注射一本の“ビタミンB₁パワー”で目がシャキッと覚め、その勢いが数時間も続くうえに翌朝の寝不足感まで残らないとしたらどうでしょう。
筑波大学で行われた研究により、ビタミンB₁誘導体「TTFD(チアミンテトラヒドロフルフリルジスルフィド)」を投与された個体は、わずか10分で自発運動量が急増し、深い眠り(SWS)と夢を見る眠り(REM)がともに有意に減少した状態で活動を継続しました。
しかも夜が明けるころには総睡眠時間が大きく減ることもなく、“眠気の借金ゼロ”に近い覚醒プロファイルが得られたのです。
栄養素が脳の覚醒スイッチを押す――そんな未来のブースターは、本当に私たちの日常にも応用できるのでしょうか。
研究内容の詳細は『The Journal of Physiological Sciences』にて発表されました。
目次
- ラットで証明する超速覚醒
- 10分で覚醒、60分で再加速:ビタミンB1誘導体の特殊な覚醒パターン
- ビタミンB1誘導体はカフェインに代わる次世代ブースターになるか?
ラットで証明する超速覚醒

「運動しなきゃ」と思っていても、午後になると体も心も鉛のように重くてソファから動けない――そんな“やる気切れ”は、世界人口の約3割が抱える現代病とされています。
脳と筋肉は、スマートフォンでいえばバッテリーとCPUを同時に動かす設計で、どちらかのエネルギーが枯渇するとパフォーマンスが一瞬で落ちてしまいます。
ここで登場するのが“疲労回復のビタミン”として知られるビタミンB₁(チアミン)です。
100年以上前、フンク博士が白米食で脚気になったハトを救った逸話から始まり、ビタミンB₁は体内の燃焼サイクルを滑らかにする分子として活躍してきました。
近年、このビタミンの派生物が「脳内のガソリンタンク」までも満たすのではないかという報告が相次いでいます。
中でもTTFDは、通常のチアミンより吸収率が高く、血液脳関門を通過して前頭前皮質に到達しやすい化合物とされています。
過去の研究(Saiki et al., 2018)では、TTFDが前頭前皮質のドーパミン濃度を上げ、ラットの自発運動を増やすことが示されました。
そこで浮かんだ疑問は二つあります。
一つめは「この元気は筋肉がラクになったおかげなのか、それとも脳の覚醒スイッチが入った結果なのか」。
二つめは「覚醒を長時間伸ばした場合、普通は“眠気の借金”として後に強い疲労が来るはずだが、本当にツケは回らないのか」です。
栄養素が自然に覚醒を後押しするのであれば、従来にないパフォーマンスブースターになるかもしれません。
そこで研究者たちは、ラットにTTFDを投与し、脳波・筋電図・行動を同時に記録しながら、覚醒時間と睡眠構造、そして翌朝のリバウンド睡眠を精密に検証しました。
10分で覚醒、60分で再加速:ビタミンB1誘導体の特殊な覚醒パターン

実験では成体オスのラット6匹を用い、頭蓋に極小ネジ電極を装着して脳波(EEG)を、首筋にワイヤを挿入して筋電図(EMG)を記録しました。
ケージの四面に配置した赤外線センサーで自発運動をミリ秒単位で追跡しました。
まず全個体に生理食塩水を注射し、静かな標準状態を取得しました。
翌日、同じ時刻にTTFDを50 mg/kgの用量で腹腔内投与し、投与後10〜90分を主観測窓として解析しました。
投与約10分後、ラットの運動量が急増し、20分ほどで一度落ち着いたのち、60分付近で再びピークが現れる「二峰性パターン」が記録されました。
結果、90分間の総運動量は通常群の約3倍に達しました。
さらに同じ時間帯に脳波では覚醒を示す低振幅・高速波が増え、SWSは平均30%減少、REMは平均40%減少しました(n=6、p<0.05)。
覚醒時間と運動量の相関係数は0.80で、行動と脳状態が同期していることが確認されました。
さらにEEGを翌朝まで継続したところ、夜間に睡眠時間が著しく増えるリバウンドは検出されず、総睡眠量と波形の質はほぼ通常範囲に収まりました。
(※注意:永遠に眠気と決別できるわけではありません。)
TTFDは過去の薬理データで6〜12時間以内に8割が代謝・排泄されると報告されており、薬効期間と覚醒延長が概ね一致しました。
つまり「効いているあいだだけ自然にシャキッとして、切れたらスムーズに通常運転へ戻る」というわけです。
ビタミンB1誘導体はカフェインに代わる次世代ブースターになるか?

今回の結果を日常の光景にたとえるなら、TTFDは眠気でエンストしかけた脳にハイブリッド車の「モーターアシスト」を追加したようなものです。
投与直後に前頭前皮質でドーパミン信号が高まり、行動を計画する司令塔が“起動スイッチ”ごと押し上げられたと考えられます。
腹側被蓋野(VTA)が報酬予測のガソリンを噴射し、青斑核(LC)由来と推定されるノルアドレナリンが脳全体を覚醒モードへ導く可能性があります。
従来の興奮剤が神経を強制的に叩き起こすのに対し、TTFDはドーパミン経路を穏やかに底上げするため、アデノシン蓄積による強烈な眠気リバウンドが抑えられるのかもしれません。
もし人間でも同様の機序が働けば、夜勤前の医療スタッフや長距離フライト後のビジネスパーソン、軽度の無気力感に悩む人々にとって、カフェインとは異なる“栄養系ブースター”となる可能性があります。
(※注意:TTFDはビタミンB1の誘導体ではありますが、単にビタミンB1を大量にとっても体内で勝手に増えることはありません)
ただし今回のラット用量を体表面積補正でヒト70 kgに換算すると、およそ80〜100 mgが相当量となり、市販サプリよりやや高めです。
長期使用でドーパミン受容体が鈍感になるリスクや依存的摂取パターン形成は未解明であり、安全域の確認が必須です。
ですがもし同じ結果がヒトでも再現できれば、TTFDは“気合い”と“休息”を両立させる次世代の覚醒戦略として、働き方や学習スタイルを静かに書き換えていくかもしれません。
参考文献
ビタミンB1誘導体には覚醒を誘導する効果がある
https://www.tsukuba.ac.jp/journal/medicine-health/20250411140000.html
元論文
Promoting arousal associated with physical activity with the vitamin B1 derivative TTFD
https://doi.org/10.1016/j.jphyss.2024.100001
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部