ノルウェーのベルゲン大学(UiB)で行われた研究によって、私たちの身体にとって当たり前の存在である「肛門」は、実はもともと精子を放出するための穴から進化したかもしれない——そんな衝撃的な仮説が浮上してきました。
もしこれを初めて耳にすれば、多くの人が思わず首をかしげたくなるかもしれません。
しかしながら、最近の調査では、一見突飛に思えるこの説を裏づける証拠が少しずつ集まってきているのです。
いったい具体的にどんな発見があったのか、そしてなぜ肛門が「精子を出す穴」と深く関係するようになったのか、気になりませんか?
研究内容の詳細は『bioRxiv』にて発表されました。
目次
- 精子の出口が“肛門”に?最新研究が語る衝撃仮説
- 肛門の起源は精子放出口だった
- 肛門の起源、ここまで迫る
精子の出口が“肛門”に?最新研究が語る衝撃仮説

私たちヒトを含む多くの動物は、口から入れた食物が肛門から排泄されるという、ごく自然に思える仕組みを持っています。
しかし、実は「肛門がある動物」と「肛門のない動物」には、大きな進化の分岐点が隠されています。
たとえばクラゲやイソギンチャクなどの刺胞動物は、口だけが開いていて食べた物をそのまま同じ口から排泄します。
一方、魚や哺乳類といった「左右相称動物」は体の左右がほぼ対称で、口と肛門が入り口と出口として明確に分かれているのが特徴です。
このような構造によって、食物を一方向に流しながら栄養を取り込み、不要なものを排出する効率が高まったと考えられます。
しかしその一方で、「そもそも肛門という構造は、いつ、どのようにして生まれたのか」という根本的な疑問は、古くから多くの生物学者を悩ませてきました。
つまり肛門ナシ組と肛門アリ組はいるのに、両者の間には完全な断絶があるだけで、その中間的存在が見当たらなかったのです。
そうした長年の謎を考えるうえで、近年注目を集めているのが「ゼナコエロモルファ」と呼ばれる小さな動物グループです。
見た目こそシンプルですが、このグループは左右相称動物の系譜の中でも初期に分岐した“基盤的存在”とされ、学界では「腸しか持たない刺胞動物」と「肛門を備えた他の左右相称動物」をつなぐカギになるかもしれないと期待されています。
なぜなら、ゼナコエロモルファの仲間たちは口だけしか持たず肛門がありませんが、代わりに“ゴノポア(雄性生殖孔)”という、小さな精子の排出口を備えているからです。
そして近年の研究では、このゴノポアが実は肛門形成に深く関わるとされる遺伝子――具体的にはBrachyuryやCaudal、さらにWntシグナルなど――によって形づくられている可能性が見えてきました。
もともと肛門の発生を司るはずの遺伝子が“生殖孔”周辺で活発に働いているとすれば、両者に進化上の共通点があるのではないかという推測が成り立ちます。
つまり、かつて精子を排出するだけだった孔が腸の出口として利用されるようになり、結果的に肛門として機能するようになったのかもしれない――。
そんな大胆なシナリオが、最新の分子レベルのデータによって強く示唆されているのです。
このように考えると、“ただの精子排出口”とみられていたゴノポアと“食物の出口”として機能する肛門が、実は同じ“遺伝子プログラム”を使い回している可能性が浮かび上がります。
刺胞動物の段階ではまだ確立されていなかった肛門という構造が、ゼナコエロモルファの祖先的な体制のなかでゴノポアとつながり、より高いレベルの消化効率を実現する出口へと進化していったとすれば、私たちの身体の根本的なしくみがどのように獲得されてきたのか、より具体的に理解できるはずです。
実際、このグループの生殖孔に着目した研究は、従来の形態学的な推測に加えて分子生物学的なデータを組み合わせることで、肛門進化の起源に迫る新たな切り口として注目されています。
そして研究者たちは、このゼナコエロモルファのゴノポア形成を徹底解析することで、「肛門はいかにして誕生したのか」という古くて新しい問題を解き明かそうとしているのです。
肛門の起源は精子放出口だった

ゼナコエロモルファのゴノポア(雄性生殖孔:精子の出口)が肛門の起源と深く結びついているかもしれない――。
この大胆なアイデアを確かめるため、研究チームはまず「ゴノポアの周辺でどんな遺伝子が、どんなタイミングで動いているのか」をくまなく探りました。
方法はシンプルに言えば「観察と染色」です。
彼らはミリ単位よりもさらに小さいゼナコエロモルファの体を、まるで精密な地図を描くように染色し、カラフルな蛍光を放つプローブを使って、重要な遺伝子の動きを可視化しました。
この作業は想像以上に根気のいるもので、まず“主役”となる生物自体が小さく、入手も難しいというハードルがあります。
さらに、ゴノポアが形成されはじめるタイミングに合わせて個体を準備し、顕微鏡で観察しながら複数の遺伝子がどこに存在するのかを一つひとつ調べなければなりません。
それはまるで夜空の星座を丁寧に結んでいくような作業で、研究者たちは最先端の蛍光顕微鏡や特殊な試薬を駆使しながら、ゴノポアが形づくられる“瞬間”を浮かび上がらせたのです。
すると、どの種を見ても驚くほどはっきりとしたパターンが見つかりました。ゴノポアの周囲では、なんと“肛門を作る”とされる主要な遺伝子が高密度で働いていたのです。
さらに、まだゴノポアができていないごく若い個体を調べると、これらの遺伝子がまるで“地ならし”をするように、ゴノポアが将来できる地点を正確にマークしていました。
いっぽう、口や胃にあたる領域の遺伝子は別のところで発現しており、「ゴノポア=肛門づくりの遺伝子」という対応関係がくっきりと見えてきたのです。
なぜこれが革新的なのか?
それは「精子を出す穴」と思われていたゴノポアが、じつは“肛門形成遺伝子”をそのまま使って作られているとわかったからです。
つまり、私たちの体にある肛門が、かつては生殖に使われる出口だった可能性が一気に高まったということ。
これは動物進化の大きな謎であった「肛門はいかにして生まれたのか?」に対して、明確な遺伝子レベルの手がかりを提示しただけでなく、「元々は別の用途に使われていた遺伝子や構造が再利用される」という進化の巧妙さを、まさに映し出す発見といえます。
肛門の起源、ここまで迫る

ゴノポアと肛門のあいだに深いつながりがあるらしい――という結果を踏まえると、そもそも左右相称動物の祖先はどのような消化器官と排出器官を持っていたのかが気になるところです。
今回の発見が示唆するのは、「雄性生殖孔(ゴノポア)」と「肛門」という一見まったく別の機能をもつ穴が、実は共通の遺伝子プログラムによって作られているらしい、という点に他なりません。
もしそれが真実なら、左右相称動物の最初期の段階では“腸(口だけある消化管)+ゴノポア”というシンプルな構成が先に存在し、のちに腸とゴノポアが結合して、口と肛門を両端にもつ「貫通した消化管」が完成したことになります。
この見方は、以前からあった「肛門は複数の動物系統で何度も独立に進化したのか、それとも共通の祖先にさかのぼるただ一つの起源なのか」という長年の議論にも大きな意味を持ちます。
ゴノポアと後腸の遺伝子発現パターンがこれほど似通っているという事実は、「じつは共通の祖先に古くから存在していた一つの孔(=ゴノポア)が、何らかのきっかけで消化管の最後尾とつながり、肛門として再利用された」と考える方が、二次的に肛門を失う進化経路よりもずっとわかりやすいからです。
また、今回の研究は“コオプション(co-option)”と呼ばれる進化の仕組み、つまり「もともと別の役割を果たしていた構造や遺伝子が、新しい機能に転用される」という現象の好例としても興味深いものです。
腸しかなかった動物に雄性生殖孔が生まれ、それがさらに出口機能として発達して肛門へと発展していったとすれば、これまでの構造を最大限活用する進化の柔軟性を雄弁に物語っていると言えます。
事実、哺乳類や鳥類など多くの脊椎動物は生殖口や排泄口を独立させていますが、一部の魚類や両生類、爬虫類、単孔類などのように、それらが合流している“クロアカ(cloaca)”を持つものも存在します。
そうした多様性を見ると、消化管と生殖系の境界が進化のどの段階でどのように分離・融合したかは、まだまだ未知の領域が多いとわかります。
今回の結果は、腸とゴノポアという“素朴なシステム”から、一方向に食物を流す高効率の消化管が生まれるプロセスを、より具体的に描き出すうえで大きな一歩となりました。
さらに、ゼナコエロモルファの一見単純な体づくりの背後に、ショウジョウバエやヒトなどと共通した“後腸形成遺伝子”が隠れているという事実は、私たち自身を含む動物の身体計画が持つ多様性と普遍性を改めて実感させるものでもあります。
今後、このグループの研究がさらに進むことで、「ゴノポアから肛門への進化」を示す証拠がいっそう増え、動物の大きな謎の一つである「いかにして肛門は誕生したのか?」への答えが、ますます鮮明になるかもしれません。
元論文
The xenacoelomorph gonopore is homologous to the bilaterian anus
https://doi.org/10.1101/2025.02.10.637358
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部