私たちが普段使っているスマートフォンやコンピュータなど、多くの電子機器の性能を大きく左右するのは「電子の動き方」です。
ところが最近、その「電子の動き」の中で、まるで「竜巻」が巻き起こっているかのような現象が発見されました。
研究者たちはこれを「量子竜巻(オービタル・ボルテックス)」と呼んでいます。
私たちの身近にある竜巻は、空気の流れが強い渦を作ることで発生します。
同じような渦が、実空間ではなく「運動量空間」という見えない領域で生じているのです。
これは理論的にはずっと予想されてきたのですが、実験で直接捉えるのが極めて難しく、実際に観測するまでには至っていませんでした。
ドイツのヴュルツブルク大学(Uni Würzburg)で行われた研究によって、タンタルアルセニド(TaAs)というトポロジカル半金属を用い、この隠された「量子竜巻」が三次元的に存在する様子が明確に示されました。
もしこの渦を自在に制御できるようになれば、省エネルギーで高速な電子回路や、新しい情報処理の仕組み――いわゆる「オルビトロニクス」――が実現できる可能性があります。
研究内容の詳細は『Physical Review X』にて発表されました。
目次
- 量子竜巻をはじめて三次元的にとらえることに成功
- 量子竜巻を応用した技術開発
量子竜巻をはじめて三次元的にとらえることに成功

最新の量子物質研究は、私たちの生活に直結する新しい電子現象を明らかにしつつあります。
特に、量子物質と呼ばれる特殊な素材では、電子が予想外の振る舞いを示すことが知られており、これが次世代の技術に繋がる可能性が注目されています。
例えば、今回の研究で使われた量子物質であるタンタルヒ素(TaAs)では、物質の内部に「Weyl点」や「Dirac点」と呼ばれる特別なポイントが存在します。
これらは、電子が持つ波のような性質(波動関数)が交差する場所で、まるで水面で波がぶつかり合い、そこから小さな渦ができるような現象を予想されています。
この現象を理解するためには、まず「運動量空間」という概念を知る必要があります。
運動量空間とは、実際の位置ではなく、電子がどの方向にどれくらいの速さで動いているかを示す「動きの地図」のようなものです。
普段、私たちは位置(どこにあるか)で物体を捉えますが、運動量空間ではその物体の「速さ」や「向き」といった動きの情報で表現します。たとえば、地図が街の位置を示すのと同じように、運動量空間は電子がどの方向に、どれだけの速さで動いているかを示す「動きの地図」と考えるとわかりやすいでしょう。この地図を使うことで、電子がどのようにエネルギーを持ち、どんなふうに振る舞うかを詳細に理解できるのです。
Weyl点やDirac点は、この運動量空間の中で、電子のエネルギー帯が交わる場所にあたり、そこでは電子の波が特有の形でねじれ、回転する「渦」が形成されると考えられてきました。
さらに、これらの「点」だけでなく、電子の波が「線」として広がりながら交差する可能性もあり、その場合は運動量空間全体で連続的な渦巻き構造が現れると予想されます。
これは、まるで台所のシンクで水が流れ込むと、排水口の周りに回転する渦ができるのと似たイメージです。
これらの現象は、以前の論文や関連研究で理論的に予測されてきたものであり、今回の実験で初めて実際に観測されたといえます。
しかし、運動量空間を三次元で詳細に観察するのは容易ではありません。
一般的な角度分解光電子分光(ARPES)は、二次元の断面を測定するのが主流で、三次元全体を隅々まで把握することは難しかったのです。
そこで研究者たちは、光のエネルギーを大きく上げて(ソフトX線を使用するほどに)、さらに光の向きや振動の仕方(偏光)を切り替えることで、立体的に運動量空間を“スキャン”できる技術を開発しました。
これにより、電子が上下や奥行き方向に動く様子まで漏らさず捉えられるようになったのです。
すると、理論上「あるかもしれない」とされていた“線”の付近で、電子がまるで竜巻のように渦を巻いていることが初めて明確に示されたのです。これが「量子竜巻(オービタル・ボルテックス)」と呼ばれるものです。
さらに、この渦の位置や形状は物質の結晶構造によって左右されることもわかりました。
加えて、この渦状の電子の性質がスピンと呼ばれる別の電子特性にも影響を及ぼす可能性があるため、将来的には省エネルギー型の電子機器や、新しい情報処理技術への応用が見込まれます。
これまでは、物質内部に“線”のような特殊な領域があるという程度の理解しかありませんでした。
しかし今回は、電子の“渦”を三次元的に視覚化することに成功したため、二次元データだけでは想像するしかなかった立体像――「ここにぐるぐる渦が巻いている」という様子――をはっきり確認できたのです。
量子竜巻を応用した技術開発

今回の研究で発見された「量子竜巻(オービタル・ボルテックス)」は、単に「珍しい渦が見つかった」という話ではありません。
この現象は、電子が持つ軌道角運動量(OAM)が、物質内部でどのように回転しているかを三次元で正確に捉えられたことに大きな意義があります。
これにより、電子がどのようにエネルギーを持ち、どの方向に動くかという「運動量空間」という、電子の動きを表す立体的な地図上で、特定の“線”(ノーダルライン)やその周囲の波動構造を、これまでになかった精度で理解できるようになりました。
この新たな知見は、電子が持つ軌道角運動量(OAM)が、電子のスピンなど他の量子性質と強く連動して動く可能性を示しています。
例えば、電子の軌道が持つ回転の向きや強度が、スピンの配列やその変化と結びつくことで、従来の電子デバイスでは実現できなかった多層的な量子状態を作り出すことが期待されます。
具体的には、ある電子のOAM状態が別の電子のスピン状態と結合すると、それぞれの電子がまるで個々の「渦」として振る舞い、その重なり合いが新しい電気信号の伝達や記憶の方式を可能にするのです。
これにより、低消費電力で高速な情報処理が行えるデバイスや、データの保存や読み出しが従来の技術を凌駕する非揮発性メモリ、さらには量子コンピュータの新たな論理回路などが実現する可能性があります。
つまり、1つの電子の「渦」が別の電子の「渦」と複雑に組み合わさることで、新たな量子回路やデバイスの設計が可能になり、これが次世代の情報処理やエネルギー制御技術の基盤となると期待されるのです。
もし将来的に、この渦の位置や強度を自在に制御できるようになれば、省エネルギーで高速な電子機器、さらには量子情報を効率的に処理する次世代技術―「オルビトロニクス」―の実現に大きく寄与するでしょう。
さらに、この測定手法は、今回のようなノーダルラインを持つトポロジカル半金属だけでなく、他のトポロジカル物質にも応用できる可能性を秘めています。
将来的には、さまざまな物質で電子の「渦」が次々と発見され、複雑に絡み合う高次元の現象が解明されることで、私たちの日常的なエレクトロニクスや情報技術が、量子の世界とより一層深く結びつくことが期待されます。
要するに、この「量子竜巻」を実際に捉え、詳細に解析できるようになったことは、トポロジカル物質や量子物性研究において、大きな前進をもたらす重要な一歩です。
未知の渦はまだ多く存在すると考えられ、まさに今ここから、未来の科学と技術に向けた新たなストーリーが始まろうとしているのです。
元論文
Imaging Orbital Vortex Lines in Three-Dimensional Momentum Space
https://doi.org/10.1103/PhysRevX.15.011032?_gl=1*18ah67t*_ga*NDc0MDg5NTkwLjE3MjAzOTI3NTM.*_ga_ZS5V2B2DR1*MTc0MjIwMTM3Mi4xMDYuMC4xNzQyMjAxMzcyLjAuMC42OTI2MDkzMDk.
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部