ミトコンドリアは思った以上に重用でした。
バージニア工科大学(Virginia Tech)で行われた研究により、ミトコンドリアの役割が学習や記憶、さらには他人を理解する力(社会的認知)といった高度な脳機能にも密接に関わっていることが示されました。
研究では脳の海馬にあるCA2領域のニューロンでは、ミトコンドリアが細胞のどこにあるかによってその働きが変わることが示されており、特にニューロンの末端に位置するシナプス部分では、MCU(ミトコンドリアカルシウムユニポーター)というタンパク質が、エネルギーを作り出すのに重要な役割を果たしていました。
このエネルギーは、シナプスの強化―つまり、学習や記憶を形成するために神経回路が変化するプロセスに欠かせません。
実際、MCUの働きを止める実験では、シナプスの強化がうまくいかなくなり、結果として記憶を作る力や社会的な相互作用を保つ仕組みが崩れることが明らかになりました。
これにより、ミトコンドリアは従来の「エネルギー工場」という役割を超えて、脳の高度な機能を支える多面的な役割を持っていることが示されました。
研究内容の詳細は2025年2月6日に『Scientific Reports』にて公開されました。
目次
- ミトコンドリアと脳の関係
- ミトコンドリアを狂わせると脳も狂った
ミトコンドリアと脳の関係
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ミトコンドリアとエネルギー
私たちの体の中にあるミトコンドリアは、まるで小さな発電所のように、ATPというエネルギーを作り出し、体のあらゆる細胞に力を供給しています。
特に、脳は多くのエネルギーを必要とする器官です。
脳内のニューロンは、膨大な情報を処理し、学習や記憶、さらには友達や家族などを認識するための社会的な機能を発揮するため、正確で効率的なエネルギー供給が欠かせません。
面白いことに、ニューロンはその複雑な形に合わせて、必要な場所にミトコンドリアをうまく配置しています。
最新の研究によれば、ミトコンドリアはただエネルギーを作るだけではなく、細胞の中でどこにあるかによってその形や働きが大きく変わることがわかってきました。
例えば、海馬のCA2領域にあるニューロンでは、樹状突起(ニューロンの枝のような部分)の場所ごとにミトコンドリアの性質が異なり、学習や記憶のための神経回路の調整(シナプスの可塑性)に大きな役割を果たしています。
海馬CA2領域―社会的記憶の要
脳の記憶をつくる中心部である海馬の中でも、CA2領域はとても特別な場所です。
CA2は、友達や家族など、他人を識別し覚える「社会的記憶」に関わっており、他の海馬の領域(CA1やCA3)とは違った仕組みで働いています。
最新の実験では、CA2領域のニューロンが単に情報を記憶するだけでなく、実際に仲間や家族を区別するための記憶を作るのに重要な働きをしていることが明らかになりました。
特に、ニューロンの枝の先端(外側のシナプス部分)では、ミトコンドリアが特別な配置や働きをしているのが分かりました。ここでは、カルシウムを取り込むMCUというタンパク質が豊富にあり、神経活動に合わせてエネルギーを供給し、シナプスを強くする(長期増強、LTP)役割を果たしています。
これにより、必要なときに神経回路がうまく再編成され、私たちが人を認識するための記憶がしっかりと形作られているのです。
ミトコンドリアを狂わせると脳も狂った
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MCU(ミトコンドリアの部品)を取り除いてみたら
今回の研究では、海馬CA2領域にあるニューロンで、MCUというミトコンドリアの部品が特に細胞の枝(樹状突起)の先端、つまり外側のシナプス部分にたくさんあることがわかりました。
MCUは、細胞内に入るカルシウムをうまく取り込むことで、ミトコンドリアがエネルギーを作るのを助けています。
実験でMCUの遺伝子を取り除くと、外側のシナプスでの神経のつながりが強くならない(シナプス可塑性が低下する)ことが確認されました。
つまり、MCUがないと、ミトコンドリアが必要なカルシウムを十分に取り込めず、エネルギーを作る力が落ちてしまいます。
その結果、ミトコンドリアが小さくなったり、バラバラになったりするため、神経細胞同士のつながり全体が危うくなってしまうのです。
MCUは、ただのカルシウムを運ぶ通路ではなく、ニューロンが学んだり覚えたり、人と関わったりするために欠かせないエネルギーをタイムリーに供給する、とても大事な役割を持っています。
新技術が明かす、細胞の中の小さな世界
ここ数年の技術の進歩で、細胞の中にあるとても小さな構造まで、驚くほど詳しく見ることができるようになりました。
今回の研究では、走査型電子顕微鏡と人工知能(AI)を組み合わせる新しい方法を使い、海馬CA2領域のニューロン内にあるミトコンドリアの細かい形や配置を詳細に調べることができました。
電子顕微鏡は、普通の光学顕微鏡では見えないミクロンやナノメートル単位の細部まで映し出します。
さらに、AIが何百万枚もの画像から、特にニューロンの枝の中にあるミトコンドリアを自動的に見分け、どのように配置されているかや形がどう変わっているかを定量的に解析しました。
この新しい方法により、例えばMCUがなくなるとミトコンドリアが小さくなり、バラバラになってしまう様子や、隣り合うミトコンドリアの並び方が変わるなど、従来の技術では捉えにくかった細かい変化が明らかになりました。
こうした発見は、ミトコンドリアがどの場所でどんな役割を果たしているのか、またそれがシナプスの強化や脳全体のエネルギー管理にどのように影響しているのかを理解する大きな手がかりとなっています。
ミトコンドリアと脳の病気:新しい治療のヒント
ミトコンドリアの異常は、アルツハイマー病や自閉症、統合失調症、うつ病など、さまざまな神経疾患と深く関わっていると考えられています。
脳が正しく情報を処理し、記憶を作るためには、神経細胞間のスムーズなコミュニケーションと、十分なエネルギー供給が不可欠です。
今回の研究では、海馬CA2領域のニューロンで、MCUがシナプスを強くする大切な役割を果たしていることが明らかになりました。
MCUがないと、ミトコンドリアは小さくなり、バラバラになり、結果として外側のシナプスでの長期増強(LTP)がうまく起こらなくなります。これは、脳内の情報のやり取りや記憶の固定に大きな影響を与える可能性があります。
この発見は、神経疾患が始まる初期段階で、特に外側のシナプスが弱くなる原因の一つとして、ミトコンドリアの機能不全が関わっているかもしれないことを示唆しています。
さらに、ミトコンドリアの働きやその特殊な配置、そしてMCUの役割を詳しく知ることで、将来的にはミトコンドリアの健康を直接改善する治療法が開発される可能性があります。
たとえば、MCUの働きを調節したり、ミトコンドリアがバラバラにならないようにする方法が見つかれば、神経細胞が十分なエネルギーを得られ、シナプスが強くなり、結果として記憶や社会的な認知が回復するかもしれません。
こうした新しい治療戦略は、神経疾患の進行を遅らせたり、場合によっては脳の機能を取り戻す大きな一歩となる可能性があります。
元論文
MCU expression in hippocampal CA2 neurons modulates dendritic mitochondrial morphology and synaptic plasticity
https://doi.org/10.1038/s41598-025-85958-4
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部