個々のウイルスが奏でる超高周波の「音」を“聞きとる”ことで、未知のウイルスを素早く見分け、活動状態までリアルタイムで追跡できるかもしれません。
ミシガン州立大学の研究チームは、ウイルス1粒がわずかに揺れる“自然振動”を光でとらえる新しい技術「BioSonicsスペクトロスコピー」を開発しました。
これまでの顕微鏡や蛍光染色では、直径が数十ナノメートルほどしかないウイルスの「揺れ」を観察するのは困難でした。
しかし今回の手法では、その揺れが示す周波数(音の高さ)や、どのくらい長く振動が続くかを測定することで、ウイルスの種類を見分けたり、殻(カプシド)や表面のタンパク質の変化を追跡したりできる可能性が拓かれます。
この技術では、非常に弱い光パルスをウイルスに当て、そこから反射してくるわずかな信号を高い精度で測定します。
その結果として得られる振動の情報は、ウイルスの大きさ・形・硬さ、そして表面にあるタンパク質と周囲の環境との関係などを“指紋”のように映し出します。
将来的には、研究室や病院だけでなく、空気中に浮かぶウイルスを一つひとつ検知して、種類を自動的に判別するセンサーを作ることも夢ではありません。
さらに、ウイルスが細胞に入る瞬間や、自分自身を組み立てて増殖していく過程を“音”の変化としてリアルタイムに観察することも期待されています。
これは感染症の予防や、ウイルスの構造と働きを解明するための新しいツールとして、大きな一歩となるでしょう。
研究内容の詳細は2025年1月21日に『PNAS』にて公開されました。
目次
- ウイルスの自然振動周波数は「指紋」になる
- ウイルスの音が聞けるとどんな利益があるか?
ウイルスの自然振動周波数は「指紋」になる
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ウイルスはわずか数十ナノメートル(1ナノメートル=1ミリメートルの100万分の1)という極小の存在です。
そのため、ふつうの光学顕微鏡でははっきりと観察できず、電子顕微鏡など特殊な装置が必要でした。
また、ウイルスを識別したり、その活動状態を調べたりするには、遺伝子解析を行ったり、蛍光物質で染めるなどのラベル(標識)が必要なことが多く、実験の手間やサンプルの変化などの問題点もありました。
さらに、これまではウイルス全体の平均的な性質(例えば溶液に溶けた大量のウイルス粒子をまとめて調べる)を測ることが中心で、「1つのウイルス粒子がいま、どう動いているか?」という生々しい様子を捉えることは難しかったのです。
しかしウイルスは、決して静止した“ただの球”ではありません。
周りの環境との相互作用や、カプシド(殻)や内部の構造が変化するときに、“微弱な振動”を起こします。
この振動は私たちの耳には聞こえませんが、周波数(音の高さ)や持続時間(どのくらい揺れが続くか)が、ウイルスの形や硬さ、表面タンパク質との結合状態などを映し出す「指紋」のようなものになっています。
もし、この「ウイルスが出す音」を直接測定できれば、ラベルなしで1粒ごとの性質を見分けられたり、活動状態の変化をリアルタイムで追えたりするのです。
なぜこれが重要かというと、感染症の原因となるウイルスを素早く識別する手段や、新種のウイルスをいち早くキャッチして研究する方法に大きく貢献できるからです。
また、ウイルスが細胞に侵入して増殖する際のメカニズムも、振動の変化として観察できるようになる可能性があります。
これは基礎研究のレベルだけでなく、病院や検査の現場においても、感染症対策や早期診断につながる画期的なステップとなるでしょう。
そこで今回ミシガン州立大学の研究チームは、ウイルスが持つ“超高周波の音”を直接捉える実験装置を開発し、微小なウイルス粒子にレーザー光を当てて振動を解析しました。
具体的には、まず極めて短い時間だけ光を発する「超短パルスレーザー」を使います。
1回目のパルス(ポンプ光)をウイルスに照射すると、ウイルスの内部構造や殻、表面のタンパク質が軽く揺さぶられ、超高周波の“音”が生まれます。
続いて、ほぼ同時に2回目のパルス(プローブ光)を当てて、ウイルスがどう振動しているかを光の散乱パターンから測定します。
これを何度も繰り返し、わずかな時間差で観察することで、振動の変化を細かく追跡できる仕組みです。
研究チームはこれを「BioSonicsスペクトロスコピー」と名付けました。
この測定データを解析すると、ウイルスが出している音の“周波数”や“減衰のしやすさ(揺れの持続時間)”などがわかります。
結果として、それぞれのウイルスは周波数のパターンが少しずつ異なる“指紋”のような特徴を持っていることが判明しました。
たとえば、ある種類のウイルスでは20ギガヘルツ前後という超高周波で振動し、それが環境の変化やウイルス自身の状態変化(カプシドが弱ってくる、膜が変形するなど)に応じてわずかにズレたり、弱まったりする様子も捉えられました。
さらに、1つのウイルス粒子を時間をかけて連続的に観察することで、殻が壊れ始める“寸前”の変化まで見逃さずに追跡できるという点も大きな成果のひとつです。
つまり「どのウイルスかを見分ける」だけでなく、「今そのウイルスがどんな状態なのか」を非接触でモニターできる技術が生まれたといえます。
従来の方法では、ウイルス粒子を単独で観察しようとすると蛍光色素でラベルを付けるなど特別な手間が必要でしたが、BioSonicsスペクトロスコピーを使えば、ウイルスそのものが自然に発する“音”をキャッチするだけで済みます。
これにより、感染症の早期検出や、ウイルスが細胞を攻撃する仕組みをより細かく調べるうえで、将来にわたって大きな進歩が期待されています。
ウイルスの音が聞けるとどんな利益があるか?
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今回の研究で確立された「ウイルスの音を聞き取る技術」がさらに進歩すると、ウイルスの“状態”をより詳しく知ることができるようになります。
たとえばウイルスの殻が硬いか柔らかいか、表面のタンパク質がどのように配置されているかなどの情報は、振動周波数や減衰特性によって“指紋”のように示されます。
これにより、たとえ目に見えないほど小さなウイルスであっても、「どの種類なのか」だけでなく「いま壊れかけているのか」「感染力が高い状態なのか」といった活動レベルを直接把握できるようになるかもしれません。
このようにウイルスの状態をリアルタイムでモニタリングできると、医療現場では感染症の早期発見や重症化リスクの見極めにつながる可能性があります。
患者さんの体から採取したサンプル中に存在するウイルスが、遺伝子解析をする代わりに音を聞いて「どんな種類なのか」「増殖が始まっているか」を早期に判断できれば、病気の広がりを抑えたり、治療を素早く始めたりすることができます。
またワクチン開発の段階でも、ウイルスがどのように形を変えるかを振動の変化として捉えられれば、より効果的な薬剤やワクチンの設計に役立つでしょう。
さらに、将来的には空気中や環境中のウイルスをリアルタイムに検出し、その場で識別するセンサーとして応用されるかもしれません。
たとえば、多くの人が集まる公共施設や病院で、空気中のウイルスを“音”の違いで判断し、必要に応じて空調をコントロールするような仕組みが想像されます。
また、研究現場においては、細胞に侵入する瞬間からウイルスが自分の殻を組み立て直すプロセスまでを観察できるようになり、未知のウイルスの解明や感染メカニズムの理解が飛躍的に進むと期待されます。
こうした応用は、私たちが直面する新たな感染症への対策や、基礎生物学のさらなる発展にも大きく貢献するでしょう。
元論文
Nanoscopic acoustic vibrational dynamics of a single virus captured by ultrafast spectroscopy
https://doi.org/10.1073/pnas.2420428122
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部