もし人類が火星に移住しても、環境のあまりの違いから、そのまま地上に暮らすことはできません。
そこで地球の環境を模した巨大ドームを建設するシナリオが想定されています。
では、地球そっくりな巨大ドームが実現したとして、人類はその閉鎖された生態系の中で生きられるのでしょうか?
これは単なるSF的な妄想話ではありません。
人類は過去にこの疑問を検証する前代未聞の実験を行っています。
それが史上最大の人工閉鎖生態系実験「バイオスフィア2」です。
ここでは完全に閉鎖されたミニアースの中に8人の男女が収容され、2年間にわたるサバイバルが続けられました。
果たして、彼らはどんな結末を迎えたのでしょうか?
目次
- ”小さな地球”を創造した「バイオスフィア2」
- 順調に見えた生活が一転!「世界」が崩壊し始めた
- 不和が発生し「2つの派閥」に分断、8名が迎えた最期とは?
”小さな地球”を創造した「バイオスフィア2」
前例のない一大プロジェクト「バイオスフィア2(Biosphere2)」は1984年に、アメリカの生態学者ジョン・P・アレンと実業家の富豪エド・バスによって始まります。
アレンは以前から、核戦争が起きて地上に住めなくなったときの避難所や、他の惑星に移り住んだときの居住施設として、バイオスフィアのアイデアを構想していました。
バイオスフィアとは「生物圏」を意味する言葉であり、アレンは私たちが現に暮らしている地球の生態系を「バイオスフィア1」と捉えます。
そして第二の地球生態系を創造するという意味合いで、巨大施設「バイオスフィア2」を米アリゾナ州に建設しました。
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施設の建設は1987年から1991年にかけて行われ、総面積は1万2700平方メートル以上、最高部の高さは28メートルに達します。
バイオスフィア2は”小さな地球”を再現した世界最大の人工閉鎖生態系です。
施設内は主に7つのエリアに分けられており、「熱帯雨林」「珊瑚礁のある海」「マングローブ湿地」「サバンナ草原」「砂漠」の5つの自然区と、「農業」および「居住空間」という2つの人為的エリアが設けられました。
バイオスフィア2の地下基盤はコンクリートで作られており、各エリアの天候をコントロールするための大規模インフラが装備されています。
飲み水を得るための水循環システムや冷暖房、電力供給源も完備し、施設の外観をガラス製のパネルにすることで太陽光が十分に入るようにしました。
ここに延べ3800種の動植物が持ち込まれ、見事に地球そっくりの生態系を創り出しています。
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ミニアースの創造が終われば、いよいよ本題です。
バイオスフィア2の真の目的である「地球環境を模した閉鎖空間で人間は生きられるのか?」を実験することになりました。
この前代未聞の実験に選ばれたのは男女4名ずつ、合計8名のアメリカ人たちです。
彼らの職業は科学者や医師、エンジニアであり、食糧生産や機械のメンテナンスまで全て自力で行うよう指示されました。
そして彼らは”バイオスフィアに生きる人類”として「バイオスフィリアン(biospherians)」と名付けられています。
こうして8名のクルーによるサバイバル生活は1991年9月26日に開始されました。
さて、ミニアースでの生活はどうなったのでしょうか?
順調に見えた生活が一転!「世界」が崩壊し始めた
バイオスフィア2では、バナナやパパイヤ、サツマイモ、ビート、ピーナッツ、豆類のほか、米や小麦の作物を含む総食料の83%を農業で供給しました。
また家畜として、ヤギのメス4頭とオス1頭、めんどり35羽とおんどり3羽、メス豚2頭にオス豚1頭が持ち込まれています。
バイオスフィリアンたちは作物を栽培したり、家畜からミルクをしぼったり、卵を得たり、つがいを繁殖させて食糧を生産しました。
初めの数カ月間は食糧も十分であり、各エリアの生態系も見事に循環し、小さな地球は8名の男女にとってまさにユートピアでした。
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ところがバイオスフィア2に異変が生じるのにそう時間はかかりませんでした。
まず最初に浮上したのは食糧の問題です。
農地では作物の成長が遅く、手間もかかりすぎました。例えば、コーヒーの木は2週間かけてようやく1杯分の豆が実る程度だったという。
主食も安定して得られなくなり、彼らはビーツとサツマイモばかりを食べて、絶え間ない飢えを感じるようになりました。
彼らの体重は実験前と比較して平均16%も減少することになります。
しかし最も重大な異変はバイオスフィア内の酸素濃度が急激に低下し始めたことでした。
実験開始から半年ほどで酸素濃度が徐々に下がり始め、呼吸がしづらくなってきたのです。
地球の酸素濃度は約21%ですが、バイオスフィアでは最終的に14.2%にまで落ちました。
これは高度4000メートルの酸素濃度に相当し、チベット高原にいるみたいなものです。
クルーの一人マーク・ネルソンはのちに「常に登山しているような感覚で、長い言葉を話すときには必要以上に息継ぎが必要だった」と振り返っています。
一体なぜ酸素が減っていってしまったのか?
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その原因は地下コンクリートにありました。
バイオスフィア2の基盤は先ほど言ったようにコンクリートでできています。
ところがコンクリートには自然の土壌とは違い、空気中の二酸化炭素を吸って炭酸カルシウムに変えてしまう性質があったのです。
二酸化炭素がなくなると植物が光合成に必要な原料を失うため、酸素が作り出せなくなります。
地球全体だとコンクリートの面積はほんのちょびっとなので問題ありませんが、バイオスフィア2の基盤はほとんどコンクリです。
こうして酸素が徐々に失われていったことで、今度は動植物たちが次々と死滅していきました。
最初に植物の花粉を媒介する昆虫や鳥が死んだことで植物が繁殖しなくなり、植物を餌とする動物たちも姿を消していきます。
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バイオスフィアに導入された大半の動植物が死滅する一方で、繁殖したものもいました。
ゴキブリです。
ゴキブリは落ち葉を食べる分解者として熱帯雨林に持ち込まれていたのですが、あらゆる餌や環境に適応できる彼らは、他の動植物が死んでいくのを尻目に、一人勝ちの状態になっていました。
(ほんとゴキブリの生命力は恐ろしいですね… )
実験の後半にもなると、クルーたちは繁殖したゴキブリや雑草の中で生きなければならなかったという。
ユートピアはもはや地獄絵図に変わっていました。
さらにここへ追い打ちをかけるように、新たな問題が彼らを襲います。
それがメンタルの崩壊です。
不和が発生し「2つの派閥」に分断、8名が迎えた最期とは?
食糧も満足に得られず、酸素が薄くなるにつれ、クルーたちの士気が低下し、精神的な疲労が目立ち始めました。
ネルソンは「無駄なエネルギーを使う余裕がないので、私たちはまるでスローモーションのダンスをしているように緩慢に動いていた」と話します。
さらに地獄だったのは、このプロジェクトが当時からメディアの注目を受けていたため、実験を一目見ようと、多くの人々が毎日のように押し寄せていたことです。
施設は太陽光を入れるために全面ガラス張りでしたから、クルーたちは常に人目にさらされていました。
クルーの一人であるリンダ・リーはこう話しています。
「毎日、観光客や学校の子供たちを乗せたバスがやって来てはガラスを叩いたり、やせ細った私たちの写真を撮っていました。
一度、動物行動学者のジェーン・グドール(チンパンジー研究で有名)が訪れて、まるで私たちを囚われた霊長類のように観察していました。
ガラスにコップを投げられたり、唾を吐かれることもありましたが、幸いなことに暴力は起こりませんでした。
次第に私たちの間でも冷たい空気が張り詰めて、お互いに近くにいたくない、そんな雰囲気に飲み込まれていきました」
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ついにはクルーの間に集団的な対立が勃発し、2つの派閥に分かれます。
「酸素や食糧を外部から送ってもらうべきだ」とする派閥と、「いや、実験を完遂するために自分たちで乗り切るべきだ」とする派閥です。
双方互いに譲ることなく、当初は親しい友人同士だったはずのクルーたちが、今や仕事に必要な最低限の会話を交わすだけの仲になってしまいました。
しかし酸素濃度の低下は収まらなかったため、結局は外部と連絡を取り、酸素と食糧を供給してもらっています。
この時点で実験開始から16カ月が経過していました。
ただ酸素と食糧が得られたクルーたちは目に見えて元気になり、「みんな突然大笑いしながら走り回っていた」とネルソンは話します。
また彼はこう続けました。
「まるで90歳の老人から10代の若者に戻ったような気分でしたよ。それで、ふと気づいたんです。『そういえば、何カ月も誰かが走る姿を見ていなかったな』ってね」
それほどにバイオスフィアの住人たちは弱りきっていたわけです。
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最終的にクルーたちの仲も元通りに戻りましたが、「閉鎖空間の中で自力で生きられるか」という実験目標は失敗に終わりました。
これ以上続けても危険であるため、バイオスフィア2は実験開始から2年後の1993年9月26日に終了。
また1994年に第2回が実施されたものの、わずか半年で終了しています。
当初の構想ではクルーの交代制で100年継続する計画でしたが、望んだ成果は得られず、プロジェクト自体も幕を閉じました。
では、バイオスフィア2の施設はその後どうなったのか?
1994年6月、2回目の実験の途中で運営会社が解散し、施設は宙に浮いた状態となりました。
一度は住宅や店舗建設のため取り壊される予定も持ち上がりましたが、2011年にアリゾナ大学が研究用施設として所有権を取得。
現在では、月や火星で野菜を栽培する方法を調べたり、生命のない土壌が数年かけて肥沃な土壌に変わるプロセスを解明する研究が続けられています。
今の段階では、他惑星にドーム型の居住室を作ったとしても、そこで人類が何十年、何百年と暮らしていくのは難しいのかもしれませんね。
参考文献
Eight go mad in Arizona: how a lockdown experiment went horribly wrong
https://www.theguardian.com/film/2020/jul/13/spaceship-earth-arizona-biosphere-2-lockdown
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部