「なぜ人は人を食べてはいけないの?」
このテーマは「なぜ人は人を殺めてはいけないのか」と合わせて、小学校の道徳の時間などに話し合った経験があるかもしれません。
しかし大抵は「倫理的な観点からダメなものはダメだ」と少し無理目に納得させられはしなかったでしょうか?
ただここでは人が人を食べてはいけない理由について科学的な視点から答えてみます。
私たちが同胞を食べるべきでない理由には、ちゃんと科学的な根拠があるのです。
目次
- 人類史に散見される「カニバリズム」の証拠
- 人を食べるべきでない科学的な理由
人類史に散見される「カニバリズム」の証拠
人が人を食べる食人行為は一般に「カニバリズム(cannibalism)」と呼ばれています。
この呼び名の起源は、15世紀末の探検家クリストファー・コロンブスにまで遡るものです。
ご存じのようにコロンブスは1492年に、現在のアメリカ大陸にたどり着きました。
コロンブスはその大陸に住んでいた先住民族を「カリブ族(Caribs)」と呼んだのですが、彼らの近隣にいた別の部族から「カリブ族は人間を食べている」との噂を耳にします。
当然ながら西洋文化において食人行為はタブー視されており、コロンブスが持ち帰った噂はまたたく間にヨーロッパ中に広まって、「カリブ族=人食い人種」との認識が定着しました。
このカリブ族から派生して、「食人行為」のことを「カニバル」とか「カニバリズム」と呼ぶようになったのです。
しかし実際にはカリブ族は人食いをしておらず、この噂は真っ赤な嘘であることがのちに判明しています。
とはいえ人類史を見渡してみると、カニバリズムは所々で実際に存在していました。
ロンドン自然史博物館の研究によると、最も古い例ではイングランド南西部サマセット州にあるガフ洞窟にて、約1万5000年前に遡るカニバリズムの証拠が見つかっています(Quaternary Science Reviews, 2023)。
洞窟で回収された頭蓋骨に髄を得るために骨を割ったり、歯でかじられた痕跡が残っていたのです。
ただこれは日常的に人肉を食料としたり、飢えに迫られた苦肉の策ではなく、葬儀の一環として行われていた慣習だと見られています。
さらに時代をグッと飛び越えて、1150年代の米コロラド州南西部でも食人行為があったことがわかっています。
先住民の遺跡で見つかった人の排泄物の化石から、人間の筋肉に存在するタンパク質「ミオグロビン」が検出されたのです(Nature, 2000)。
これは先住民が人肉を食べたことを物語っています。
またイギリス人が17世紀初めにアメリカで初めて建設した植民地ジェームズタウンでも恐ろしい食人行為の証拠が見つかりました。
考古学チームが2013年に、ジェームズタウンの遺跡で見つかった14歳の少女の遺骨を調べたところ、誰かの手で意図的に骨に穴が開けられ、顔の肉が削ぎ落とされ、脳が取り出されていたことがわかったのです。
歴史的な調査によると、この当時、ジェームズタウンの植民者たちは厳しい生活環境から飢餓状態にありました。
1609年の状況を記した文献には、村の食糧が完全に底をついて、植民者たちはネズミやヘビなどのありとあらゆる野生動物を食べ尽くした後、致し方なく人肉食に手を染めたことが記録されているのです。
それからもっと現代に近い時代にもカニバリズムは起こっています。
特に有名なのは1972年に起きた「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」です。
これはウルグアイ空軍の航空機がアンデス山脈に墜落した大事故であり、乗員乗客45名のうち29名が死亡、16名は72日間に及ぶサバイバルの末に生還しましたが、彼らはその間、飢えを凌ぐために死者の人肉を食べて生き延びたのです。
またこの他にも、異常犯罪によるカニバリズムの例(※)がありますが、この異常で稀なケースを除くと、人類史におけるカニバリズムは基本的に、葬儀や儀式といった文化的・宗教的な意味合いで限定的に行われるか、極限の飢えを凌ぐために仕方なく行ったケースがほとんどです。
(※ 例えば、有名な事件では1981年に起きた「パリ人肉事件」が知られている。これは当時フランスに留学していた日本人男性が友人のオランダ人女性を射殺し、屍姦後に彼女の肉を食べた衝撃的な事件である)
そのため、毎日の栄養摂取を目的として、日常的に人肉を食べる習慣は人類には定着していません。
これには倫理的な理由の他に、れっきとした科学的な理由があるのです。
人を食べるべきでない科学的な理由
そもそも生物はヒトも含めて、自分たちの種に有利になるように生存競争を進めていかなければなりません。
その上で人が人を食べることは進化上の観点からするとデメリットだらけなのです。
食人行為のデメリットは大きく分けて3つあります。
1つ目は「狩りのコストが高すぎること」です。
狩猟をする生物はいかに体力を削らず楽に獲物を得られるかをモットーにします。
もし人を好物とする食人族がいたとすると、彼らは自分たちと肉体的および知的に同レベルの相手を狩らなければなりません。
これはウサギやシカ、イノシシを狩るより遥かに労力がかかる上に、間違ったら自分がやられる確率が非常に高いのです。
まず、この狩りのコストという点で食人行為は割に合っていません。
2つ目は「人肉の栄養価が低いこと」です。
これについては英国ブライトン大学が2017年に興味深い研究を報告しました(Nature, 2017)。
ここで研究チームは「食人族が体重55キロの男性を食料にした場合に得られるカロリー量」を試算したのです。
具体的には、心臓は650キロカロリー、肝臓は2570キロカロリー、太ももは1万3350キロカロリー、上腕は7450キロカロリー、脳と脊髄は2700キロカロリーというように各部位のカロリーを計算し、これらを合わせて人体一つの総カロリー量は約12万〜14万キロカロリーになると算出しました。
一見するとすごい高カロリーにも聞こえますが、実はこれは25人の成人男性が半日もつかどうかの栄養しか得られない数字なのです。
それならば、集団で協力した1頭のマンモスを仕留めれば、同じ数の男性が2カ月間暮らせるだけの食料が得られるとチームは述べています。
なので、毎日の栄養を効率的に摂る上で食人行為はまったく向いていません。
しかし最大のデメリットは3つ目にあります。
それが「病気への感染リスクが極めて高いこと」です。
私たちの体は表向き健康そうに見えても、さまざまな細菌やウイルス、寄生虫などが棲みついている可能性があります。
そして重大なポイントは、ある人に感染した細菌やウイルス、寄生虫が同種の人間であれば容易に伝染しうる点です。
例えば、他の動物からヒトにウイルスが伝染するには、そのウイルスに何らかの遺伝子変異が起きる必要があります。
イメージとしては、コンセントのプラグの形がちょっと違う様を想像してもらうといいでしょう。
ある動物には挿せるコンセントでも、プラグの形が違うヒトには挿さらず、感染が起きません。
しかしヒト同士であれば、プラグの形を変えなくともそのまま感染できるわけです。
では日常的に人肉食を続けているとどうなるのか?
この疑問に答えてくれる実例が過去にあります。
南太平洋のパプアニューギニアに先住する少数民族「フォレ族」の事例です。
フォレ族は1950年代まで、日常的に死者の肉を食べて弔う風習を持っていました。
具体的には、死者の筋肉部位を男性が食べて、脳と臓器を女性が食べていたのです。
その中で奇妙な病気がフォレ族の間に広がり始めます。
全身の筋肉が緩んで上手く立てなくなったり、体中が激しく震えて止まらなくなったり、何も口にすることができず、最終的には肺炎で死亡してしまうケースが急増したのです。
この謎の病気は現地で「体が震える」という意味から「クールー病」と呼ばれています。
研究者が詳しく調べたところ、その原因は死者の脳内に潜む「プリオン」という病原性物質にあることが判明しました。
プリオンは周囲の正常なタンパク質を病原性物質に変質させながら、脳を徐々に蝕んでいく恐ろしい物質です。
これが原因でクールー病が発生しており、実際に脳を食べていた女性により多くのクールー病が見られていました。
このように食人行為を日常化させる集団は、いつか必ず何らかの伝染病を引き起こし、破滅の道を歩んでいく運命にあるでしょう。
こうした科学的な理由から「人は人食べるべきではない」とはっきり断言できるのです。
参考文献
Cannibalism: A health warning
https://www.medicalnewstoday.com/articles/311277
Is it really bad to eat people?
https://particle.scitech.org.au/health/food/is-it-really-bad-to-eat-people/
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部