生きている不思議と死んでいく不思議、その境界の話です。
東京大学で行われた研究により、生と死の境界を数理学的に判断する手法が開発されました。
この理論モデルでは栄養レベルや酸素レベルなど複数の要因を用いて生と死を細胞レベルで判断すると共に、生死の境界を数理学的に導き出し、その境界を「1度渡ってしまったら2度と戻れない三途の川」になぞらえて「三途の超曲面」と名付けました。
死の数理学を構築し死を理解することは、命の不思議を解き明かすことにつながります。
研究者たちは論文の最後にて「死の理論を明らかにすることができれば、それは「死」の概念を改革する上でさまざまな意味を持つ可能性がある」と述べています。
しかし数理理論によって描き出された「三途の川」は、いったいどんな見た目をしていたのでしょうか?
研究内容の詳細は2024年11月27日に『Physical Review Research』にて公開されました。
目次
- 越えたら二度と戻れない「三途の超曲面」の数理理論
越えたら二度と戻れない「三途の超曲面」の数理理論
生の世界と死の世界は何によって別けられているのか?
誰もは1度は考えたことがあるでしょう。
日本の仏教の考えでは、現世と来世の間は「三途の川」と呼ばれる川によって隔てられていると考えられています。
またよりカジュアルな認識では「三途の川」は生と死を隔てる境界線であり、渡り切ってしまうと2度と生の世界には戻れないとされています。
オカルト分野でも三途の川は人気であり、三途の川を渡り切る前に、先に旅立った肉親や親友に警告を受け、思い直して引き返すと病院のベッドの上だった……といった話がよく描かれています。
一方、生物学の分野の死の定義はやや曖昧でした。
これまでの研究により、生きている細胞と死んでいる細胞を区別するためのさまざまな判定法が開発されてきましたが、ある判定法Aでは「死んでいる」とされた細胞が別の判定法Bでは「生きている」と判定されることが多々ありました。
たとえば細胞内部の化学反応を測定する方法では、細胞内の化学反応が一定以下まで低下することが「死」とされています。
しかし細胞膜のダメージが一定以上を死とする判定法や細胞の再増殖能力をもとに死を判定する方法など他の方法と必ずしも結果が一致するわけではありません。
そのため、細胞死の起こる仕組みやメカニズムが活発に研究されているにもかかわらず、「死」という現象がどのような数理学的性質を持つかは全く不明なままでした。
そこで今回、東京大学の研究者たちは近年急速に進歩している計算生物学の手法を用いることで、生死の境を数理学的に判定する方法を開発することにしました。
研究はまず最初に「生きている状態」と「死んでいる状態」についての最も基本的な確認から始まりました。
それは、生きているものは死ぬことができますが、死んでしまったものは生きている状態に戻らないという、基本中の基本です。
加えて研究では「生きている状態(の代表点)」に戻れる一時的な不活性化もまた「生きている状態」であり、戻れない状態こそが本当の「死んだ状態」と定義しました。
「何を当然のことを…」と思うかもしれませんが、数理理論を確立するにはそういった基礎の基礎から理論を積み上げていかなければなりません。
次に研究者たちは、理論構築の基盤として、細胞の生死と個体の生死を区別する必要がない単細胞生物を想定し、細胞内部で起こる生命活動を計算対象とすることにしました。
たとえば細胞に外部から物質Xが取り込まれ、それが物質Yに変換されることでエネルギーが発生し、最終的に物質Yが体外に排出されるときにいった反応です。
このような反応は、糖分が分解されエネルギーが取り出される過程をはじめ、生命活動の最も基本的な形となっています。
研究では、このような基本的な生命活動が行われ続けている状態を「生きている状態」としました。
生きている状態が続く限り、細胞が糖を分解してエネルギーを取り出し続けるように、物質Xが物質Yに変換されてエネルギーを取り出す反応が続けられます。
次に研究者たちは、外部の栄養濃度や酸素濃度を制御して、この反応の進み具合を調べました。
すると本物の細胞と同じく外部の栄養濃度や酸素濃度といった条件が良好な場合「XとYとエネルギー」を基本とした生命活動が順調に続けられることが判明。
また条件を多少悪化させただけでは、反応が一時的に不活性化状態に陥るだけで、その後の条件の改善により活性化状態に復活できることが示されました。
このような一時的な生命活動の不活性化は「生きている状態」に戻れることから「死んでいる状態」とは見なされません。
しかし研究者たちが解析を進めると、このような幸運な復活劇は常に起こるわけではありませんでした。
栄養濃度や酸素濃度の設定を厳しいものにして、一度不活性化してしまうと、その後にどんなに条件を改善しても、2度と活性化しないことがケースが存在したのです。
酸素供給を24時間止められた脳細胞が、その後に大量の酸素と栄養素に満ちた培養液に浸されても生き返らないように、生の世界(活性状態)に2度と戻らないこともありました。
研究者たちは、そのように復活が起こる場合と起こらない場合のデータを集め「物質(例: X、Y)」や「エネルギー」に関連付けたパラメータを用い、3次元のグラフとして可視化しました。
この図では周囲の部分が「生きている状態に戻れる領域」中央部分が「生きている状態に戻れない領域」を示しています。
外部環境が変化に合わせて、細胞の生命活動はこの3次元空間の中を彷徨います。
実際にモデルを動かしてみると、周辺領域に留まる限りは条件が悪くても生命活動が再開できるものの、中央領域に入ってしまった場合には、その後にどんなに栄養濃度や酸素濃度を優遇しても、2度と活性状態には戻らないこと……つまり永遠に「死んだ状態」になることが明らかになりました。
研究者たちは「周辺と中央を隔てる境界面は、渡ってしまうと2度と「生きている状態」に戻れない、三途の川に相当するものであると考えることができる」と述べ、この境界面を三途の川になぞらえて「三途の超曲面」と名付けました。
(※正確にはSeparating Alive and Non-life Zone を略してSANZとしています。また論文中ではSANZ hypersurface:SANZ超曲面とも記述されています)
もし単細胞生物の病院があるならば、医者たちは「X、Y、エネルギー」の数値を血液検査のように測定することで、その細胞が今後生き残る可能性があるかどうかを判断できるわけです。
これまで様々な生命科学の理論が打ち立てられてきましたが「三途の超曲面」という概念を含むモデルは非常にユニークかつ画期的な試みと言えるでしょう。
参考文献
「死」の数理理論を構築
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/10595/
元論文
Theoretical basis for cell deaths
https://doi.org/10.1103/PhysRevResearch.6.043217?_gl=1*45vlx7*_gcl_au*MTQ1MjgyNDczMS4xNzMyNjY0MTEx*_ga*NDc0MDg5NTkwLjE3MjAzOTI3NTM.*_ga_ZS5V2B2DR1*MTczMzQ2MjY1My4yOS4wLjE3MzM0NjI2NTMuNjAuMC4yNTU1MTUyNzI.
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部