目の前で繰り広げられる即興演奏に、心を奪われたことはありませんか?
その場で生み出される美しい旋律は、一体どのようにして生まれるのでしょうか。
本当に瞬間的なひらめきだけで奏でられているのか、それとも背後に隠れた法則や身体の動きが関与しているのでしょうか。
神戸大学の谷准教授は、この謎を解き明かすために、イランの伝統的な即興演奏に着目しました。
すると即興演奏が音だけでなく、手指や身体の動き、さらにはペルシャ語の朗誦(ろうしょう)リズムと深く結びついていることを明らかにしました。
西洋音楽とは異なる「声の文化」を持つイランの音楽。
そこには、楽器ごとの「手癖」や、口頭で伝承される独自の精神世界が存在します。
これらが即興演奏にどのような影響を与え、そして私たちが無意識のうちに持つ西洋的な音楽概念をどのように揺さぶるのでしょうか?
研究内容の詳細は書籍『Traditional Iranian Music –Orality, Physicality and Improvisation』にて記されています。
目次
- 即興演奏は「手癖」が深く関わっている
- 即興の精神は文化によって大きく異なる
即興演奏は「手癖」が深く関わっている
即興で演奏するスキルは、昔から人々を驚かせてきました。
美しい旋律が次々に生み出される様子を眺めていると「本当の天才っているんだな」と思わずにはいられません。
そのためか、即興演奏は古くから科学研究の対象にもなってきました。
研究者たちは
即興演奏とは、本当にその場で瞬間的に思いついたメロディーを奏でているのか?
それとも背景には言語化されていないルールが存在しているのか?
などとさまざまな疑問を提示し、即興演奏の行われる仕組みを解明しようとしてきました。
近年では脳科学的な分析も進んでおり、即興音楽と脳の働きについても理解が進んでいます。
たとえば即興演奏を行うミュージシャンの脳活動を調べた研究では、自己監視を司る背外側前頭前皮質の活動が低下し、創造性を促進する内側前頭前皮質の活動が増加することが示されています。
つまり即興を行っている演奏者の脳は自己が薄れて、まるで憑き物に捕らわれたかのように創造性を発揮しているのです。
また他の研究では即興演奏中の演奏者はフロー状態(ゾーン)に入っているとも報告されています。
このような結果を見ると、即興演奏は本当に即興であると断言したくなります。
しかし既存の即興演奏の研究は主に西洋音楽を対象にして音的要素や演奏者の脳活動などが主な分析対象となっており、人間的な身体的要素の影響については十分に解明が進んでいません。
そこで神戸大学の谷准教授はイランで行われている即興演奏を観察し、新たな知見を得ようと試みました。
(※谷准教授は、イラン音楽の研究者のみならず、ピアノの祖先とも言われるサントゥールという伝統楽器の演奏者でもあります)
その結果、即興演奏は共有されている音楽的な「決まり文句」を演奏の瞬間に「思い出し」たり「言い換える」ことによって成り立っていること、またペルシア語の朗誦(ろうしょう)リズムにも大きく影響を受けていることが判明しました。
演奏家たちは日々の演奏を行うなかで、仲間との間で自然とお決まりのパターンを共有し、それを場面にあわせて継ぎはぎしていたわけです。
また研究では「音楽を音を中心に考える」だけではなく、それを鳴らしている身体にも着目しました。
すると即興音楽は音の要素だけではなく、ある種の「手癖」にも導かれていることが明らかになりました。
またその「手癖」の現れ方は、楽器の種類によっても大きな差異がみられることがわかりました。
つまり演奏する楽器が違えば、手指や身体の使い方も異なり、必然的に即興演奏の自由度にも質的な差が出ることになります。
もし即興音楽がこれまでの知見のように、音的な要素に支配されているならば、ピアノで奏でるときもフルートで奏でるときも同じ旋律を奏でるはずですが、身体的な制約や手癖の存在のせいで、同じにはならないわけです。
憧れの即興演奏が純粋な音要素だけではなく、仲間内の暗黙の了解や決まり文句、手癖によっても駆動されていると考えると、やや幻滅するかもしれません。
しかし即興が脳の創造性の純粋な形と考える既存の捉え方のほうが、美化しすぎているとも言えます。
人間は身体的な要素とは無縁ではいられないからです。
また研究では「テトラコード」ごとに異なって形成される手癖の記憶は、転調を含む即興演奏の自由度に重大な影響を与えていることが示されました。
(※テトラコードとは、音階を4つの音のまとまりとして捉える考え方で、ドレミファやソラシドなどが例として挙げられます)
谷准教授はこれらの知見は「音楽が音だけではなく、手指・身体の使い方と関連しながら成り立っていることを示している」と述べています。
しかし谷准教授は分析を続ける中で、近代的な西洋音楽とは異なる発展を遂げたイラン人たちの即興の中に、より深いものを発見することになります。
即興の精神は文化によって大きく異なる
谷准教授は、分析を進める中で、近代的な西洋音楽とは異なる発展を遂げたイランの即興演奏に、より深い意味を発見しました。
イランの人々は、伝統的に口頭伝承を基本とする文化を持ち、音楽も声を通じて伝える形式を採用してきました。
これは、音楽を直接耳で聞き、口頭で伝える方法です。
一方で、西洋文化では音楽を楽譜という形で記録し、テキストとして伝える文化が根付いています。
例えば、イランの2つの異なる流派によって継承されてきた同じ名称の音楽があります。
もしこれらを楽譜に起こすと、旋律やリズムが明らかに異なることがわかります。
しかしこれらの音楽を音声のみで認識し伝承するものにとって、その捉え方は異なります。
先にも述べたように、この2つの旋律は同じ名称で伝承され、社会に共有されてきました。
そのためイラン文化ではこの2つの違いは西洋的な個性の違いではなく、同じものを言い換えたと認識されます。
これは、イランの「声の文化」において、旋律の記憶が書き留められることなく、曖昧な「思い出」として存在するためです。
その結果、多少の違いがあっても、同じ音楽として捉える傾向が強くなります。
一方、西洋のテキスト文化では、楽譜の違いが強調されます。
異なる楽譜は「誰かのもの」、つまり特定の作曲家や演奏者の個性として認識されます。
これにより、近代的な「作者」「作品」の概念と結びついていきます。
谷准教授は、このような音楽文化の大きな違いが、即興演奏の精神にも影響を与えていることに気付きました。
特に、「一回限り」という概念において、イランと西洋では捉え方が異なります。
西洋のテキスト文化では、創り出された即興演奏そのものが一回限りのものと考えられます。
そのため、たとえ演奏者が自覚していなくても、客観的に同じような即興演奏であっても、演奏者は「私は一度として同じ演奏はしていない」と主張することができます。
一方、イランの声の文化では、音楽を生み出す内的なプロセスがその都度新たに存在すると考えられます。
つまり、演奏ごとに心の中で音楽を再構築しており、そのプロセス自体が重要視されます。結果として、演奏された音楽が似ていても、内面的な体験が異なるため、常に新しいものとして捉えられます。
谷准教授は、これらの事例を通して、イラン音楽が近代西洋音楽とは全く異なる感覚のもとに営まれていると結論付けました。
この研究結果は、近代西洋音楽を基盤とした「作者」「作品」「創造性」「オリジナリティ」といった概念を見直す上で大きな意義を持ちます。
さらに、この研究は音楽教育だけでなく、私たちが無意識のうちに西洋のシステムに基づいて生活していることへの気づきを促します。
即興演奏の科学的な分析から、文化に根差した音楽的精神の違いにまで踏み込んだ本研究は「音楽とは何か、演奏とは何か」を改めて考えるきっかけを私たちに提供してくれています。
参考文献
即興演奏とは本当に即興なのか? 言語化されない様々なルールを解明
https://www.kobe-u.ac.jp/ja/news/article/20241111-66225/
元論文
Traditional Iranian Music –Orality, Physicality and Improvisation
https://transpacificpress.com/collections/new-arrivals/products/traditional-iranian-music?variant=40790466789461
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部