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ビールが町を呑み込み8名が死亡!1814年の「ロンドンビール洪水」はなぜ起こったのか?


1814年に英国ロンドンで発生した「ロンドンビール洪水」は、ビールが貧民街を襲うという異常な災害事件です。ホース・シュー醸造所の巨大なビール樽が発酵ガスの圧で爆発し、続いて他の樽も破裂。最大120万リットルのビールが濁流となって近隣を襲い、8人の死者を出しました。事故の原因は樽を固定する箍(たが)が外れたことでしたが、過失は認定されず「神のいたずら」とされました。事故後、住民が溢れたビールを飲み過ぎて急性アルコール中毒による死者も出ています。

洪水や津波は恐ろしい災害の一つですが、それが雨水や海水ではなく、「ビール」で起こったという前代未聞の事件が記録されています。

これは「ロンドンビール洪水(London Beer Flood)」として知られ、1814年の英国ロンドンの貧民街で発生しました。

ビールが津波のように町を呑み込み、なんと8名の死者を出したのです。

この大事故は一体どんな経緯で起きたのでしょうか?

 

目次

  • なぜ大事故は起こってしまったのか?
  • ビール津波が町を呑み込み、8名が死亡

なぜ大事故は起こってしまったのか?

事件が起きたのは1814年10月17日(月曜日)のこと。

ロンドン・ウェストミンスター市にあるセント・ジャイルズ教区に、1764年から続くビール工場がありました。

ここは「ホース・シュー醸造所(Horse Shoe Brewery)」と呼ばれており、セント・ジャイルス貧民街に建っていて、従業員やその家族が地下室で起居していました。

1809年からは「ヘンリー・ミュー社(Henry Meux &Co)」として、ロンドン・ポーターというダークブラウン色のビールの主要な生産所となっています。

ポーターは18世紀に開発され、焙煎した茶色麦芽を用いて醸造することで、焦がした麦芽の芳香とホップの苦さが味わえるビールです。

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1800年当時の「ホース・シュー醸造所」を描いた絵/ Credit: en.wikipedia

醸造所にはビールを発酵させるための巨大な樽があり、高さは約6.7メートルに達しました。

正確な数字はわかりませんが、樽の中では最大7500バレル(1バレル=約159リットルなので、全部で約120万リットル)のビールが醸造されていたといいます。

その日の午後4時30分頃、醸造所の従業員であるジョージ・クリックはビールの入った大樽を検査していました。

すると樽を固定しておくための箍(たが)の一つが外れて落ちていることに気づきます。

樽は木の板を何枚も組み合わせて作っており、その木材同士を固定しておくための鉄のリングが箍(たが)です。

大樽も巨大な分、箍(たが)も非常に大きく、1個でなんと317キロの重量がありました。

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樽を固定しておくための箍(たが)が外れていた/ Credit: ja.wikipedia

しかし醸造所で17年間働いてきたクリックにとって、それはあまり珍しいことではありませんでした。

年に2〜3回は樽から箍(たが)が外れていることがあったので、そこまで気にかけなかったのです。

醸造所の責任者にそのことを報告しても「後日修理を頼めば問題なかろう」と指示されたので、クリックは箍(たが)を外したまま放置し、修理依頼の手紙を書き始めます。

大事故が起きたのはその直後のことでした…

ビール津波が町を呑み込み、8名が死亡

午後5時30分頃、クリックが修理依頼の手紙を書いていた背後で突然、巨大な爆発音が鳴り響きました。

爆発源は言うまでもなく、大量のビールを積んでいた大樽でした。

ビールは発酵する際にガスを排出するのですが、箍(たが)が外れていたことで、大樽内の圧力の上昇を支えきれなくなり、ついには大爆発を引き起こすに至ったのです。

そしてこの大爆発に誘発され、醸造所内にあった他のビール樽が次々に破壊されていきました。

樽から勢いよく解き放たれた大量のビールは濁流となってセント・ジャイルスの貧民街を呑み込み始めます。

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セント・ジャイルズの貧民街を描いた絵/ Credit: en.wikipedia

正確にどれくらいのビールが流れ出たかは定かでありませんが、醸造所内にあった大樽の数から最大で32万ガロン(120万リットル)以上が溢れ出たと推定されています。

貧民街の通りには排水路がなく、路地も非常に狭かったため、大量のビールが周辺の家々になだれ込みました。

一説では高さ4.6メートルのビール波となって人々を襲ったと言われています。

近隣住民はビールに呑み込まれないよう屋内のテーブルや家具によじ登りましたが、老朽化した家はビール洪水に耐えられずにそのまま倒壊してしまいました。

この大事故で2件の家屋が全壊し、醸造所の隣にあったパブの壁が倒壊したことで、店のメイドとして働いていた14歳のエレノア・クーパーという少女が圧死する悲劇が起こっています。

これに続いて、近隣の屋内でお茶をしていた最中のメアリー・バンフィールドという女性と4歳の娘であるハンナが波にさらわれて溺死。

さらに葬儀のために地下室に集まっていた5名の住民も亡くなりました。

このロンドンビール洪水は8名の尊い命が失われるという最悪の結末を迎えたのです。

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ビール洪水の前年のセント・ジャイルズを描いた絵/ Credit: ja.wikipedia

セント・ジャイルズの貧困街は今やビールで溢れかえっていました。

救助隊は腰の高さまでビールに浸かった状態で、屋内に閉じ込められたり、ケガをした人々の救助を進めざるを得ませんでした。

この大事故を受けて、当時ロンドンで発刊されていたモーニング・ポスト紙は「セント・ジャイルズの荒涼とした光景は、火事や地震が引き起こすと思われるものに匹敵する、非常に恐ろしい様相を呈している」と報じています。

またビール洪水による直接の死亡者は8名でしたが、後日になって9名の死者が新たに出ました。

これらの人の死因を調べたところ、急性アルコール中毒と判明したことから、町に溢れかえったビールをがぶ飲みしすぎたものと考えられています。

実際に事故直後は何百人もの住民がビールをすくってグビグビ飲み干す光景が広がりました。

ビールの匂いは延々と消えず、事故から数カ月経った後でもまだビールの匂いが染み付いていたそうです。

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醸造所は1922年に解体され、現在はドミニオン・シアターが建っている/ Credit: ja.wikipedia

その後、ビール洪水に対して地元当局の捜査が入ったものの、クリックらの過失は認められず、結局は「不可抗力(Act of God=神のいたずら)」と認定されたため、刑事罰は免れることとなりました。

まあ、クリックが箍(たが)の外れていることに気づいたのが午後4時30分頃で、大爆発が起きたのがそのわずか1時間後ですから、即座に重い箍(たが)を直そうとしても爆発を止めるには間に合わなかったかもしれません。

ただし事故によって巨額の損失が発生したことは確かであり、醸造所は一時的に事業の継続危機に追い込まれています。

それでも経営者らhが議会に請願したことで資金援助が認められ、事業撤退の危機からは脱しました。

醸造所はその後1921年まで続きましたが、1922年に閉鎖と解体が行われ、跡地には現在、ロンドンの有名な劇場である「ドミニオン・シアター」が建っています。

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参考文献

In 1814, London Was Terrorized By A 320,000-Gallon Tsunami Of Beer
https://www.iflscience.com/in-1814-london-was-terrorized-by-a-320000-gallon-tsunami-of-beer-76882

This 1814 Beer Flood Killed Eight People
https://www.smithsonianmag.com/smart-news/1814-beer-flood-killed-eight-people-180964256/

The London Beer Flood
https://www.history.com/news/london-beer-flood

ライター

大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。

編集者

ナゾロジー 編集部

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