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「親を失うより深刻」博士課程はメンタル崩壊を引き起こしやすいと判明


スウェーデンのヨーテボリ大学による調査で、博士課程の学生は一般人や修士課程卒業生に比べ、精神科治療薬の必要性が高いことが判明しました。博士課程の進行につれて、メンタルヘルスケアの需要が増加し、特に5年目でピークに達することが観察されています。この精神的負担の原因には、研究の不確実性や経済的不安、自己犠牲的な努力による社会的孤立が挙げられます。その他のライフイベントと比較しても、博士課程は長期的に深刻なメンタルヘルスへの影響を与えると結論付けられています。

博士課程は、知識の深みへと足を踏み入れる冒険のように思えるかもしれませんが、そこには思いも寄らない心理的な試練が潜んでいます。

スウェーデンのヨーテボリ大学(University of Gothenburg)の研究結果から、博士課程の学生たちは一般の人々や修士課程の卒業生よりも、精神科の薬を必要とする割合が高いことが明らかになりました。

博士課程に入るまでは、メンタルヘルスの状況に特別な違いは見られませんが、課程が進むにつれ、メンタルヘルスケアの必要性が急増することが分かっています。

この現象は、単なる一時的なものではなく、5年目のピークを迎えた後も、その影響が続くことが示されています。

つまり、博士課程の研究が直接的にメンタルヘルスに悪影響を及ぼしている可能性が高いのです。

果たして、この高度な学びの追求は、学生たちの心にどのような影響を与えているのでしょうか。

この研究(査読前論文)の詳細は、2024年8月15日付の『SSRN』に投稿されています。

目次

  • スウェーデンにおける博士課程学生のメンタルヘルス調査
  • 博士課程の挑戦がメンタルヘルスに与える影響
  • なぜ博士課程の「知の探求」がメンタルに負荷を与えるのか?

スウェーデンにおける博士課程学生のメンタルヘルス調査

学問の頂きを目指す博士課程には、ただ知識を深めるだけでなく、自己の限界を試す心理的な試練が待ち受けています。

最近の研究によれば、博士課程に進む学生たちは、一般の人々や修士課程の学生と比べてうつ病不安障害に悩まされる割合が高いことが分かっています。

ある調査では、博士課程の学生のうち24%がうつ病、17%が不安障害を訴えており、その割合は一般人と比べて数倍高いと言われています。

では、なぜ大学院生のメンタルヘルス問題がこれほどまでに深刻化しているのでしょうか。

多くの研究が博士課程の学生たちが抱える心理的な負担を指摘していますが、その原因を解明するには、まだ幾つかの疑問が残っています。

この研究は、博士課程がメンタルヘルスに与える影響をより明確にするため、スウェーデンの全人口データを活用し、学生たちの精神科治療薬の使用状況を時系列で比較しました。

このアプローチにより、従来の調査では明らかにできなかった、博士課程の真の心理的負担が浮き彫りにされることが期待されています。

博士課程の学生たちは、知識の最先端を極めるため、研究の深淵に飛び込む一方で、その環境が健康にどう影響を及ぼすのかは、研究者たちにとって興味深い謎です。

次に「博士課程学生のサンプル」、「比較対照グループ」、「医療履歴」という3つの視点から、その探求のデータを解き明かしていきます。

博士課程学生のサンプル

2006年から2017年にかけて、スウェーデンで博士課程に進学した人たち約37,134人を対象に、この研究のサンプルが収集されました。

この期間に医療データが2005年から収集されていたため、博士課程に進学する少なくとも1年前からの医療履歴が観察可能でした。

但し、全員が調査対象になったわけではありません。

スウェーデンでの修士号を持たない者や、研究の活動率が70%を下回る分野(例えば臨床に従事しつつ学ぶ医学系の学生など)は除外され、最終的には20,085人がこの「調査」に加わることとなりました。

このサンプル選定は、医療の使用状況や研究環境の違いが、心の健康にどう影響を与えるかを知るために重要なフィルターです。

比較対照グループ

彼らの影響を測るためには「比較対照」が必要です。

そのために用意されたのが、一般集団と高学歴集団(修士課程修了者)の2つの比較対照グループです。

一般集団の対照グループには、2006年時点で生存しており、博士課程に進んだことのない人々が選ばれました。

一方、高学歴の対照グループはスウェーデンで修士号を持つ個人に限定されており、博士課程の学生たちと同じ分野と修士号取得年に基づいてマッチングされました。

こうして、約7,045,134人の一般集団と306,430人の高学歴集団が、この「知の挑戦者」たちと比較されることになったのです。

医療履歴

ここで追跡される「医療履歴」とは、「メンタルヘルス」に関連する医療の使用、特に精神科の薬の処方履歴です。

スウェーデンの医薬品データベースには2005年以降の処方データが含まれており、この情報を使って学生たちが博士課程在学中に受ける精神的な負荷を数値化しています。

データは、「薬の処方があったかどうか」というシンプルな指標によって、博士課程における知的探求が彼らのメンタルにどのような影響を与えるのかを把握しようとしています。

博士課程の挑戦がメンタルヘルスに与える影響

博士課程の研究に挑む学生たちの多くが、次第に精神科治療薬の使用頻度を高めていることが分かりました。

博士課程に進学する前、学生たちは一般集団や高学歴者と同等のメンタルヘルスケア受診率を示していましたが、博士課程に入学するとその状況は急変します。

下図に示されているデータによれば、博士課程が経過するにつれて、彼らのメンタルヘルスケアの受診が急増することが確認されています。

研究の結果からは、この増加が一時的なものではなく、博士課程の途中において特に顕著であることが示されています。

博士課程という挑戦は、学生たちにとってメンタルヘルス面でのリスクを潜在的に高める道でもあるのです。

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図  博士課程開始以降に処方された精神科治療薬の服用割合:比較対照グループは、一般集団、高学歴集団(修士号取得者)の個人を、性別、出生年、高学歴集団については学問分野と修士号取得年によって博士号取得者集団と整合させています。/ Credit : Sanna Bergvall(University of Gothenburg)-The Impact of PhD Studies on Mental Health-A Longitudinal Population Study-(2024)

一般的なライフイベントの影響

ここで重要になるのは、博士課程の影響が他のライフイベントによるものではないかという仮定です。

博士課程の開始は、卒業や就職、転居といった他の大きな人生の転機と重なることが多いため、メンタルヘルスの変化が博士課程そのものの影響であるかどうかを確認する必要がありました。

このため、博士課程と同じ時期におけるライフイベントの影響を検討し、博士課程が直接的にメンタルヘルスに影響を与えていると結論付けられるかどうかをテストしました。

この結果、博士課程の開始が学生のメンタルヘルスケアの需要を高めることに対して、他のライフイベントによる影響は小さいことが確認されました。

深刻なライフイベントの影響

そこで、博士課程の影響を他の深刻なライフイベントと比較しました。

例えば、「親の死」という辛い出来事と博士課程開始後のメンタルヘルスへの影響を対比し、相対的リスクの評価を行いました。

データによると、親を失った場合、精神科治療薬の使用は一時的に28%ほど増加しますが、喪失から2年後には元のレベルに戻ります。

一方、博士課程によるメンタルヘルスへの影響はより持続的で、研究が進行する数年間にわたり続くことが確認されています。

このことからも、博士課程がもたらすメンタルへの負担は、他のライフイベントよりも長期的かつ深刻である可能性が浮かび上がりました。

なぜ博士課程の「知の探求」がメンタルに負荷を与えるのか?

博士課程を歩む学生たちにとって、知識の頂点を目指す旅路は、栄光と希望に満ちているように見えるかもしれません。

しかしその一方で、厳しい研究生活の中で心のバランスを崩してしまう人が多いのも現実です。

この研究が示すデータは、博士課程が学生たちのメンタルヘルスにどのような影響を与えているのかを、客観的に浮かび上がらせています。

博士課程に進学する前の学生たちは、修士号を持つ他の学生たちと同じ程度のメンタルヘルス状況を保っていました。

しかし、下図に示されるように、博士課程の開始とともにメンタルヘルスケアの利用が増え始め、5年目にそのピークを迎えます。

5年目には、博士課程に進学する前と比較して40%も高い確率でメンタルヘルスのサポートが必要とされているのです。

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図 博士課程開始以降における必要な精神科治療への依存度 / Credit :  Sanna Bergvall(University of Gothenburg)-The Impact of PhD Studies on Mental Health-A Longitudinal Population Study- (2024)

この現象は、単に「研究が難しいから」では片づけられません。

知識の頂を目指す探求が、心の健全さにこれほどまでに影響を及ぼすのは一体なぜなのでしょうか。

まず考えられる要因の一つに、博士課程の研究が持つ「不確実性」があります。

博士課程の学生たちは、自らが見つけたテーマに基づき研究を進めますが、その成功の保証は誰にもありません。

この不確実さが積み重なることで、結果に対する強いプレッシャーや、時には失敗への恐怖が心に影を落とします。

特に、研究が思い通りに進まず、成果が出ないときには自己嫌悪や焦燥感に苛まれやすく、メンタル面に大きな負担がかかるのです。

また、博士課程の道は、長期的な経済的不安を伴います

奨学金や研究費に頼る学生も多く、安定した収入が見込めないために将来への不安が常につきまといます。

さらに、博士号を取得しても、学問の道で職を得られる保証はなく、キャリアの見通しがはっきりしない状況が続きます。

こうした先行きの不安は、メンタルヘルスを大きく揺さぶる要因となります。

さらに、博士課程の研究が求めるのは、個々人の限界に挑む「自己犠牲的な努力」です。

研究に没頭するあまり、生活のバランスが崩れやすく、家族や友人との関係を犠牲にすることも少なくありません。

こうした社会的な孤立もまた、精神的な支えを失い、心の疲労が蓄積される一因となります。

これらの要素が絡み合い、博士課程の学生たちはメンタルヘルスケアの必要性が高まるのです。

国内における博士課程の学生のメンタルヘルスについても、精神的負担が高いことを示すデータや、学生のサポートの必要性を強調する専門家の指摘があります。

日本のメディア記事によれば、大学院生のメンタルヘルスケアの欠如が大きな社会的損失であると指摘され、厳しい長時間の研究環境が、彼らの精神的健康をむしばむ原因の一つとして挙げられています。

これらの研究結果は、メンタルヘルス問題が単なる「個人の問題」にとどまらず、学問の世界全体が抱える重要な課題であることを示しています。

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パソコン3台を使って勉学に励む学生のイメージ / Credit : Canva

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参考文献

The Impact of PhD Studies on Mental Health-A Longitudinal Population Study
https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=4920527

ライター

鎌田信也: 大学院では海洋物理を専攻し、その後プラントの基本設計、熱流動解析等に携わってきました。自然科学から工業、医療関係まで広くアンテナを張って身近で役に立つ情報を発信していきます。

編集者

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

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