カチカチ山は日本でも有数の昔話として知られており、この記事を読んでいる人の中にも読んだことのある人は多いでしょう。
そんなカチカチ山ですが、時代ごとに描写が大きく変わっていったことでも有名です。
果たしてカチカチ山の描写は、江戸時代から現代にかけてどう変わっていったのでしょうか?
この記事ではカチカチ山の描写の時代ごとの変遷について、場面ごとにどう変わっていったのかについて紹介していきます。
なおこの研究は、白百合女子大学児童文化研究センター研究論文集5巻p56-85に詳細が書かれています。
目次
- 意味もなく捕獲されるタヌキ、戦後改革の一環で消えたばばあ汁
- どんどんマイルドになっていったウサギの復讐
意味もなく捕獲されるタヌキ、戦後改革の一環で消えたばばあ汁
カチカチ山の話の原型は戦国時代には完成しており、江戸時代にはカチカチ山の赤本(子供向けの本)が数多く出版されていました。
ここでカチカチ山のあらすじについて簡潔に紹介します。
昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは悪さをしたタヌキを捕まえて閉じ込めていましたが、タヌキはおばあさんを騙して抜け出し、おばあさんを殺しました。それに対しておじいさんはウサギに一部始終を話し、ウサギはそれを受けてタヌキに復讐をします。最終的にウサギはタヌキを懲らしめて、めでたしめだたし。
大まかなあらすじは以上の通りですが、詳細は時代によって大きく異なっています。
まず悪さをしたタヌキを捕まえるシーンですが、明治時代後期になるまでそもそもどこでタヌキを捕まえたのかについて言及されておらず、いきなりおじいさんがタヌキを捕獲して担いで帰っているシーンからはじまります。
これは江戸時代や明治時代前期においてはタヌキが害獣であることは自明の理であり、「おじいさんがタヌキを捕まえる」ことを正当化する必要がなかったからです。
なお明治時代後期、おじいさんは「畑を荒らした」という理由で捕まえていたものの、1960年代頃からは「タヌキが悪口を言ったり馬鹿にしたりから」という理由で捕まえるようになっており、タヌキの捕獲理由は時代が下るにつれてどんどん寓話的な表現になっていきました。
またタヌキがおばあさんを殺害するシーンですが、殺害方法については非常にバラエティに富んでおり、一番メジャーな杵(きね)による撲殺だけでなく、絞殺や刺殺、果てや飛びつきまで様々な方法が用いられていました。
さらにタヌキが殺害したおばあさんを調理してばばあ汁たる料理を作りそれをおじいさんに食べさせるシーンは、江戸時代はおじいさんが「ばばあ臭い」と料理を怪しがっている展開になっているものの、明治時代後期には「おいしい」といって何度もおかわりする展開になっています。
しかし1950年代頃からは一転してタヌキはおばあさんに怪我を負わせるだけになり、1960年代半ばまでおばあさんが殺される作品は皆無だったのです。
これは、戦後の改革のもとで子供には勇ましくすることよりも仲良くすることを求めるようになり、その一環として昔話内の殺人描写が省略されるようになったものであるとされています。
その後1960年代後半以降は昔話ブームもあって原作通りに伝えなければならないという認識が高まったこともあり、おばあさんが殺害される作品も徐々に増えていきました。
しかしばばあ汁に関しては引き続き省略されたり、登場してもあまり注目されなかったりしていており、今に至るまで復権できていません。
どんどんマイルドになっていったウサギの復讐
作中でウサギがタヌキに行う復讐は「タヌキが背負っている柴に火を付ける」、「火傷によく効く薬として唐辛子入りの味噌を塗る」、「泥船に乗ったタヌキを水中に沈める」の三回に分けることができます。
一回目の復讐をするためにウサギがタヌキを呼び出す口実については1960年代後半まであまり描かれておらず、その描写のあるわずかな作品では「食べ物を口実に呼び出した」と描かれています。
その後の作品では食べ物だけでなく歌でタヌキを呼び出すパターンもあり、タヌキを呼び出す口実に関しては徐々に充実していったことが窺えます。
また江戸時代は一回目の復讐に関してはあまり大きく取り上げられておらず、あくまで後述する三回目の復讐がメインとして扱われています。
しかし時代が下るにつれて一回目の復讐の比重は増えていき、1970年代後半以降はタヌキが背負っている柴が燃えている様子が大きく描かれるようになりました。
さらに二回目の「火傷によく効く薬として唐辛子入りの味噌を塗る」という復讐に関しては、一部の作品ではしばしば省略されています。
しかし二回目の復讐が省略されている作品は江戸時代から現代まで幅広くみられており、時代によって大きく異なっているわけではありません。
三回目の「泥船に乗ったタヌキを水中に沈める」という復讐は、すべての時代において描かれているものの、詳細部分は時代によって異なっています。
江戸時代は泥船が沈んで助けを求めたタヌキに対して、ウサギは櫓(ろ、舟を漕ぐための道具)でタヌキを打ちつけて殺しています。
しかし大正時代に入るとタヌキの死因は溺死へと変わっていき、ウサギが自らの手でタヌキを殺す展開は減っていきました。
さらに1950年代に入ると、タヌキが謝罪してウサギが溺れたタヌキを助けるという展開も登場しました。これは先述した戦後改革による昔話の殺人描写の省略の一環によるものであるとされています。
タヌキがおばあさんを殺す展開が無くなったことにより、それに対する復讐としてウサギがタヌキを殺すのは流石にやりすぎであると考え、ウサギは最終的にはタヌキを助けるようになったのです。
このようにカチカチ山の作中内の描写は時代によって大きく変わっていき、残虐な描写や唐突な展開は少しずつなくなっていきました。
100年後のカチカチ山は今よりマイルドなもののなっているのか、それとも揺り戻しが来て今よりも過激な描写が増えるのかは現時点では未知数であるものの、今のカチカチ山とはかなり異なったものになるのではないかと感じます。
参考文献
江戸期から現代までの「かちかち山」絵本の変遷
https://shirayuri-u.repo.nii.ac.jp/records/669
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。