闇の世界で酸素を作っていたのは鉱石でした。
スコットランド海洋科学協会(SAMS)で行われた研究により、光が届かず光合成が不可能な深海では、鉱石が電気分解により海水から酸素を生成している可能性が示されました。
これまで深海の酸素は海の表面に住む光合成生物が作った生物由来の酸素(光の酸素)が拡散することによって維持されていると考えられてきました。
もし鉱石による電気分解が酸素の供給源として大きな役割を果たしているならば、地球の酸素の起源について大幅な見直しが迫られるでしょう。
しかし、いったいどんな鉱石が酸素を生成していたのでしょうか?
研究内容の詳細は2024年7月22日に『Nature Geoscience』にて公開されました。
目次
- 光が届かない海底で酸素が作られている
- 暗黒酸素の発生源を探せ
光が届かない海底で酸素が作られている
深海というと、熱水噴火口など一部を除き、砂に覆われた平坦な世界を想像するかもしれません。
しかししかし、実際には、深海の地形は非常に多様で、上の図のようにゴツゴツした黒い石で覆われた奇妙な地形が広がっている地域も存在します。
この黒い塊の正体はポリメタル・ノジュール(多金属団塊)と呼ばれており、電池の製造に必要となるマンガンや鉄、銅、ニッケル、コバルトなど多くの金属が含まれています。
そのため資源を狙う採掘企業たちにとって、海底は宝の山と言えるでしょう。
しかし新たな研究では、これらの海底に広がる塊たちが、単なる資源ではなく、酸素を生成している地球にとって重要な存在である可能性が示されました。
多くの人々は小学生のときに「酸素は光合成によって作られている」と教わります。
葉緑体を備えた植物細胞は光のエネルギーを使ってデンプンなどの栄養素を作り、その際に、二酸化炭素を吸い込んで、酸素を吐き出します。
上の図のように太陽と植物が描かれたイラストを一度は見たことがあるでしょう。
そして理科のテストなどでは「動物が酸素呼吸ができるのはなぜか?」という質問に対しては、植物たちの「光合成」のお陰と解答用紙に書き込まなければなりません。
もし光が届かない海底の鉱石たちが酸素を生産している場合、教科書に載っているような光合成の図は、酸素供給システムの一部に過ぎないことになり、酸素の起源についても再考を迫られることになります。
実験の失敗が大発見につながった
偉大な発見がしばしばそうであるように、今回の研究も失敗と挫折、そして勘違いからはじまりました。
研究が開始されたのは今から11年も前の2013年に遡ります。
当時研究者たちは、海底の生物が消費する酸素量を調べようとしていました。
海底の酸素消費量や二酸化炭素排出量はまだ詳しく理解されておらず、温暖化などのシミュレーションを正確に行う妨げになっていたのです。
調査にあたっては4000メートルの海底に密閉領域を構築し、時間経過による酸素の減少量が調べられました。
光が届かない海底では光合成が行われません。
そのため外部から酸素が供給されない密閉環境では、内部の生物の呼吸によって酸素濃度は低下する一方だと予測されました。
しかし測定開始からわずか2日あまりで、密閉された実験空間の酸素濃度は減るどころが3倍に上昇していたのです。
研究者たちはセンサーの故障と判断し、メーカーに対してクレームを送りました。
深海探査は非常に経費がかかるため、1度の測定失敗でも研究予算を大きく削ることになるからです。
しかし返却された装置を使った測定でも「酸素濃度上昇」という同じ結果が得られました。
そこで2021年、研究者たちは別の仕組みで働く酸素濃度測定器を使い、複数の地点で、再度の調査を行いました。
ですが、それでも、結果は同じでした。
密閉された海底領域で、酸素濃度が増え続けたのです。
この結果は、異なる酸素濃度測定技術を使っても、複数の海底を調べても、同様に酸素濃度が増え続けていることを示しています。
こうなると、原因は単なるセンサーの故障とは異なってきます。
人類の知らない未知の仕組みが、海底で酸素を生成しているとしか考えられません。
暗黒酸素の発生源を探せ
研究者たちがまず最初に疑ったのは、微生物の存在でした。
近年の研究により、光が届かない環境に生息する細菌や古細菌などの微生物たちが、酸素を生成していることが明らかになってきたからです。
またそのような光がない場所で生産される酸素は通常の酸素と区別するため「暗黒酸素(ダーク・オキシジェン)」と呼ばれています。
そこで研究者たちは暗黒酸素が微生物に由来するかを確かめるために、密閉された区画に塩化水銀(HgCl 2:濃度1.1μM)を流し込みました。
塩化水銀は重金属の一種であり非常に高い毒性を持つことが知られており、海底の微生物たちの影響を容易に「排除」することが可能です可能です。
しかし驚いたことに、塩化水銀によって微生物が排除された場合でも、酸素濃度が同じように上昇することが明らかになりました。
この結果は、計測された酸素濃度の上昇が生物によらない現象であることを示しています。
そこで研究者たちは次なる候補として、海底に転がるゴツゴツとしたポリメタル・ノジュール(多金属団塊)に着目しました。
先に述べたように、この黒い塊は電池の材料となるマンガンや鉄、銅、ニッケル、コバルトを多量に含んでいます。
もし塊が電池として働いていれば、海水を水素と酸素に電気分解している可能性があります。
実際これまでの研究により、塊の周辺は塊がない部分に比べて、圧倒的に多くの生物が生息していることが知られています。
特に2013年に行われた研究では、大型動物の約半数は、塊の周囲でのみ発見されました。
海底で生活する生物たちが酸素供給を塊に頼っているとしたら、この結果は納得できます。
そこで研究者たちは塊を取り出して、表面に電圧が生成されているかを測定することにしました。
すると驚いたことに、塊の表面にはほぼ1ボルトの電圧がかかっていることが判明します。
日本で売られている標準的な単三電池の電圧が1.5ボルトであることを考えると、かなりの電圧であると言えます。
これまでの研究により、ポリメタル・ノジュール(多金属団塊)は魚の骨や歯など有機物や小石が核となり、周辺に金属が層状に形成されるパターンがあることが知られています。
このとき形成される層は木の年輪のような形状をしており、100万年で1ミリ程度という非常にゆっくりした速度で成長します。
また、各層にはそれぞれが異なる金属組成によって構成されており、たとえばある層ではマンガンが多く含まれ、別の層ではコバルトやニッケルが豊富に含まれている場合もあります。
一方、塊は多孔質であることも知られています。
そのため研究者たちは、適切な金属の層が露出している場合には電池として機能する可能性があると述べています。
実際、研究者たちが塊の表面積と酸素生成率を比較したところ、両者が相関関係にあることがわかりました。
現時点で、海底で作られる暗黒酸素が地球全体の酸素のどの程度の割合を担っているかは不明です。
ただ今後の海底採掘などによりポリメタル・ノジュール(多金属団塊)がとり尽くされてしまった場合、生物にとって生命線となる酸素供給源が失われてしまうかもしれません。
そのため研究者たちは、鉱業業界は深海採掘活動を計画する前にこの発見を考慮すべきだと述べています。
今回の研究対象となったクラリオン・クリッパートン地帯にあるポリメタリック・ノジュールだけでも今後数十年分の世界の電池需要を満たすのには十分です。
しかし1980年代に採掘された場所を調べてみたところ「細菌すら存在しなかった」ことがわかりました。
この結果は、海底の生態系においてポリメタリック・ノジュールが生命の多様性に決定的な役割を与えており、その喪失は海底の無生物化につながる可能性を示しています。
参考文献
Deep-ocean floor produces its own oxygen
https://www.eurekalert.org/news-releases/1051740
元論文
Evidence of dark oxygen production at the abyssal seafloor
https://doi.org/10.1038/s41561-024-01480-8
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部