オリンピックは世界を代表する総合スポーツ大会ですが、その由来となっているのは古代ギリシアで行われていた古代オリンピックです。
果たして古代オリンピックはどのように運営されていたのでしょうか?
また古代オリンピックの勝者にはどのようなものが与えられていたのでしょうか?
本記事では古代オリンピックの経緯や社会における位置について取り上げつつ、古代オリンピックの勝者に与えられた特権について書きます。
なおこの研究は、国府台経済研究31巻1号p.9-31について詳細が書かれています。
目次
- 競技大会で同胞意識を醸成していた古代ギリシア古代オリンピック
- 勝者には特権が与えられたものの、批判も多し
競技大会で同胞意識を醸成していた古代ギリシア古代オリンピック
古代ギリシアの世界は多くの都市国家があり、それゆえ普段は他の都市国家の住民のことを同胞として意識することはありませんでした。
しかし4年に1度開催されていたオリンピア祭(古代オリンピック)では全ギリシアから多くの人が集っており、その大会で人々は全ギリシアの一体感を醸し出していたのです。
第一回の古代オリンピックが開催されたのは紀元前776年であり、この大会ではコロボイスという陸上選手がスタディオン走(短距離走)で優勝したと記述があります。
しかしこの古代オリンピックが第一回としてカウントされているのは、記録が残っている中で一番古い大会であるからであり、実際の「第一回古代オリンピック」はもう少し古い時代にあったのではないかと言われています。
この古代オリンピックで行われた競技は、第一回の時点ではスタディオン走だけであったものの、時代が下るにつれて競技が増えていき、戦車レース、ボクシング、レスリング、フェンシングなどといった競技が導入されました。
また一時期は体育競技だけではなく、詩の競演などといった芸術競技が行われたこともありました。
このような全ギリシアから人が集う競技大会は古代オリンピックだけではなく、他にもピュティア祭、イストミア祭、ネメア祭といった競技大会が開催されていました。
なお古代オリンピックが開催されてから2年目と4年目の年にはイストミア祭とネメア祭、3年目の年にはピュティア祭が開催されていました。
そのようなこともあって、古代ギリシアの世界では毎年何らかの競技大会が開催されていたのです。
その中でも古代オリンピックは群を抜いて特別な大会であり、多くの古代ギリシア人はオリンピックを見るためにオリュンピアに集っていました。
この4大競技大会はいずれも勝者には植物の冠だけが与えられており、古代オリンピックの勝者にはオリーブの冠、ピュティアの勝者には月桂冠(月桂樹の葉で作った冠)、イストミア祭の勝者にはセロリの冠(のちに松の冠に変更)、ネメア祭の勝者は古代オリンピックと同じオリーブの冠(後にセロリの冠に変更)が与えられました。
しかし競技は各大会によって異なっており、一部の競技大会でしか開催されていない競技も多くありました。
また同じ競技であったとしてもルールなどは各大会によって異なっており、一番オーソドックスであったスタディオン走を取っても、走る距離は古代オリンピックでは192mであったのに対し、ピュティア祭では172mであるなど、大きく異なっていたのです。
これは先述したように当時の古代ギリシアの社会において都市が独立していたことが大きな理由ですが、この多様性こそが古代ギリシアの競技大会の特徴を表していたともいえます。
勝者には特権が与えられたものの、批判も多し
また先述したように、4大競技大会で与えられる主催者からの賞品は植物の冠だけだったものの、勝者は本国に帰れば様々な特権に預かることができました。
例えばアテネでは大会の勝者は劇場の優先席や迎賓館での食事提供などといった特権を生涯にわたって受けることができました。
現代でも競技大会の勝者は多大なる名誉を手に入れることができるため、こうした公に認められた特権以外にも当時の大会勝者が様々な場面で有形無形の優遇を受けていたであろうことは想像に難くないでしょう。
しかしこうして競技大会の勝者になった人の存在は広く知られているのにもかかわらず、史料上に先述した特権の享受者として登場するのは軍人や弁論家がほとんどであり、競技大会の勝者が登場することはあまりありません。
このようなことから、競技大会で勝利したからといってそれが軍事や政治にかかわる活動で優位に働くものではなかったことが窺えます。
こうした特権に批判する声がなかったわけではなく、哲学者のクセノファネスは「すぐれた知恵より体力を尊ぶのは正しいことではない」と、競技大会の勝者に特権を与えることに難癖を付けていました。
またアテナイの弁論教師であったイソクラテスは、「運動競技で活躍した者を大きな褒美で報いることを当然として、知恵や刻苦勉励によって有用な発見をした人を顧みない国々のあることを不思議に思っています」と、競技大会の勝者ばかりを優遇して、知恵者を軽視する風潮に警鐘を鳴らしていました。
さらにこうした特権を手に入れるために大会で不正をするものも多く表れており、競技で反則を行って勝つものや審判を買収して自分に有利な判定を出すようにするものが多く表れました。
特に古代オリンピックではそれが顕著であり、買収を行ったものには多額の罰金と大会からの追放が言い渡されたのです。
この罰金をもとにオリュンピアでは「ザーネス」という不正を象徴するゼウス像が作られましたが、時代が下るにつれてゼウス像の数は増える一方であり、最終的には16体のザーネスがそびえたつこととなりました。
オリンピックに限らずスポーツ大会ではしばしば「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という標語が掲げられていますが、この標語の元ネタは古代ローマの詩人のユウェナリスの詩であり、実際は
orandum est ut sit mens sana in corpore sano.(健全なる身体には、健全なる精神が宿ればいいのになあ)
という願望を言っている形になっています。
つまりこの言葉は、先述した事実を踏まえると、古代ギリシアにも健全な精神を持っていないアスリートが多かったことを象徴しているのです。
今回のパリ2024オリンピックのいくつかの報道を見ていると、この気持ちが理解できるという人は多いかもしれません。
参考文献
千葉商科大学学術リポジトリ (nii.ac.jp)
https://cuc.repo.nii.ac.jp/records/6250
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。