アメリカのハーバード大学(Harvard)で行われた研究により、脳細胞の個々の活動から単語の意味を検出することに成功しました。
私たちの脳内では「りんご」や「猫」など単語ごとに担当する脳細胞が決まっており、それぞれの脳細胞はその単語について聞いているときに、特に活発に活動します。
また新たな研究では、それぞれの単語はおおまかに「食べ物・動物・人間」など9種類のカテゴリーに別けられていることが明らかになりました。
単語のカテゴリ別けは歴史上さまざまな人々によって行われてきましたが、研究でみつかったカテゴリは脳で行われている真のカテゴリーと言えるでしょう。
もし単語ごとに担当細胞が決まっているという結果を上手く応用できれば、脳細胞の活動を読み取るだけで人間の心に思い浮かんでいる内容を推測できるようになるでしょう。
研究内容の詳細は2024年7月3日に『Nature』で発表されました。
目次
- 脳細胞ごとに担当する単語がある
- 脳内に存在することがわかった「真の言葉のカテゴリー」
- 脳細胞は機械的に単語に反応しているわけではない
脳細胞ごとに担当する単語がある
横浜には明治時代に作られたとされる古い歌があります。
「赤い靴を履いた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった」
横浜市の小学生ならば音楽の授業でこのフレーズを幾度となく歌ったことがあるかもしれません。
この短い1節を分解してみると、そのなかには「赤・靴・履く・女の子・異人・連れられる・行った」という7つの単語から構成されていることがわかります。
これまでの研究により、私たちの脳内には「意味」や「カテゴリー」に反応する細胞があることが知られています。
たとえば、靴や長靴といった特定の物体について聞いた時、脳内では単語そのものの意味に加えて「これは物体だ」として理解するのを助けるためのカテゴリー細胞が活性化するのです。
また、カテゴリー細胞には女の子・異人といった人物を対象にしたジャンルも存在しており、女の子や異人という単語が靴や長靴とは異なるカテゴリと混同されないように助けてくれています。
一方、ChatGPTなど生成AIの場合、単語同士の意味の距離を数値化して、その関係性を理解しています。
たとえば、「赤い靴」-「連れられて行く」と「女の子」-「連れられて行く」の単語同士の距離を考えます。
意味の距離が近い場合、つまり「女の子」と「連れられて行く」の距離が近ければ、ChatGPTは「連れられて行ったのは女の子」と判断して出力します。
そのためchatGPTは「赤い靴を履いた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった」という1節の意味を解釈するように求められた場合、異人さんに連れられて行ったのは「赤い靴さん」ではなく「女の子」であると答えることができます。
ただ人間の脳の場合、単語同士のカテゴリ別けについては知られていても、カテゴリ同士や単語同士の距離については謎につつまれていました。
そのため人間の脳もchatGPTのように単語同士の距離をやカテゴリに従って文章を理解しているのかどうかはわからなかったのです。
そこで今回ハーバード大学の研究者たちは、被験者の頭部に微小な電極を前頭前野に埋め込み、特定の文章や単語を聞いた時のニューロンの反応を調べることにしました。
すると驚くべきことに、麺類、ピザなど意味が似ている単語(同じ食べ物カテゴリ)を聞いた時、被験者の脳内で同じニューロン同士が似た電気パルスが発生させていることが判明。
さらに食べ物から観測されたパターンは、アヒルや雪などを聞いたと大幅に異なることが明らかになりました。
研究者たちも「特定のニューロンは「走る」や「ジャンプする」といった言葉を聞いた時に活性化するのに対し、他のニューロンは「幸せ」や「悲しい」といった心の状態に関する言葉を聞いた時に活性化することがわかった」と述べています。
そこで研究者たちはさまざまな文章を被験者に聞かせて、人間の脳内で言葉がどのようにカテゴリ別けされており、それぞれのカテゴリがお互いにどの程度離れているかを調べることにしました。
脳内に存在することがわかった「真の言葉のカテゴリー」
私たちの脳は単語をどのように区分けしているのか?
これまで国語の先生から言語学者に至るまで、さまざまな言葉のスペシャリストにとって単語のカテゴリ分けが行われてきました。
ある人は全ての単語をポジティブとネガティブそしてニュートラルの3つに分類し、また別の人は全ての名詞を男性的か女性的かで分類しました。
過去には善悪を基準に分けた人もいるかもしれません。
新たな研究は脳細胞の活動を詳細に調べることで、近い活動パターンをしているかどうかを見分けることが可能になりました。
結果、私たちの脳内は言葉を次の9個のカテゴリにわけていることが判明します。
この図の中央にある青のカテゴリーを見ると、行動と物体は非常に近い存在であり、次に人や家族があり、それらの外側に個人の名前があることがわかります。
人間関係を重視する人のなかには「人の名前は全ての中心」と考える人もいるかもしれませんが、脳内のカテゴリー分けでは逆に比較的早く枝分かれした離れた位置にあることがわかります。
生命進化では、このような比較的早期に分岐した種は、他の種と差異が大きいことが知られています。
たとえばヤツメウナギは脊椎動物の系統樹のかなり古い時期に分岐し、孤立して存在しており、他の脊椎動物とは体のつくりが大きく異なることがわかっています。
このカテゴリー図でも、より上のほうで分岐している場合には、他の枝に比べて脳活動の違いが大きいことを示します。
個人の名前が特別に思えるのも、全ての中心にあるというよりはむしろ、近しいカテゴリーの中で比較的独立して存在しているからかもしれません。
また、緑の部分を見ると、人間は食べ物と動物を密接に結びつけており、次いで自然環境がそれらの外側に存在することがわかります。
歴史の大半を狩猟採集民族として生きてきた人類の経歴を考えると、これは納得できるといえるでしょう。
また、赤色の部分では心や体の状態が時空間の概念と密接にかかわっていることがわかります。
時空間とは「何時どこで」という意味で、「安心できる巣で寝たい」という本能的な欲求を考えれば、これら2つが近い脳活動をもつのはうなずけるといえます。
これらの脳のカテゴリー分けは人類だけにしか当てはまらないのか、それとも社会性を持つ動物たちならば似たものを持っているのかは興味がある調査テーマと言えるでしょう。
また、ゾウなど一部の生物は、他者に名前のようなものをつけてお互いに呼び合っていることが知られています。
もしカテゴリー分けが社会性のある知的生命にとって普遍的なものであるならば、人間の脳活動データをもとに他の動物の考えていることを「鳴き声に頼らず」翻訳できるかもしれません。
さらに、今回の研究では、単純な単語だけでなく、文脈を考慮した分析が行われました。
脳細胞は機械的に単語に反応しているわけではない
異なる単語をカテゴリー分けする能力は文章理解において非常に重要です。
しかし、ただ単語を区別するだけでは、同音異義語に対処できません。
たとえば「アイ」と聞こえる音声が英文にあった場合、単独では「I(私)」なのか「eye(目)」なのかを区別できません。
日本語で言えば「ハシ」とだけ聴いただけでは「橋」なのか「箸」なのかがわからないのと同じです。
研究では脳はこの問題に対してどう対処しているかが調べられました。
すると各単語に紐づいたニューロンは単語音声に機械的に反応するのではないこともわかりました。
具体的には、私たちの脳は個々の単語をカテゴリー分けするだけでなく、前後の単語の情報を参照することで、「ハシ」と聞こえた単語が「橋」なのか「箸」なのかを理解していることがわかりました。
「文脈から意味を推測するのは基本中の基本」と言う人もいるでしょう。
しかし脳内において実際にその言葉通りの情報処理が行われていることが確認されたのは大きな発見と言えます。
ブラックボックスとされていた脳細胞の個々の働きを検知する技術は、VRや医療においても重要な役割を果たしていくでしょう。
もし脳細胞の活動をAIを挟んで文章として送り届けることができれば、より正確な「Brain to Brain」コミュニケーションが実現するかもしれません。
参考文献
Meanings of Words Have Been Detected in The Flicker of Individual Brain Cells
https://www.sciencealert.com/meanings-of-words-have-been-detected-in-the-flicker-of-individual-brain-cells
元論文
Semantic encoding during language comprehension at single-cell resolution
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07643-2
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部