国内最古の史書のひとつ『日本書紀』は、古代人のカルテとしても使えるようです。
京都大学の研究チームはこのほど、『日本書紀』の中に、当時の日本人が「先天異常」を患っていたと考えられる記述が複数見つかったことを発表しました。
先天異常とは、生まれつき身体的あるいは機能的に異常がある病気のこと。
その本格的な研究は1960年以降に始まったばかりで、それ以前における先天異常の実態は不明でした。
しかし『日本書紀』を詳しく調べると、生まれつき「腕に肉のこぶがある人」や「言葉を話せない人」といった先天異常の記述があったのです。
研究の詳細は2024年3月28日付で学術誌『Studies in Japanese Literature and Culture』に掲載されています。
目次
- 『日本書紀』の中に「尻尾のある人」が出てくる?
- 先天異常を示した記述を30例以上も発見!
『日本書紀』の中に「尻尾のある人」が出てくる?
WHO(世界保健機関)によれば、毎年生まれる新生児の約6%には何らかの先天異常があると報告されています。
先天異常は患者とその家族の「生活の質(QOL)」に多大な影響を及ぼすため、非常に懸念すべき問題です。
しかし意外にも、先天異常の本格的な医学研究は1960年以降に始まったばかり。
近年でこそ、医療技術の発展も相まって先天異常の研究は進んでいますが、1960年以前の事情について知るのはとても困難です。
それを知るには過去の医学論文に散らばる症例を探して集める必要がありますが、先天異常に当てはまる報告が少ないため、医学論文誌が出版されるようになった1800年代以降のことでさえ、不明瞭のまま残されています。
ましてや、もっと昔のことになると、先天異常の実態解明はほぼ不可能と考えられていました。
しかし、そこに一条の光を投げかけたのが『日本書紀』です。
『日本書紀』は、奈良時代の西暦720年に成立したとされる日本最古の史書のひとつです。(もうひとつは712年に編纂されたとされる『古事記』)
『日本書紀』には、初代の神武天皇〜41代の持統天皇に至る天皇の事績が記されており、古事記が全3巻を4カ月ほどで編纂されたと言われるのに対し、日本書紀は30巻もあり39年近い期間を使って編纂されたとされています。そのため日本書紀は古代日本や周辺諸国の歴史を知るための貴重な記録となっています。
また、そこには政治的イベントのみならず、古代日本に起きた災害や天文、奇形を持った人に関する記録が残されているというのです。
実は今回の調査も、研究主任の東島沙弥佳(とうじま・さやか)氏が「確か『日本書紀』には尻尾の生えた人がいるという記述があったな」と記憶していたことからスタートしました。
その尻尾の生えた人とはおそらく、「井光(いひか)」を指していると思われます(『古事記』では井氷鹿と表記)。
『日本書紀』には、このような記述があります。
「人有りて、井の中より出でたり。光りて尾有り。
天皇問ひて曰く「汝は何人ぞ」
応えて曰く、臣は是れ国神なり。名を井光と為す」
これは要約すると井戸の中から人が出てきたと思ったら、ピカピカと光っていて、おまけに尻尾まで生えていたという内容です。
この井光は、水神または井戸の神として信仰されている女神と考えられています。
他にも日本書紀には2つの顔をもつ宿儺 (すくな)と呼ばれるものも登場します。
これらは真実を描いたわけではなく、医学的知識のなかった時代の人々が、何らかの先天異常を比喩して描いた可能性が考えられます。
だとすればこのような特殊な記録の中から、過去の日本にあった先天異常のもっと確かな例を見つけることができるかもしれません。
そこで研究チームは、日本書紀の記述から先天異常の確かな例を探すという調査を始めたのです。
先天異常を示した記述を30例以上も発見!
チームは『日本書紀』に見られるヒトの異常な身体・精神特徴に関する記述をピックアップし、得られる限りの情報から病名の診断を試みました。
ただ『日本書紀』を読むといっても、そう簡単にはいきません。実のところ、日本書紀にはオリジナルの原本が残存していないのです。
現存しているものは、日本書紀の写本に当たるものです。完成当初から歴史書として重要視されてきた日本書紀には、手書きの写しがいくつも制作されており、数十種にのぼる写本が現在も残っています。
そこでチームは、書写の過程での文字の書き間違いや虫食いによる欠損など、写本間で記述が異なる可能性を考慮し、入手可能な範囲で写本を見比べるという作業を繰り返しました。
その結果、医学的な先天異常と見られる記述が合計で33例も見つかったのです。
例えば、生まれつき腕に「リンパ管奇形」と見られる肉のこぶがある天皇や、生まれつき言葉を話すことができない皇族たち。
それから天皇や皇族の他にも、尻尾が生えた人間や2つの顔を持つ異形の人物の記述が見られました。
実際、こうした奇形は現代でもたびたび確認されており、尻尾が生えた新生児の症例も報告されています。
『日本書紀』の記述の中には、これらの特徴を「生まれつき備えていた」と書かれているケースもあり、先天異常の可能性が高いことを示唆しています。
もちろん、すべての記述が真実であるとは思えず、実際の症状というより何か他の事象の比喩だと考えた方が妥当なものもあったそうです。
それでも、明らかに医学的な先天異常と見られる記述が見つかったことで、『日本書紀』が歴史研究の材料としてだけでなく、古代日本人のカルテとしても読めることが示されました。
チームは今後、『日本書紀』以外の古文書も対象として、古代日本や東アジアにおける先天異常の実態解明を進めていきたいと考えています。
参考文献
日本書紀は古代のカルテ?!―歴史書からひもとく古代日本の先天異常症例―
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2024-04-02
元論文
Congenital Anomalies in Ancient Japan as Deciphered in the Nihon Shoki (Chronicles of Japan)
https://www.nijl.ac.jp/pages/onlinejournal/sjlc/sjlc07.html
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。