従来の説とは違うようです。
イソギンチャクには刺胞という毒のトゲがありますが、クマノミはイソギンチャクと共生関係にあり刺されることはありません。
その秘密はクマノミの体表に分泌される粘液にあるとされますが、オーストラリアのフリンダース大学(Flinders Univ)で行われた研究によって、この粘液成分は共生期間の長さで変化していることが示されました。
この研究によるとクマノミがイソギンチャクに本格的な味方だと認識される粘液成分は、共生開始後3週間が経過しなければ、分泌されないといいます。
どうやらクマノミとイソギンチャクの共生関係には試用期間と本契約のような段階が存在しているようです。
いったい両者の間には、どんな契約書が存在するのでしょうか?
研究内容の詳細は2024年2月27日にプレプリントサーバーである『bioRxiv』にて公開されました。
目次
- イソギンチャクに刺されないクマノミの粘液には何が含まれているのか?
- 共生をはじめると7種類のグリカンが変化する
イソギンチャクに刺されないクマノミの粘液には何が含まれているのか?
多くの人にとって、イソギンチャクを住処にするクマノミの映像は見慣れたものでしょう。
クマノミはイソギンチャクの外敵を攻撃する衛兵になるだけでなく、クマノミの糞便はイソギンチャクにとって栄養になります。
またクマノミが触手内部を動き回ることで新鮮な酸素が供給され、イソギンチャクの成長を支えています。
一方、イソギンチャクは獲物を捕らえたり外敵から身を守るために、体の表面から毒針(刺胞)を発射する仕組みを持っており、この毒針は自分やクマノミを襲おうとする外敵を攻撃する防衛にも用いられます。
イソギンチャクの毒は、細胞を溶かす「細胞融解素」、神経に障害を与える「神経毒」、炎症や痛みを与える「ホスホリパーゼ」などさまざまな有毒成分の混合物からなり、エサとなる微生物にとっては致命的なもので、大型の生物にとっても脅威になります。
このように両者の共生には明確な利益があるため、クマノミとイソギンチャクは「生まれたときからずっと仲良し」と思っている人も多いかもしれません。
しかし最近の研究で、イソギンチャクはクマノミが相手であっても新参者なら容赦なく攻撃しており、両者が共生関係になるまで24~48時間が必要であることがわかってきました。
一方で、共生関係を結んだクマノミに対してイソギンチャクはほとんど刺すことがなく、クマノミたちは無傷で過ごすことができます。
これまでクマノミがイソギンチャクに刺されないで過ごせるメカニズムは「クマノミの分泌する粘液がイソギンチャクの棘発射を抑えるから」と説明されていました。
しかし、両者が出会って48時間はクマノミが攻撃されるという事実を踏まえると、このメカニズムは既存の理解よりもっと複雑なものの可能性があります。
そこで今回、フリンダース大学の研究者たちは、イソギンチャクに共生する前と後で、クマノミの表面の粘液成分にどんな変化があるかを調べることにしました。
共生をはじめると7種類のグリカンが変化する
イソギンチャクと共生することで、クマノミの粘液にどんな変化が起こるか?
答えを得るため研究者たちは、クマノミ(Amphiprion percula:クラウン・アネモネフィッシュ)とイソギンチャク (Entacmaeaquadricolor:バブルチップアネモネ)を準備。
そして両種を飼育しながらクマノミの体表面にある粘液を採取して分析してみました。
するとクマノミの粘液には37種類の独特なグリカン(糖鎖)が存在していることが判明します。
糖鎖とは、各種の炭水化物が鎖のように繋がった化合物でありパンや酵母で有名な「βグルカン」などもグリカンの一種です。
(※名前に「糖」が突くことから砂糖を連想する人もいるかもしれませんが、グリカンの多くは甘味とは無関係な炭水化物の複合体です)
多くの生物はグリカンの複雑な形状を一種の鍵のように利用していて、特定の形状をしたグルカンを認識するとさまざまな生物学的反応が起こります。
そして共生関係にある生物の多くは、このグリカンの鍵を利用して、お互いを認識していると考えられています。
そのためクマノミが時間経過でイソギンチャクと共生関係に入るメカニズムにも、このグリカンが関連していると考えられます。
そこで研究者たちは、共生前と共生後の粘液成分の比較を行ってみました。
すると共生から3週間が経過したクマノミの粘液では、グリカン組成が著しい変化しており、特に7種のグリカンでは有意な差がみられました。
(※共生によって3種は増加し4種が減少していました)
また興味深いことに、共生中のクマノミをイソギンチャクから引き離すと、24時間以内にグリカンの組成が共生前のものに戻ってしまうことも発見されました。
次に研究者たちは粘液成分の変化がイソギンチャクからの攻撃に関連するかを確かめるため、共生前と共生後のクマノミの粘液を採取してスライドガラスに塗り付け、イソギンチャクに近づけてみました。
また比較のためにスズメダイやエビの粘液にかんしても同様の実験を行いました。
すると共生から3週間経過したクマノミの粘液だけ、イソギンチャクからの攻撃を有意に低下させることが判明します。
(※逆にスズメダイやエビの粘液はどれだけイソギンチャクと一緒にいても、攻撃されてしまいました)
これらの結果から研究者たちは「クマノミは粘液中のグリカン組成を変化させることで、イソギンチャクから攻撃されない体を作り上げている」と結論しました。
ただ先にも述べたように、イソギンチャクと共生関係にない新参のクマノミがイソギンチャクに接近すると刺されてしまうことが示されており、共生関係を成り立たせるには24~48時間が必要であることが知られています。
研究者たちは、この初期段階では外部粘液ではなく、むしろクマノミの体内から分泌される内部粘液が重要な役割を果たしている可能性が高いと述べています。
以上の結果は、クマノミとイソギンチャクの関係は多段階で構築されており、初期フェーズの慣れ段階(仮契約)の他に、3週間後に結ばれる本契約的なものがある可能性を示しています。
人間社会でも、企業と労働者の契約には3カ月程度の試用期間を設ける場合がありますが、生物の共生関係にも似たような段階が存在しているのかもしれません。
現在のところ、3週間未満で共生関係を解除したクマノミは見つかっていないため、なぜ共生関係が多段階で進行するかは謎ですが、もしかしたら安定した長期居住には両者にとってメリットがあり、契約の長期化を促す仕組みが存在するのかもしれません。
研究者たちは今後、内部粘液を含めたクマノミの体全体を調べることで、共生関係の初期変化を調べていくとのこと。
もしイソギンチャクからの攻撃を防ぐための遺伝子や、共生する動機を生み出す遺伝子を特定し他の魚に組み込むことができれば、イソギンチャクと共生する金魚やメダカを作れるようになるかもしれません。
元論文
Friend, food, or foe: sea anemones discharge fewer nematocysts at familiar anemonefish after delayed mucus adaptation
https://doi.org/10.1101/2024.02.22.581653
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。