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粒子の性質だけを粒子の質量から分離する量子実験「量子チェシャネコ」とは?


「不思議の国のアリス」では、笑顔だけを残して体が消えていくチェシャネコが登場します。

量子力学の世界では近年になって、このチェシャネコのように1つの粒子の質量(体)と性質(笑顔)を切り離す「量子チェシャネコ」と呼ばれる研究が盛んになってきました。

今回は奇妙な量子チェシャネコについて解説するとともに、重力センサーを使った質量測定を提案する、最新の研究を紹介したいと思います。

目次

  • 1つの粒子の持つ質量と性質を分離する量子チェシャネコ
  • 量子チェシャネコはインチキではない
  • 量子チャシャネコに関する発見が次々に発表されている

1つの粒子の持つ質量と性質を分離する量子チェシャネコ

量子チェシャ猫とは、粒子の物性(スピンや質量など)のみをその粒子から分離できるという近年提唱された量子力学的な理論です。

この理論では1つの粒子を質量を担当する部分と、性質を担当する部分に分離させるという、極めて不思議な現象が起こると考えられています。

名前の由来は「不思議の国のアリス」に出てくるチャシャネコです。

作品中、チャシャネコはアリスにたびたび話しかけますが、立ち去る時にはまず体部分が消えて笑顔だけが残されます。

つまり体重が消えて笑顔だけが残る時間があるわけです。

これまで量子力学では1つの粒子が2つの場所に同時に存在したり、もつれ状態にある粒子が観察によって一瞬で常態が決定したり、過去と未来が干渉したり、因果律が崩壊して因果の重ね合わせが起きたりと、日常の常識や人間の直感に反するさまざまな現象が現実の世界で起こり得ることが示されてきました。

しかし電子や中性子のような1つの粒子の「質量」と「性質」がチャシャネコの体と笑顔のように分離して存在できるとする理論は、それらを上回る奇妙さを感じさせます。

あえて人間で例えるならば、ボブおじさんの体(質量)と魂(性質)が分離してしまったことになります。

粒子の性質をその質量から分離する量子実験「量子チェシャネコ」
粒子の性質をその質量から分離する量子実験「量子チェシャネコ」 / Credit:Canva . 川勝康弘

あるいはボブおじさん(60歳の男性)の体重と、ボブおじさんの男という性質が、北海道と沖縄の2カ所に分離してしまったと考えた方が正確かもしれません。

ボブおじさんには髪の色や身長など彼を特徴づけるするさまざまな性質があります。

しかし分離によって、もはやボブおじさんを性別の観点で見分けることは不可能となります。

この発見によって、あらゆる粒子から特定の性質だけを取り出せることが判明し、人類科学に革命的な変化が起こると期待されています。

しかし、そんなことが本当に起こり得るのでしょうか?

そしていったいどんな手段で質量と性質の分離のような、滅茶苦茶な現象が確認されたのでしょうか?

量子チェシャネコはインチキではない

量子チェシャネコの概念を理解するには、観測結果のえり好み「ポストセレクション」という、奇妙な観測方法を理解する必要があります。

中学や高校でする物理実験では、全ての観測結果を収集して平均値や誤差を算出するのが当たり前です。

しかしポストセレクションに従った観測では、特定の結果しか出てこないようにしてしまうという、荒業がとられます。

あえて簡略化して表現すれば、丸と四角のブロックがそれぞれの形に対応する丸穴・四角穴からしか出てこないような装置があった場合、丸ブロックをえり好みするポストセレクションをするときには、四角ブロックの穴を塞いでしまうのです。

こうすれば穴を通るのが観測できるのは、丸ブロックだけとなります。

日常レベルの常識では、そんな観測は無価値であるばかりか、悪質なデータ改ざんと判断されるでしょう。

そう、日常レベルでは。

しかし常識が通じない量子力学の世界では、少し条件を加えるだけで、このインチキ臭い「ポストセレクション」が立派な観測データとして機能します。

その条件とは、完全に結果を決定するほど確かではない、ほどほどの弱さの観測です。

あえて人間で例えるならば、丸ブロックしか落ちないようにした装置を、薄目の状態で観測するのに似ているでしょう。

薄目での観測のため、出てくるブロックはなんとなく丸であることはわかりますが、四角ブロックの可能性も捨てきれない、という状況です。

日常の常識では、そんなことをしても何の意味もないしょう。

しかし量子力学の世界では、観測によってはじめて物体の状態が決定されるという、大前提があります。

これは観測方法の問題や技術的な問題のせいでもなく、観測が行われるまで物体の状態に関する情報が、私たちの宇宙に存在しないことが原因です。

日常の常識では全く受け入れられませんが、100年以上におよぶ物理実験によって、この嘘のような現象が本当であることが示されています。

やや極端に言えば、量子力学における観測は、物体の情報を調べるのではなく、曖昧な状態にある物体の情報を生成する役割を持っているのです。

なにやら化かされたように感じる話ではあります。

実際、量子力学の黎明期には、そんなことはあり得ないと大いに叩かれました。

あのアインシュタインですら、物体の状態は観測されるかどうかにかかわらず、観測前に決められていると述べています。

ですが量子力学の進歩により、それが間違いであることが証明されました。

残念なことに、人間の直感には物理法則の嘘本当を決める裁判官のような権利はなかったのです。

ですが問題はここからです。

観察によって物体の状態が決まるなら、そうならないような「薄目で見る」ようなギリギリ弱い観察を行った場合、何が起こるのでしょうか?

結論から言えば、得られる結果は「傾向」つまり統計的なものに留まります。

たとえば現代の技術では、1つの粒子を2つの通り道のどちらにも存在する「量子的な重ね合わせ状態」にすることは極めて簡単です。

量子力学を扱う大学研究室を覗けば、似たような装置は、ほぼどこにでもあるほど普及が進んでいます。

あえてソシャゲ風に言えば、そんな装置のレアリティーはSSRどころかR以下、高価な遠心分離機と同じ程度にありふれたものと言えるでしょう。

量子チェシャネコの実験でも、このありふれた装置を使って、1つの粒子を2つの経路を同時に通らせる「量子的重ね合わせ」にし、最後に結合させるという手順をとります。

粒子の性質をその質量から分離する量子実験「量子チェシャネコ」
粒子の性質をその質量から分離する量子実験「量子チェシャネコ」 / Credit:川勝康弘

ただ普通の重ね合わせとは違って、上側は縦揺れ、下側は横揺れしか通らないように装置に細工をします。

このような操作も、量子力学を研究している人ならば簡単に実行可能です。

そして合わさったときに、えり好み観測「ポストセレクション」を行って、縦揺れしか観測できないようにします。

量子チェシャネコでは、このときある質問をします。

最終的に縦揺れの粒子しか観測できない場合、粒子は上側ルートと下側ルートのどっちを通ってきた確率が高いのか?

当然、答えは上側ルートとなるでしょう。

下ルートを行った横揺れ粒子が移動中に何らかの原因で縦揺れに変化した確率もわずかながらにありますが、多くはありません。

ここからが量子チェシャネコのミソです。

まず上ルートを通った粒子は揺れ方向に影響を全く受けずに出てきたという結果にだけに着目します。

そして影響を全く受けないということは「実質的に」上ルートを通った粒子には「揺れる性質そのもの」が存在しないのではないか?と考えます。

合わさったときにポストセレクションで観測された結果だけを考えれば、上ルートを通った粒子からは揺れる性質をどうやっても見い出せないからです。

観測しなければ存在しないという人間の直感を否定する現実。

それは恣意的な観測でも発生する可能性がある。

たとえそれが粒子の性質の一部であっても。

量子チャシャネコではそう考えます。

そして下側を通った粒子は横揺れだったものが縦揺れに変化した確率が僅かながらに存在するのだから、少なくとも「揺れる性質そのもの」は存在するのだろう。

粒子の性質をその質量から分離する量子実験「量子チェシャネコ」
粒子の性質をその質量から分離する量子実験「量子チェシャネコ」 / Credit:川勝康弘

これは1つの粒子が上下ルートを通る重ね合わせ状態になると、上のルートは「揺れるという性質を持たない粒子(質量アリ)」が通過して、下側には「揺れるという性質(質量ナシ)」が通過したと解釈できます。

つまり、もともと質量と揺れるという性質の両方を持つ1つの粒子が、質量を持つ粒子と、揺れると言う性質だけを持つ粒子に分割されたことになるだろう。

これが量子チェシャネコの理論です。

おそらく今、この文章を読んでいる多くの人は「バカにするな」と思っているでしょう。

「恣意的なえり好み観測「ポストセレクション」をしてるから変な結果がでるのであって、それを無理矢理、質量と性質が分離していると解釈するのはこじつけだ!」と。

そこで今度は、上ルートと下ルートの両方にかなり手の込んだ振動装置のようなものを設置して、粒子の揺れ方向を変化させることにします。

フィルターのせいで上ルートを通る縦揺れ粒子はこの装置によって一定の確率で横揺れになるものが現れ、下ルートを通る横揺れ粒子は同様に一定数が縦揺れに変化します。

しかし最後に合わせって観測される粒子の揺れは、えり好み観測「ポストセレクション」のせいで縦揺れ粒子のみしかないとされます。

すると上ルートを通る粒子に対して振動方向を変える装置を使っても、揺れ方向は変わらなかったという結果となります。

また下ルートを通った粒子は振動方向を変える装置によって、縦揺れが横揺れになったと考えます。

この結果は実質的に、上ルートを通った粒子は揺れる性質をもたないが、下ルートを通った粒子は揺れる性質をもっていることになります。

実験に手を加えても、恣意的な観測をしているから信じられないと思う人もいるでしょう。

しかし近年の研究では、この結果が単なる「こじつけ」や「言葉遊び」ではないことが徐々に明らかになってきました。

かつては量子チェシャネコの前提となる、えり好み観測「ポストセレクション」や弱い観測そのものに、否定的な意見が多く聞かれましたが、それも大きく変わりつつあります。

だとすれば、私たちはこの事実をどう受け止めたらいいのでしょうか?

質量と性質が可分であるという事実を認めれば、私たちの現実認識に劇的な変化が起こるのは避けられないでしょう。

量子チャシャネコに関する発見が次々に発表されている

2023年に発表された研究では、量子もつれと弱い観測の力を利用することで、画像転送に成功しています。

この実験では、量子的もつれ状態にある手元の粒子に恣意的な弱い観測を何度も行うことで、もう一方の手元にないもつれ状態の粒子の状態を偏らせることに成功しました。

状態が偏ることで、もう一方の粒子に対して決定的な観察を行った時の結果も、偏ることになります。

研究ではこの弱い恣意的な観測の仕組みを利用することで、ある種の0と1のようなデジタル信号を生成し、量子もつれの間に形成された見えない糸を辿って、複雑な画像データを送信することに試行しました。

画像情報を物理的に送信せず「テレポート」させることに成功!

この結果は、弱い観測もインチキや解釈ズレなどではなく、歴とした物理法則として機能できることを示しています。

ただ量子チェシャネコについては、反論の声も存在します。

2023年に発表された研究では、量子チャシャネコでみられる奇妙な分離現象は、観測方法の違いによるものに過ぎないとする説が発表されています。

猫は干渉計内で 3 つの異なる部分に分かれています。猫の各部分は、スピン (笑顔)、粒子 (体)、エネルギー (目) の中性子特性に対応しています。実験中に適用された弱い相互作用に対する反応は、中性子の性質が分離されているという認識につながる可能性があります。
猫は干渉計内で 3 つの異なる部分に分かれています。猫の各部分は、スピン (笑顔)、粒子 (体)、エネルギー (目) の中性子特性に対応しています。実験中に適用された弱い相互作用に対する反応は、中性子の性質が分離されているという認識につながる可能性があります。 / Credit:Armin Danner et al . Three-path quantum Cheshire cat observed in neutron interferometry . Communications Physics (2024)

しかし量子チャシャネコの研究は次々に出てきており、2024年1月5日発表された研究では、質量とスピンの2経路に加えてエネルギー自由度の性質を加えることで、3経路での量子チェシャネコを実行することに成功したと報告されました。

チェシャネコで例えるならば、もともと1匹の猫だったものを、体と口と目の3要素に分割したと言えるでしょう。

さらに2024年1月18日、カリフォルニアのチャップマン大学の研究者たちは、粒子の質量をその運動量から分離する、チェシャ猫の実験のより一般的なバージョンを提案しました。

この実験を実行するのは難しいものの、質量がある限り、ほぼすべての粒子に対して可能であるはずだと研究者たちは述べています。

同氏によれば、この実験は他の実験で広く使用されているものと同様の装置を使用しているが、大きな違いは粒子の質量の検出方法にあり、これには非常に高感度の重力センサーが必要であるとのこと。

もし十分な機器があれば、粒子の質量と性質が分離している様子を、重力波を使って一元的に確認できるでしょう。

歴史上、シュレーディンガーの猫のような思考実験も懐疑的にみられていた時期があり、量子チェシャネコに対する嫌疑も今後、長く続くことになるでしょう。

ただ量子チェシャネコが本当だったとしても、その理論を人間の役に立つ商品に応用するアイディアは、ほとんど存在しません。

現在の科学は量子の質量と性質が分離しないことを前提にしており、量子から性質だけを取り出しても、その利用方法がわからないのです。

また質量と性質を分離するという結果をどのように理解するかも問題です。

一部の研究者たちは、精度の高い測定や量子情報技術に役立つ可能性があると述べていますが、チェシャネコを搭載した商品を目にするのは当分先のことになるでしょう。

全ての画像を見る

参考文献

The Quantum Cheshire Cat
https://www.tuwien.at/en/tu-wien/news/news-articles/news/the-quantum-cheshire-cat-1

元論文

Observation of a quantum Cheshire Cat in a matter-wave interferometer experiment
https://doi.org/10.1038/ncomms5492

Separating a particle’s mass from its momentum
https://doi.org/10.48550/arXiv.2401.10408

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。

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