脳は記憶違いを知っています。
米国のペンシルベニア大学(UPenn)で行われた研究によって、間違った記憶を思い出してしまっているときは、正しい記憶を思い出している時と、脳波が異なっていることが示されました。
研究成果を応用すれば、本人が気付かなかった間違った記憶を特定して警告する装置が作れるかもしれません。
既存の嘘発見器は本人が正しいと信じている記憶に対しては無力ですが、新たな仕組みと組み合わせることで、嘘と記憶違いの両方を特定できます。
また「間違った記憶」を思い出しているときの脳を詳しく調べることができれば、記憶のエラーが形成されてしまうメカニズムを解明したり、それを防いだりする方法がみつかるかもしれません。
しかし「正しい記憶」と「間違った記憶」で脳活動に違いがあるなら、なぜ本人はそれを気付けないのでしょうか?
研究内容の詳細は2023年9月26日に『PNAS』にて掲載されました。
目次
- 「正しい記憶」と「間違った記憶」
- 間違った記憶を口にする瞬間、異常な脳波が発生する
「正しい記憶」と「間違った記憶」
私たちのほとんどの記憶は単独で存在しているのではなく、他の記憶と結び付いています。
たとえば旅行やパーティーで食べたものを思い出すときには、食べ物の名詞だけではなく一緒にいた人や部屋の様子も連動し1つの「エピソード記憶」として思い出されます。
これまでの研究により、記憶は他の記憶と結びつきが強ければ強いほど、忘れにくいことが示されています。
また初めてのデートや初めてのキス、あるいははじめて買ったゲームなど、強い印象を与える出来事も、記憶に強く残ります。
しかし残念なことに、記憶は劣化していきます。
そして記憶が劣化すると、ある記憶がどんなエピソードと結び付いていたかも曖昧になっていきます。
さらに記憶の劣化は「間違った記憶」を生み出すことが知られています。
すると旅行で行った場所やパーティーの出席メンバーを聞かれたとき、事実とは異なる回答を行ってしまうようになります。
では、正しい記憶が作られるときと、間違った記憶が作られるときには、何か違いがあるのでしょうか?
もし違いがあるならば、脳活動を観測することで、正しい記憶と間違った記憶の区別ができる可能性があります。
間違った記憶を口にする瞬間、異常な脳波が発生する
正しい記憶と間違った記憶は何が違うのか?
答えを得るため研究者たちは、てんかんの手術などで脳深部に電極を刺し込んでいる被験者たちを集め、記憶ゲームをしてもらいました。
このゲームではまず、幾つかの単語が記された単語帳「A」と単語帳「B」が用意され、被験者たちは単語帳に記されている単語を覚えるように指示されました。
単語帳にまとめられたことで、お互いに無関係に思える単語たちに、ある種のカテゴライズが行われることになります。
このカテゴライズは旅行やパーティーのような1つのエピソードと同じように働きます。
もちろん旅行やパーティーのような五感で体験した鮮烈なエピソードとは違いますが、複数の記憶を枠に囲うという点では、同じ効果を発揮します。
次に被験者たちの脳に刺さっている電極を介して脳波を測定しつつ、単語帳「A」に記されていた単語だけを思い出すように頼みました。
すると正しい記憶に従って正解を口にした場合と、間違った記憶に従って不正解を口にした場合では、答える直前と直後の段階において、異なる脳波パターンが観測されました。
たとえば、正しい記憶の場合は間違った記憶に比べて周波数の低いシータ波(2~5Hz)と高周波(44~100Hz)の脳波が多く検出されました。
一方、興味深いことに、間違って答えたときには、その単語が単語帳Bに載っていて記憶が混同した場合と、単語帳AにもBにも載っていない全くの見当はずれで脳波のパターンが変わりました。
単語帳Bに載っていたものを答えた場合は、全く見当はずれの答えをした場合に比べて、正解を答えた時の脳波に近いパターンとなったのです。
研究者たちはこの点について、単語帳Aと単語帳Bを記憶するという全体的な流れもまた1つのエピソードとして認識されていた可能性があると述べています。
確かに単語帳Bに載っていた単語を単語帳Aの単語として答えたのは間違いでしたが、被験者たちの脳内では「実験で覚えさせられた単語」という大きなカテゴリ内にどちらも入り込んでいたわけです。
一方、どちらの単語帳にも載っていない単語を答えた場合は、大きなカテゴリからも外れた「大間違いの記憶」であり、故に脳波のパターンも正解と大きく異なったと考えられます。
旅行の記憶で例えるならば、関西旅行で行った観光地を答えるときに、京都の観光地(単語帳A)として答えた中に間違って奈良の観光地(単語帳B)を答えた場合と、全く別の北海道の観光地(どちらの単語帳にもないもの)を答えた場合の違いに相当すると言えるでしょう。
この結果から、脳波を分析すれば正しい記憶と間違った記憶を区別できるだけでなく、正しいカテゴリ(エピソード)から答えたか、間違ったカテゴリ(エピソード)から答えたかも区別できることを示しています。
しかし脳波、すなわち脳の活動パターンによって正しい記憶と間違った記憶を区別できるのに、なぜ私たちは間違った記憶を真実だと思ってしまうのでしょうか?
研究者たちはその原因をエピソード(単語帳)との結びつきの劣化だと述べています。
同じ単語帳に載っている単語は、旅行で体験した記憶と同じように、1つのエピソード記憶となります。
記憶が劣化すると、単語が忘れ去られるだけでなく、単語がどちらの単語帳に載っていたかも忘れられていきます。
そのため結果として、単語帳Aとの繋がりを維持した場合(正しい記憶)、単語帳Aとの繋がりを失って単語帳Bの単語を答えた場合(間違った記憶)、そして単語帳Aと単語帳Bの両方とのつながりを失った場合(大間違いの記憶)が形成されます。
人間は答えを口にするとき、いろいろ記憶を巡らせますが、記憶のつながりが健在であるか、絶たれているかを自分自身で正確に認識することはできません。
そのためしばしば間違った答えを自信たっぷりに答えてしまうと考えられます。
実際研究でも、エピソードとの結びつきにかかわる脳波の存在が確認されており、この脳波のパターンが維持されないと、単語帳との繋がりのミスを犯してしまうことが示されています。
研究者たちは、間違った記憶を特定する装置が実用化すれば、記憶を正す便利なツールになると述べています。
また間違った記憶が形成される仕組みを理解し、薬などを使って抑制することができれば、記憶増強剤として働くでしょう。
さらに間違った記憶を抑制することはPTSDなどの防止に役立ちます。
PTSDでは現在の安全な状況であっても、別な危険な状況の記憶が誘発されてしまうことで発生します。
これは安全な状況というカテゴリに、危険な状況というカテゴリ違いの「間違った記憶」が入り込んでいる状況と言えます。
そのため研究者たちは、カテゴリ違いの「間違った記憶」を防ぐ薬が開発できれば、PTSDの治療薬になると述べています。
参考文献
The brain has a ‘tell’for when it’s recalling a false memory, study suggests https://www.livescience.com/health/neuroscience/the-brain-has-a-tell-for-when-its-recalling-a-false-memory-study-suggests元論文
Hippocampal activity predicts contextual misattribution of false memories https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2305292120