サルとヒトの違いというと二足歩行を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
しかし、実はサルとヒト(類人猿)を比較すると、足などの下肢だけではなく、腕や肘など上肢の構造も大きく異なっています。
ヒトは、これまで前足だったものが「腕」になったことで、槍を投げる動作などができるようになりました。
アメリカ、ダートマス大学のルーク・D・ファニン氏らはこの進化が「木を下りる動作」から生じたことを明らかにしています。
この記事では、サルとヒトの腕の構造の違いを解説するとともに、木を下りる動作がどのように腕の進化に影響を及ぼしたのか紹介します。
今回の研究はRoyal Society Open Scienceに2023年9月6日付けで発表されています。
目次
- 前足と腕の違いは「関節の可動域」
- サルと異なる類人猿の「木の下り方」
前足と腕の違いは「関節の可動域」
まず、サル(Monkey)と類人猿(Ape)についておさらいしておきましょう。
サルと類人猿は250万年前に分岐しました。
類人猿には大型類人猿と小型類人猿がおり、大型類人猿には我々ヒトのほか、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オラウータンなどが含まれています。
サルが長い尾を持ち、主に木の上で生活しているのに対し、類人猿は尾がありません。
種によっては危険が迫ったときなど木に登ることがありますが、基本的には地上で生活しています。
これまで、サルと類人猿の主な違いは尾の有無、生活する場所、脳の大きさなどが挙げられていましたが、ルーク・D・ファニン氏らの観察により、サルと類人猿を比較すると肩や肘の関節は可動域が全く異なることが明らかになりました。
サルと比べると類人猿は肩肘の可動域が広くなっていたのです。
ルーク・D・ファニン氏らがオナガザル科(Old World Monkeys)のマンガベイとヒト科(Great Apes)のチンパンジーの上肢の動きを比較したところ肩関節の可動域は20°、肘関節の可動域は30°広くなっていました。
肩肘の関節の可動域が広くなったことで、ヒト科の生き物は速く、目標を狙って正確にものを投げることができるようになったと考えられます。
サルからヒトへの進化において「直立二足歩行」は大きなポイントですが、そもそも「直立二足歩行」を始めた要因の1つとして「道具を使うこと」さらには「道具を持ち歩くこと」が挙げられています。
関節の可動域の拡大はヒトが「道具を使う」ことにつながる進化と考えると「直立二足歩行」するよりも前にサルとヒトとの道が分かれた可能性があるのです。
しかしそもそもなぜ類人猿は腕の関節の可動域が広くなるに至ったのでしょうか?
サルと異なる類人猿の「木の下り方」
ルーク・D・ファニン氏らは類人猿の上肢の進化が「木の下り方」によって発展した可能性を指摘しています。
サルも類人猿も木に登るときよりも下りるときの方が腕の関節を大きく使う傾向があります。
前出のマンガベイとチンパンジーについて観察した結果、登るときには両者の動きにほとんど違いはない一方で、下るときには肩関節の広がりや腕の延ばし方が大きく異なっていたのです。
四足歩行であるマンガベイは肩関節の動きがイヌやネコなどに近く、体と前足がL字の形状になっています。
木から下りるときも、L字の状態を保って後ろ足を動かし、するすると下りてくる様子が観察されました。
それに対し、チンパンジーは木から下りる際にしっかり前足は木をつかんでおり、後ろ足の移動で体が下に下がってからも前足はすべらせずに大きく伸ばすような形を取っています。
前足で体を固定し、後ろ足を引いて後ろ足が固定できて初めて前足を一段階下げる、というハシゴを下りるときのような下り方です。
チンパンジーは木から下りているとき肩が大きく開き、前足全体がほぼ木と平行な状態になっていました。
体が大きいことのリスク
チンパンジーはなぜマンガベイのように前足を木に添えるような形でするすると下りることができないのでしょうか?
その理由はチンパンジーの体が大きく重いことです。
マンガベイは大きなオスでも11㎏ほどですが、チンパンジーは40~60㎏です。
体重の軽いマンガベイなら万が一木から落ちても軽いケガで済みますが、チンパンジーの場合は命に関わる大ケガにもなりかねません。
また、マンガベイのようにするする自重を使って下りた場合、チンパンジーの体重だと下りる速度も速くなり、着地の際、足に負担がかかります。
つまり、チンパンジーは木をしっかりつかむことで、体が落ちすぎないようブレーキをかけているのです。
手で木をつかみ、その場所に手が固定された状態で下りるとなると当然腕はぎりぎりまで伸ばさなければなりません。
類人猿の肩関節のやわらかさは、大きな体でも安全に木から下りるための進化だったと言えるでしょう
しかし、チンパンジーの下り方はサルと比べると安全ではあるものの、運動負荷は高いものです。
ヒトと同程度の大きさを持つ大型類人猿は木から下りる際に落下のリスクだけではなく、エネルギー消費も抱えることになります。
類人猿がヒトへの進化の過程で樹から下りて草原に移り、二足歩行へと進化していったのには大きな体での上り下りの負担が関係していたのかもしれません。
ヒトへの進化に欠かせなかった「関節の柔軟性」
類人猿はその体の大きさから樹上の生活を失い、上肢の関節の柔軟性を得ました。
しかし一方で、直立二足歩行を可能とした下肢の関節の柔軟性は樹上の生活によって得られたものだと言われています。
下肢と上肢、両方の関節の柔軟性を得たことで、サルは類人猿へと進化したのです。
とはいえ、サルの中にはマントヒヒなど、ヒトに近い体重まで育つ大型種も存在し、大型化のみが関節の柔軟性の理由ではないと考えられます。
今後はこのような大型のサルがどのように木から下りるのか観察することで、ヒトへの進化の枝分かれがより詳細になるかもしれませんね。
参考文献
‘Downclimbing’ from Trees Played Role in Early-Human Evolution https://www.sci.news/othersciences/anthropology/downclimbing-apes-12249.html What Does It Mean To Be Human? https://humanorigins.si.edu/evidence/genetics元論文
Downclimbing and the evolution of ape forelimb morphologies https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsos.230145