写真撮影のテクニックの1つに、背景をぼかすことでリアルな景色をまるでジオラマのように見せるものがあります。
例えば、この方法を使うと実際の列車を映した写真が、まるで鉄道模型のように見えてしまいます。
これは脳の錯覚を利用していますが、その錯覚はどのようなメカニズムで起きているのでしょうか?
イギリスのアストン大学(Aston University)健康生命科学部に所属するダニエル・ベイカー氏ら研究チームは、ぼかし加工で人々の脳が簡単に騙される錯覚する原因を考察しました。
研究の詳細は、2023年5月8日付の科学誌『PLoS ONE』に掲載されました。
目次
- ぼかし効果で被写体がミニチュア模型に見える錯覚
- 「本物の列車の写真」と「鉄道模型の写真」を見分ける実験
- ぼかし加工で脳が錯覚する理由
ぼかし効果で被写体がミニチュア模型に見える錯覚
現実の風景を加工すると、簡単に錯視画像が作れます。
写真の被写体にピントを合わせ、それ以外(背景)をぼかすことで、なぜか被写体がミニチュア模型のように見えるのです。
上の画像は、大規模な建設現場の写真ですが、まるで赤いクレーンが小さな作り物のように見えますね。
この効果は以前から知られており、撮影後の写真に編集で「ぼかし加工」を入れたり、「チルトシフトレンズ」という特殊なレンズを使って撮影したりして表現できます。
ちなみに「チルトシフト」の「チルト(もしくはティルト)」とは、画像のピントを変える手法のことであり、「シフト」は画像の遠近感を変える手法を指します。
そして、この手法で撮られた写真は「ミニチュア風写真」「ジオラマ風写真」「チルトシフト写真」などと呼ばれており、ベイカー氏は、この錯視を生み出す技術を「fake tilt shift miniaturization(「偽チルトシフト縮小法」の意)」と呼んでいます。
「本物の列車の写真」と「鉄道模型の写真」を見分ける実験
研究チームは、チルトシフト写真の効果を詳しく調査するために、1つの実験を行いました。
この実験にはアストン大学の学生108人(男性41人、女性67人)が参加。
彼らに、1度に2つの画像(「鉄道模型の写真」と「本物の列車の写真」)を5秒間見せ、どちらが本物の列車か答えてもらいました。
ちなみに、色の鮮やかさで判断するのを防ぐため、すべての画像はグレースケール化されました。
そして本物の列車の写真は、「加工無し」に加え、背景に5種類のぼかし加工が入ったものが用意されました。
実験の結果、ぼかし加工が無い場合、参加者の正解率は67%でした。
正解率が100%でないのは、鉄道模型が精巧に作られたものであることを示しています。
そしてぼかし加工を施した5種類の画像パターンの正解率は50%付近かそれ以下になりました。
特にチルトシフト写真に該当する「列車から画像の端に向かってピントがぼやける加工」では、正解率が最も低く、わずか24%でした。
さらに「写真の上部と下部に単調なぼかしを入れただけの加工」でも、33%の正解率となりました。
この結果から、チルトシフト写真として知られるぼかし加工を入れると、人々は本物の鉄道とミニチュア模型が本当に見分けられなくなることが証明されました。
しかも大雑把にぼかし加工を入れるだけでも、私たちの脳は簡単に騙されてしまうようです。
では、どうしてぼかし加工だけで写真内の被写体がミニチュア模型のように見えてしまうのでしょうか?
ぼかし加工で脳が錯覚する理由
脳が錯覚する理由は、次のように説明できます。
私たちの目は、近くの物体と遠くの物体に同時にピントを合わせることができません。
例えば、目の前に美しい花を持ってきてピントを合わせると、背後の植物や景色はぼやけてしまうものです。
こうした目の仕組みを脳は把握しているため、「中央の花にピントが合っており、緑の背景がぼやけている画像」を見た時、脳は「花が至近距離に存在し、緑の植物は遠くにある」と感じます。
これは脳による正確な判断ですが、それゆえ、ぼかし加工によって簡単に騙されてしまうのです。
「ピントが合った列車とぼやけた背景」の加工画像を見ると、本当は同じ距離に存在しているにも関わらず、脳は「列車が自分の近くにあって、背景の線路などはずっと遠くにある」と感じるのです。
ただし、「巨大な列車の姿全体を捉えていながら、それが至近距離に存在する」ことなどありえません。
脳はこうした矛盾をなんとか修正するために、ありえそうなシチュエーションに感覚を近づけます。
つまり、「列車が非常に小さいので、目の前にあっても姿全体を捉えることができ、遠くの背景はぼやけている」と瞬時に感じてしまうのです。
これがチルトシフト写真で実物の列車がミニチュア模型に見える理由です。
そして今回の実験でチルトシフト写真の効果が実証されたことから、人間の脳が、確かにピントのずれ(ぼやけ)を利用して、網膜で得られた画像の距離やサイズを推測していることが証明されました。
また「上下だけのぼかし」という単調な加工でも脳を欺けたことから、脳の「距離やサイズを推測する作業」は、かなり大雑把なものだということも分かりました。
研究チームは、この脳の働きを「計量分析(綿密な論理をもとに統計的・数学的に分析すること)ではなくヒューリスティック(経験則や先入観に基づく直感的で素早い判断)である」とも述べています。
さらにベイカー氏は、「この結果は、私たちのサイズ認識が完璧ではなく、状況に影響される可能性があることを示しています。また、視覚システムの驚くべき適応性を浮き彫りにしています」と付け加えました。
人間は瞬時に判断する能力が優れて入るものの、その判断結果はかなり大雑把であり当てにならないことがあります。
多くの事故の原因が、この大雑把さに起因している可能性は否定できないでしょう。
人間の脳は素早く直感的な回答を出せるがゆえに、錯視で騙されやすくもなっていると考えられるのです。
「ぼかし加工でミニチュア模型に見える」錯覚は、人間の脳の知覚判断の方法や優先順位を解明するのに役立ちます。
これら人間の高度な手法は、今後ロボット工学やコンピュータビジョンなどの分野に影響を与えるかもしれません。
参考文献
New research sheds light on how human vision perceives scale https://www.aston.ac.uk/latest-news/new-research-sheds-light-how-human-vision-perceives-scale Reality Blur: How Our Eyes Fool Us Into Misjudging Size https://neurosciencenews.com/size-perception-vision-23199/元論文
Blurring the boundary between models and reality: Visual perception of scale assessed by performance https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0285423