忠犬ハチ公の出生地は渋谷じゃないってご存知でした?
渋谷駅ハチ公口のシンボルである「忠犬ハチ公」の銅像、待ち合わせ場所としても本当に有名ですよね。
秋田犬であるハチ公は、亡き飼い主を毎日渋谷駅で待っていたという逸話が今でも語り継がれていますので、忠犬ハチ公は渋谷で生まれたと思っている人もいるのではないでしょうか。
実は、ハチ公は渋谷で生まれたのではなく、秋田県大館市で生まれたんです!
ハチ公と秋田犬を愛し続ける大館市
▼こんなにかわいい秋田犬のふるさとです♡秋田県大館市は秋田県北部にある街で、人口は約8万人前後。
春には桜まつりやロードレース、秋田犬展覧会などさまざまなイベントを開催しています。
大館市で5月に行われる「秋田犬展覧会 本部展」では、各地から優秀な秋田犬が集ってコンテストが行われるのですが、凛とした秋田犬が並ぶ姿は、まさに圧巻!
▼平成28年度の本部展で内閣総理大臣賞を受賞した秋田犬▼こちらはまだあどけないお顔。かわいい~★子犬はまさに天使ですねハチ公が渋谷に行くことになったのはどうして?
さて、忠犬ハチ公が渋谷ではなく大館市で生まれた件について、どんなエピソードがあるのでしょうか。
大館市のホームページによりますと、
忠犬ハチ公は、牡の秋田犬で、大正12年11月、大館市大子内(おおしない)の斎藤義一宅で、父:大子内山号、母:胡麻号の間に生まれました。出典:http://www.city.odate.akita.jp/dcity/sitemanager.nsf/doc/1596170476AC0007492577760029A50B.html
ちょうどそのころ、東京帝国大学農学部教授・上野英三郎博士が、純系の日本犬を捜していました。それを聞いた博士の教え子の世間瀬千代松氏は、部下・栗田礼蔵氏の知り合いの斉藤宅から子犬をもらうことを思い付いたのです。大正13年1月14日、こうして生後50日前後の幼犬が上野博士のもとへ送られました。幼犬は、博士と共に食事をするほど可愛がられ、「ハチ」と名付けられました。
なるほど、ハチ公は大館市で生まれてから、東京の上野博士のところにもらわれていったのですね。
ハチは大正13年の5月に上野博士のところにもらわれていき、翌年大正14年の5月に博士は脳溢血で急逝されてしまいます。
上野博士との付き合いは約1年と短いものだったのに、その後10年間渋谷駅で待ち続けたといわれていますから、上野博士とハチの絆が本当に深いものだったということがうかがい知れますね。
さて、そんな忠誠心の強かったハチ公は、渋谷駅だけでなく出生地である大館市にも姿を変えていろいろな場所に存在しています。
また、大館市には秋田犬にまつわるさまざまなスポットがあるようです。
大館市にいるハチ公や秋田犬をご紹介すると共に、
更にかわいい秋田犬の画像をご紹介していきたいと思います!
秋田犬はこんなにも愛されていた!