現在「1人で死ね」という議論がネットで巻き起こっております。これは先日発生した、川崎殺傷事件において、犯人が最後に自殺したという経緯があり、自殺するならば1人で死ぬべきであるという理論と、それに対して「1人で死ね」というべきではないという理論が真っ向から対立しているという問題です。
1人で死ね議論とは・・・
学校に行こうとしていた子供の命を奪った悪魔に対し、子供を巻き込むな!ひとりで死んでくれ!の言葉は普通の人間の感情だ。この怒りをどこにぶつければいい!この言葉が次の悪魔を産むから言うな?被害者の前で言えるのか。何故悪魔の立場になって考えないといけないんだ?でもそれが真実なら謝ります
— 志らく (@shiraku666) May 29, 2019
落語家である立川志らくさんはじめ、多くの方々が提唱しております「自殺するならば他の人を巻き込まず1人で死ね」という議論は、川崎殺傷事件の問題をうけネットで自然と発生した理論です。
確かに他人に迷惑をかけず、自らの命を絶つというのは、今回の事件そのものを発生させず、他の人にも迷惑がかからないわけです。
ところが、そのような発言を軽々しくすべきではないと唱えているのが、NPOほっとプラス代表理事の藤田孝典 さんです。
藤田さんいわく
「社会全体でこれ以上、凶行が繰り返されないように、他者への言葉の発信や想いの伝え方に注意をいただきたい。」
と、「1人で死ね」と言った先に何があるのか、警鐘を鳴らしているわけです。つまり、その先に待ち構える、怒り・悲しみの連鎖「負のスパイラル」を懸念しているわけです。
遺族が強い言葉で非難することは当然でしょう。しかし社会的影響力がある人物であれば、怒りを表現する前に一呼吸おいて、その言葉の持つ暴力性や社会への影響力を一考してほしいと切に願う。なぜ「殺すな!生きろ!」と言えず「一人で死ね」という。社会を破壊する者をこれ以上増やさないでほしい。 https://t.co/O976lCFDyr
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) May 29, 2019
多くの反論
藤田さんの意見には多くの反論が寄せられております。
この人の意見に私は絶対反対です。「死にたいのなら一人で死ぬべき」は正論です。かけがえのない女児と男性の命を奪う事はいかなる理屈でも正当化できない。あと文章が短すぎ。→川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) - Y!ニュース https://t.co/64BAo8VEM5
— 古谷経衡@4/12『日本型リア充の研究』発売 (@aniotahosyu) May 28, 2019
また藤田孝典か。犯人にまつわる背景も不明な今、やるべきは被害者に対する哀悼の意表明だけだろ。お前がやってる「弱者救済」商売に繋がることを憶測で即座に書く神経を軽蔑する→川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) https://t.co/qTajzGFgO3
— 中川淳一郎 (@unkotaberuno) May 28, 2019
まさにネット上での典型的な正論のぶつかり合いとなり、落とし所のない状況です。
そもそも議論が噛み合っていない可能性
さてこれら議論は、ネット上でよくありふれているもので、記憶にあたらしいのが「保育園落ちた日本死ね」です。
保育園落ちた日本死ね!!!
https://anond.hatelabo.jp/20160215171759
上記問題でも、待機児童問題に対し国は何をやっているんだという議論と、児童の騒音を考えると、保育園を増加させるべきではないという議論が真っ向から対立しております。
それぞれの問題を噛み砕くと、感情VS理論という図式が浮かび上がります。
1人で死ね(感情) VS 社会が悪化する(理論)
日本死ね(感情) VS 住人に迷惑がかかる(理論)
つまり、感情論と理論での対立で、その先には全く答えがない不毛なやり取りとなってしまうわけです。(だからネットで議論になっているわけですが)
わかりやすく言えば寿司のワサビが嫌いな人に、ワサビを抜くと寿司職人の気持ちを分かっていない、ワサビ農家が衰退するから嫌いと言うべきではないという理論を押し付けているのと同じで、全く両者の意見は噛み合わないわけです。
ワサビが嫌い(感情) VS 寿司職人、ワサビ農家が衰退する(理論)
ということで話を戻すと「1人で死ね」とそれに対し「社会が悪化する」という議論は、次元とベクトルが全く異なる議論で、あえてそれに対して否定するのであれば、「他を巻き込むべき」と、非常に恐ろしい理論で犯人を擁護することにほかならないわけです。
本田圭佑も持論を展開し炎上した自殺論に関し
今回の議論も今後大きな社会問題に発展しそうですが、何れにせよ人に迷惑がかかること、人が死ぬことに関しては誰もがネガティブな感情を抱くわけで、これをいかに阻止するかが、今後の日本の課題であるように感じます。