TEXT&PHOTO◎貝方士英樹(KAIHOSHI Hideki)
前回、「03式中距離地対空誘導弾(中SAM)」を紹介するなかで、陸上自衛隊はその実弾射撃訓練をアメリカ国内の広大な射撃場へ赴き、最大射程など極限状況での射撃方法で実施しているとお伝えした。部隊と装備が米国へ派遣されることから「派米訓練」などと称される。中SAMの派米訓練はニューメキシコ州マクレガーにある米軍の対空射場だが、同様な訓練はもうひとつある。
場所は北米西海岸、ワシントン州ヤキマ市にある米陸軍の射撃場で、通称「ヤキマファイアリングセンター(Yakima Firing Center:YFC)」という場所だ。施設は広大な砂漠地帯の只中にあり、敷地は約40km四方もある。その中で射撃を行なうエリアの面積は東京都23区よりも広く、弾着地域は山手線の内側の地域の面積と同じほどもある。とにかく広い。ヤキマ訓練場は米陸軍の機甲部隊や航空部隊などが実弾射撃訓練を行なっている場所だ。陸自はここでの派米訓練を1994年から始めている。
ヤキマ訓練場は米ワシントン州の玄関であるシアトル市から東南方向へ約140マイル(約220km)離れたヤキマ市の北東に位置する。地元はワインの生産が盛んな田舎町だ。ヤキマ訓練場周辺の地勢はいわゆるアメリカの荒野。高地でもあり、西にはマウント・レーニアを抱えるカスケード山脈が走り、その地形が続き大きな丘陵が連なる地域だ。訓練場はこの丘陵に囲まれた盆地にある。盆地ならば跳弾の心配もまず必要ないということだろう。
気候は温暖だが、昼夜の温度差は大きく、乾燥している。高地・砂漠気候といえるか。砂漠の砂は粉のような細粒で、歩くと土埃となって舞い上がる。舞い上がった土埃は靴や衣服、車両表面などに付着し薄茶色に染め上げる。カメラやレンズの表面にも付着し、内部にも侵入するので厄介だ。土埃や強烈な日光を防ぐサングラス、埃を防ぐマスクやスカーフ、乾燥を防ぐリップクリーム、洗い落とす水や目薬、これらが必需品だ。ちなみに「ヤキマ」という言葉は先住民の部族名に由来し「黒熊」の意味があるという。
ヤキマ訓練場の面積は約13万2430ヘクタール。先述したとおり訓練場の敷地の中に東京都23区がスッポリ入るというもの。しかし実感が掴めない。空気は澄み、平原は背後の丘陵の麓までスッキリ見通せるが建造物もないので距離感・スケール感がつかめない。訓練場の中央部に立って、周囲の丘陵までは数十kmの距離が実際にはある。数十kmの距離をクリアに見通す経験もないので距離感が麻痺してしまう。ヤキマに入って最初に面食らうのがこのスケールの大きさだ。日本国内で最大面積を持つ北海道の矢臼別演習場の8倍近くの広さというのがヤキマであり、この広さこそが派米訓練を行なう第1の利点になる。
第2のメリットは弾着エリアが広く、使い勝手が良いということ。訓練場のほぼ中央部に位置する中央弾着地は約10km四方の広さがある。これは日本の本州最大といわれる東富士演習場と同じくらいの面積だ。弾着地の面積だけで、国内最大の総合火力演習を行なう東富士演習場と同じなのだ。
この広い弾着地に向かって、東西南北あらゆる方向から撃ち込むことが可能で、射撃地点設定の自由度が高くなるという。日本国内での、狭い場所から狭い弾着地へと射撃する制限された射撃訓練ではないので、装備の最大性能を引き出しやすくなる。射撃訓練の種類が増やせ、内容を濃くする訓練メニューが立てられることになる。
米国へ派遣されて訓練を行なう派米訓練の経緯を短く見てみる。
1990年代以降、陸上自衛隊では装備の近代化が進み、長射程で高機動な装備が導入されてきた。しかし、この実力を試すには日本国内の演習場では狭い。狭い土地では総合的な安全性確保にも繋がらない。全力射撃を行なう場所が求められた。そこで、渡米し、同盟国・軍の場所を借りる計画がたてられた。
まず1992年、ハワイ島ポアクロア演習場で派米射撃を始めた。しかし海上なので戦車の訓練ができず、代替地としてヤキマが選ばれたのが94年。ワシントン州は日本から近い米本土であり、シアトルやタコマの港もアクセスしやすく、装備の海上輸送・陸揚げ・陸送等に便利なのも当地域が選ばれた理由だった。以来、毎年9月にヤキマで全力射撃を行なうようになった。
全力で射撃するため、わざわざ米本土まで装備や物資を運び入れるのは多大な手間だが、理由は先のとおりで、装備や物資の遠距離輸送自体がそもそも「訓練」になる。たとえば喫緊の課題となった島嶼防衛では、南西諸島へ九州や本州などから必要な装備と人員を輸送する必要がある。我が国の防衛行動は陸海空のそれぞれで遠距離移動・輸送が必須だ。有事を睨み、機動力や展開能力の底上げにヤキマでの訓練は適している。
戦車などの装備を米本土へ運び込む目的地はシアトル近隣のタコマ港だ。民間の輸送船に装備を積んで太平洋を渡る。人員も同じく民間の旅客機で移動する。民間輸送力を使うというのが重要だ。民間船や民航機を使うための諸準備、荷送の段取り、部隊の具体的な移動などほぼすべての状況が訓練になる。島嶼防衛でも海上輸送には民航フェリーとの協働が予定され、これを想定した実際の訓練や防災訓練としても行なわれている。有事前後の輸送や移動については官民協働で行なうことを想定し、それは物資の事前集積などにも自前の能力に加え、民間の力も見積もりに入れていると思う。
タコマ港からヤキマ訓練場までの輸送は、米軍経由で依託された米民間輸送業者が担当、戦車などは巨大トレーラーに積んで運ばれる。高機動車などは自走するが運転はやはり米側業者がハンドルを握る。これは主に車両にかかる保険の関係からだそうだ(2010年取材当時、以下同様)。
AH-1S対戦車ヘリコプターは、タコマ港で陸揚げされ通関手続きと燃料補充、整備を受けたのち、陸自パイロットが操縦しヤキマへ飛んで移動する。
人員移動は、各駐屯地から陸路で成田空港へ主にバスで移動。公用旅券で民間旅客機へ搭乗。シアトルのタコマ空港へ飛ぶ。米国到着後はヤキマ訓練場や近隣の米軍基地へバスで移動、そして訓練へ突入する、という流れだ。
こうした装備と人員の移動を中心に、輸送や補給等の「兵站(ロジスティクス)」が軍事行動の最大要点になる。最大射程・全力射撃の場所を求めた結果のヤキマ派米訓練だが、その真ん中に兵站力のレベルを上げる狙いが読み取れる。
当初、戦車や火砲、ミサイルなど主要装備の最大射程・全力射撃の機会獲得を目的に始められたヤキマ派米訓練だが、2000年代には普通科(歩兵部隊)も参加し、複数の職種が入り混じって訓練を行なうようになった。派米されて射撃するだけでなく、戦車(機甲科)や火砲(特科)などと連携して具体的な作戦行動を演練する機会へと内容を濃くしてきている。呼称も単なる派米射撃以上の、諸職種協同訓練へと変わった。普通科はヤキマでの訓練と前後して、近隣の米軍施設や基地で市街地戦闘訓練などを米陸軍らと共同訓練し、その経験をもってヤキマで諸職種協同訓練を実施してシメる、という最近の傾向もある。派米機会を重ねるごとにレベルアップしてきたのだ。
今回は海外派遣訓練を、中SAMやヤキマの例で紹介した。これらの目的は機動力や展開能力、機能別訓練や総合訓練の精度、兵站、そして米軍との相互運用性を上げ、統合力を向上することにある。
こうして派米訓練や多国間との共同訓練などを積み上げている自衛隊だが、現在のコロナ禍により外国での訓練や演習、国内の訓練や演習、海外派遣での実働にも影響を受け、各々で実施方法を変えたり、延期や中止される措置もここへきて増えている。とくに感染拡大にある現在は無理もないことだが、部隊内クラスターが多く発生していることは残念だし、練度や現場態勢としての戦力維持にも影響が出ているのではないかと思う。