TEXT:川島礼二郎(KAWASHIMA Reijiro)
エンジンを搭載したカートのように見える世界初のトラックの設計の背後にあったのは実利主義だ。『フェニックス』と呼ばれる排気量1.06L で強力な4馬力を発揮する2気筒エンジンが車体後部に配置されていた。ダイムラーはそのエンジンの動力を、ベルトを介してリアアクスルに伝達した。
エンジンを保護するために二つのコイルスプリングを採用していたが、しかし振動に対して敏感であった。ホイールはスチール製だ。ダイムラーはチェーンを使用してリーフスプリングのフロントアクスルを操縦した。ドライバーの着座位置は馬車のようである。燃料消費量は100キロメートルあたり約6リットル。これは当時の用語では「馬力と時間あたり0.4kg」と表現された。
ダイムラーが製造した最初のトラックが、今日でも建設車両で一般的な遊星車軸を125年前に使用していたことは注目に値する。ベルトドライブがエンジンから車両の縦軸を横切って取り付けられたシャフトに動力を伝達するためであり、それはピニオンを装備しており、ピニオンの各歯はホイールに接続されたリングギヤの内歯と噛み合っていた。これは現在のアロックスシリーズに至る大型メルセデス・ベンツトラックの遊星車軸と原理的に同じである。
1898年、ゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハは車体後部に搭載していたエンジンを運転席下に配置した。また同年、トラックは乗用車と明確に区別できる顔を与えられ、出力とペイロードが増え続ける方向に対応することになった。エンジンはフロントアクスルの前正面に配置された。そこで発生した力は4ギアのベルトドライブと縦方向のシャフトとピニオンを介して、スチール製の後輪の内部リングギアに10馬力を伝えた。これらの車両ではダイムラーはドライブトレインとエンジンに大きな改良を加えていた。それまでのホットチューブイグニッションに代わってボッシュ製の低電圧マグネット式点火装置を装備。排気量は2.2Lに拡大されており、ラジエーターも新デザインとされた。
ゴットリープ・ダイムラーは彼の新しい『5トン』を一般公開するのに慎重であった。当時としては非常に先進的なこの車両は、公開前にカスタマーテストを受けた。ダイムラーは数ヶ月の時間を掛けて、ハイデンハイムのレンガ工場で新しい『5トン』の欠点を丹念に修正した。
最初のトラックの購入者は、工業化の本拠地イギリスからやって来た。パリでも、ダイムラーのトラックは歓迎された。ゴットリープ・ダイムラーは、活気に満ちたパリへの長い旅に出て、国際展示会で彼の新製品を宣伝した。そこでは、フランス自動車協会が主催した「都市旅行用の自動車」をテーマにしたコンテストに続いて、チュイルリー公園で自動車ショーが開催された。展示会で、ゴットリープ・ダイムラーは、彼の新しい『5トン』と4馬力の強力なベルト駆動車両を発表した。ダイムラーの妻リナは1898年6月、「私達のトラックは非常に人気があります」と、に満足気に述べたという。