TEXT:牧野茂雄(MAKINO Shigeo)
*本記事は2012年12月に執筆したものです
マグネトロン着火という方法がいま研究されている。O2(酸素)とH(水素)の振動波長に一致する周波数の電磁波を送り込み、エンジンの燃焼室内で共振を起こさせ発熱させるという方法である。なぜこのような研究が行なわれているのかといえば、近年の自動車エンジンは大量のEGR(排ガス再循環=Exhaust Gas Recirculation)を使用しているためだ。EGRは燃料と大気が反応して燃焼したあとの燃え残りガスをふたたび燃焼に使う技術である。その効果は、以前は三元触媒とセットでの排ガス中有害成分除去だったが、近年では低負荷時のポンピングロス低減や燃費にも効くことがわかり、積極的に利用されている。しかし、EGRをかけすぎると着火しなくなる。そこで、マグネトロン着火という方式が注目された。
まず、通常のスパークプラグで混合気に点火し、燃料と酸素を反応させ少量のCO2(二酸化炭素)とH2O(水)を生成させる。プラグ付近だけ着火させればいい。発生したCO2/H2Oにマグネトロンを当てると電磁波から振動をもらって共振し、その共振が熱になる。熱はどんどんと燃焼室内に伝わり、大量EGRのために失火しそうになったところの温度を上昇させる。火花点火される周辺にだけマグネトロンを当てれば一度着いた火は消えず、燃焼室内にある混合気は最後まで燃える。現在、ガソリンエンジンでのEGR率(燃えかすである不活性ガスをどれくらい混ぜるか)は20%付近が限界だが、もっとEGR率を上げられればエンジンの効率はさらに高くなる。だから「点火」の研究が行なわれているのだ。
近年流行しているターボ過給は、燃焼室により多くの酸素を送り込めるという点でEGRにとっては好都合である。大EGR率でも失火しないよう過給でどんどんO2を取り込むことができるためだ。O2と燃料が反応すれば化学反応が起き、エンジン出力を確保できる。同時に大量EGRは、燃焼火炎温度を下げて熱損失を減らす効果をもたらす。ガソリンエンジンの場合、計算上ではEGR率40%付近で燃焼火炎を維持できなくなると言われるが、前述のマグネトロン方式が可能になると、現在の限界EGR率を超えることができる。
過給ダウンサイジングはターボチャージャーやスーパーチェージャーを使って過給することでエンジン排気量を減らし、その分、機械損失やエンジン重量・容積も減るという効果をもたらした。さらに大量のEGRを使えれば、燃費は良くなる。そのためには点火システムの改良(あるいは革命)が必要だということは、すでにエンジン技術者や研究者が認識している。だから研究を進めているのである。
さらに、点火の研究のなかで明らかになったことがある。それはリーンバーン(希薄燃焼)のメリットである。かつて80年代末から90年後半にかけてリーンバーンはもてはやされ、多くの自動車メーカーが研究を進めていたが、燃料が薄い状態では火炎速度が遅く、その結果排ガス中の有害成分が増えてしまうという欠点を克服できなかった。近年は、燃焼速度が速ければ窒素酸化物(NOx)は発生しにくいことがわかり、低い火炎温度で高速燃焼させるためにEGRが有効だということもわかった。
しかし、EGRを使い過ぎると失火してしまう。通常の点火プラグでは、大量EGRでシリンダー内圧力が高くなると放電しにくくなるから使えない。だからマグネトロン方式なのである。マグネトロン点火が実用化されれば燃料がものすごく薄い混合気でのリーンバーンが可能になり、20年前では実現できなかったクリーンで運転領域の広いリーンバーン・ガソリンエンジンが実現するかもしれないという期待が広がっている。
マグネトロン以外にも、たとえば燃焼室内のピストン内周部分で多点(8~12)点火する方法がある。すでに量産エンジンと組み合わせてのテストが行なわれており、点火プラグと時間差を持たせた点火やシリンダー内に発生する横渦(スワール)と縦渦(タンブル)に合わせた時間差点火も試みられている。もっと単純なのは点火プラグを2個使うツインプラグ方式であり、これについてもさまざまな研究が進められている。さらに、1プラグのままで大量EGRを実現しようという研究もある。いま、とにかく点火はホットな研究テーマである。
じつは、ごく普通のスパークプラグもさまざまな改良を経て現状に至っている。その意味では地道な研究開発の成果であり、目立たないハイテクと言える。ただし、スパークプラグから供給している点火エネルギーはわずか50ミリジュール程度だ。これでも局所的には温度が数千ケルビンになるので、点火プラグのギャップ内に運良く燃料分子がいれば、1ミリほどのギャップで着火できる。ただ、あまりにも「運良く燃料分子がそこにいれば」なので、現在のガソリンエンジンでは点火プラグから一定時間の放電を行なっている。1ミリ秒ほど放電している例がほとんどだ。
1ミリ秒(1000分の1秒)はエンジンの燃焼行程にとっては非常に長い時間である。点火プラグの先端、ギャップの間には稲妻のような放電(フレームカーネル)が走りつづけ、そこを通過する燃料分子に電子ビームを浴びせている。これによって初期火炎をどんどん広げ、一度着いた火を消さないようにしているのである。ただしギャップは1ミリほどがあるから熱はどんどん逃げていく。かと言って供給エネルギーを増やすとなると、今度は使用電力が増える。点火装置は高価になり、プラグの耐久性にも問題が出る。だから、ガソリン車は「少し前」に確立された点火システムをそのまま使っているのである。
ここでも新しい研究が行なわれている。点火プラグのようにギャップ内にだけ放電するのではなくスプレー噴射のような広い範囲に放電する低温(非平衡)プラズマ点火である。
一般にアーク(アーク溶接のアークも)と呼ばれる状態は、物理的に温度が高く分子の振動および回転(スピン運動)によって発生する温度が一緒になった状態である。その手前に、物理的な温度は低いのだけれど「電子温度」が高いという状態がある。電子が高いエネルギーを持っていても温度が上がっていない状態であり低温プラズマと呼ばれる。この状態では化学反応によって燃料分子の自己着火が起きることが確認された。高温にして燃料分子を熱攻めにし、分解して化学反応を起こさせるのではなく、自然に結合して反応が始まるのである。低温プラズマ点火も将来技術として注目されている。
さまざまな解析技術・可視化技術の進歩によって、エンジンの「燃焼」の理想型も少しずつ変わってきた。昔は『燃料を燃やして高温になれば効率が良い』と思われていたが、現在は逆に『高温にしないほうがいい』に変わった。じつは、燃焼についてはまだわかっていないことが多く、それだけ発展の余地が残されているのである。日本のメディアはよく「これからはハイブリッド」「いまさらエンジンは必要ない」などの論調を展開するが、これはまったくの誤解であり、世論のミスリードである。電気の1万倍以上という高いエネルギー密度を持った液体燃料を、まだ人類が使いこなしていないだけの話である。
実践に、あとから理論がついてきた。使い方が間違っていないことはわかった。理論の裏付けがあれば新しい仮説も立てられる──これがエンジン開発の現状である。豊かな想像力を持った人々がエンジンの姿を少しずつ変えていく様子を、我われは見ているのである。