REPORT&PHOTO●増田満(MASUDA Mitsuru)
ヒルマン・ミンクスもエルフも登場。いすゞファンにはたまらない1日
太平洋戦争前から自動車生産を手掛け、国内有数の歴史をもついすゞ自動車。1953年にはイギリスのルーツグループと提携してヒルマン・ミンクスのノックダウン生産を開始して乗用車市場へ進出。その後、ベレットや117クーペ、ピアッツァやジェミニなど一時代を築いたものの、1990年代以降は乗用車部門が急激に業績が悪化。1993年には小型乗用車の自社生産を断念、2002年にはSUVの生産も中止して乗用車市場から完全撤退してしまう。
現在は商用車メーカーだが、過去には様々な乗用車を世に送り出してきた。今回は残存数が減る一方のいすゞのレアモデル車を見ていこう。
フローリアンが15年ぶりにモデルチェンジをして1983年に発売されたのがフローリアン・アスカ。当時提携関係にあったアメリカのGMと共同で開発した世界戦略車で、オペル・アスコナのほかGM各ブランドから兄弟車が発売された。
国内では当初フローリアンの後継車であることを周知するためフローリアン・アスカを名乗ったが、後にフローリアンが取れアスカだけになる。いすゞ初のFF方式を採用した4ドアセダンで、1.8と2リッターのガソリンエンジンを搭載。後に2リッターディーゼルターボや5速ATのNAVi5、SOHCターボを追加。1985年にはスポーツモデルとしてイルムシャーも発売された。
話が前後してしまうが、この日はいすゞが1953年にノックダウン生産を開始したイギリス、ルーツ・グループのヒルマン・ミンクスも参加していた。写真は1961年のマイナーチェンジ以降になる後期型で、関東近辺の旧車イベントに参加されることが多い個体。実に50万キロを超えてなお、元気に走っているそうだ。
1993年の東京モーターショーにコンセプトカーとして出品されたヴィークロスのスタイルをそのままに、コンセプトカーはジェミニをベースにしていたが、これをビッグホーンに切り替えて1997年に発売されたのがビークロス。SUV的な立ち位置ながら、スペシャルティカーとしての側面ももち、当時先進的だったバックカメラの標準装備などが特徴だった。
新車価格295万円は当時としても意欲的な設定だったが、国内より海外で販売台数を伸ばした。そのため国内に残存する個体は非常に少ないが、この日は3台が並ぶ光景を見ることができた。
続けてお伝えしている静岡・三保レトロカーフェスティバル2021&いすゞ+スバルミーティングの模様。次回はスバルを紹介する予定だ。