REPORT&PHOTO●増田満(MASUDA Mitsuru)
いすゞ117クーペはフローリアンをベースにイタリアのカロッツェリア・ギアがデザインしたクーペボディとされ、1966年のジュネーブショーに展示されたギア・いすゞ117スポルトを起源にもつ。美しさゆえ世界各国で複数のショーに輝いたが、複雑なボディを生産する設備が当時のいすゞになく、イタリアから熟練職人を呼ぶところから開発は始まった。 1968年に発売された117クーペは1.6リッターDOHCエンジンを搭載する1グレードでスタート。ハンドメイドで新車価格は172万円と高価だったため、生産台数は非常に少ない。この初期モデルは2500台未満とも言われるほど希少な存在だ。
当初のハンドメイド車は1969年10月のマイナーチェンジ時にインジェクションを装備するECと1.8リッターSOHCエンジンが追加されている。それより以前のハンドメイドとの識別点はサイドウインカーの形状で、上の写真のモデルと右の写真のモデルを比べていただきたい。上の初期モデルだとウインカーに被さるようなメッキ枠が備わっているのだ。 またサイドウインカーの後に唐獅子をモチーフにしたエンブレムが備わるが、こちらも初期が青でマイナーチェンジ後は赤になる。厳密には1.8リッターも青で新車価格136万円だった廉価版の1800Nは黄色と数種類が存在する。
ハンドメイド時代の117クーペは残存率が非常に高いことでも知られる。大きな変更もなく3年ほど作り続けられたが、1971年にアメリカのGMと提携したことでプレス機の導入が可能になる。そこで117クーペの生産はハンドメイド時代を終え、いよいよ量産体制へ移行するのだ。
1973年3月のマイナーチェンジにより、117クーペはハンドメイドから量産型へ移行する。同時にエンジンはDOHCも1.8リッター化され、DOHCインジェクションと同ツインキャブ、SOHCツインキャブと同シングルキャブへラインナップを拡大している。 この時期の量産型はハンドメイドと同じ丸形4灯式ヘッドライトを備えるが、フロントウインカーがバンパー上からバンパー下へ移動している。またフェンダーミラーがボディ同色の角形へと切り替わる。上写真の量産丸目はアルミホイール以外オリジナルを比較的たもっているが、右写真のようにメッキのフェンダーミラーに変更している個体が圧倒的に多い。
度重なる排出ガス規制への適合を経て、量産モデルは1977年11月にマイナーチェンジを実施する。この時から丸形だったヘッドライトを角形へ変更してスタイルを一新している。またフロントバンパーの下にスカート状のスポイラーが備わり、精悍な印象を与えるようになった。 さらに1978年からは2リッターエンジンのスターシリーズへ統一され、翌年には2.2リッター・ディーゼル、ジウジアーロ・カスタムなどもラインナップに加わった。1968年の発売から13年が過ぎた1981年、次期モデルのピアッツァが発売されたことで、117クーペの歴史は幕を閉じる。 次回はその他のいすゞ車を紹介する予定だ。