REPORT●中村友彦(NAKAMURA Tomohiko)
PHOTO●富樫秀明(TOGASHI Hideaki)
量産車と呼べるほどの台数は製作されなかったものの、世界GPで培った技術を転用したモデルとして、MVアグスタは1968年に、並列4気筒を搭載する600GTを発売した。ただし、同社の創設者であるドメニコ・アグスタ伯が、プライベーターが勝手にレースに参戦し、MVの名を汚すことを憂慮したため、600GTはイタリア車らしからぬ、実用車然としたスタイルを採用。言ってみれば当時のMVアグスタは、せっかくの革新性(この時代の公道用並列4気筒車は、NSUのエンジンを転用したミュンヒ・マンモスと600GTのみ)を自らで放棄したのだ。
とはいえ、600GTの販売がまったく奮わなかったことに加えて、1968年秋の東京モーターショーでホンダが発表したCB750フォアが、アグスタ伯のヤル気に火をつけたのだろうか、1969年秋のミラノショーでMVアグスタは、これぞイタリアン!と言いたくなる、流麗なスタイルの750S:スポルトを公開する。CB750フォアの3倍以上という価格を考えれば、間違っても一般的なモデルではなかったけれど、1972年から発売が始まった750Sは、世界中の多くのライダーから羨望の眼差しを集め、同社のブランドイメージ向上に大いに貢献したのである。
もっとも750Sは、1970年代初頭の大排気量車界をリードするようなモデルではなかった。67psの最高出力や198.1km/hの最高速は、CB750フォアと同等だったものの、1950年代のGPレーサーを彷彿とさせる構成のフレーム+スイングアームや、あえてシャフト式とした後輪駆動は、既存の600GTとほとんど同じだったのだから。ただし、MVフォアの豪快にして爽快なフィーリングを愛する750Sオーナーにとっては、現役時代も現在も、そのあたりは取るに足らない問題のようだ。
来るべき高速化時代を見据えた新世代のフラッグシップとして、モトグッツィは1965年に縦置き90度VツインのV7を発表し、1972年には車体を中心に大改革を行った新たな柱、V7スポルトを発売している。その後継にして大幅なチューンアップ仕様、さらには当時の流行だったカフェレーサースタイルを取り入れたモデルとして生まれたのが、1976年に登場した850ルマンだ。
ルマンという車名の由来は、フランスのルマン市で開催されたボルドール24時間で、V7スポルトがベースのワークスレーサーが、1971年に3位(中盤まではトップを快走)、1972年に4位(欧州勢最上位)、という好成績を収めたことで、当初のモトグッツィはこのモデルを、ドゥカティ750SSやラベルダ750SFCのような市販レーサーにするつもりだったようだ。とはいえ、1973年から同社の親会社となったデ・トマソのボス、アレッサンドロの意向で、開発方針は変更。市販型はBMW R90Sを思わせる、スポーティなカフェレーサーになった。
なお1978年以降のルマンシリーズは、大型フェアリングをまとったⅡ型、スクエアデザインを取り入れたⅢ型、排気量を拡大した1000:Ⅳ型へと進化したものの、乗り味とデザインのバランスという面では、初代がベストと言うマニアが少なくない。逆に最も人気が低いのは最終型のルマン1000だが、その派生機種として開発されたクラシックイメージの1000Sは、昨今の中古車市場では、Ⅱ~Ⅳ型を凌駕する人気を獲得しているようだ。
欧州では根強い人気を維持しているものの、日本での人気は同時代のライバル勢に及ばないラベルダ750SFC。その背景には、OHC2バルブ並列2気筒エンジンが、ホンダCB72/77とよく似ている……という事情があるようだが、1970年代初頭の耐久レースで、750SFCはライバル勢を圧倒する、華々しい戦績を残しているのだ。
同時代の英車を意識したのか、1968年に発売されたラベルダの並列2気筒車は、当初は排気量が650ccで、最高出力は50hpだった。とはいえ、各部を見直した1969年型750Sは、イッキに+10psとなる60hpをマーク。その発展型となる1970年型750SF:61hpを経て、1971年に登場した市販レーサーの750SFC:SUPER FRENI COMPETIZIONEは、数々の専用設計部品を導入することで、75ps/7500rpmものパワーを獲得していた。
その実力を実証するべく、1971年のラベルダはワークス態勢で耐久に参戦。ボルドール24時間では、トラインフ・トライデントに敗れて2位に終わったものの、イモラ1000km、ザルツブルグ/オス/バルセロナ24時間、モデナ/バレルンガ500kmと、計6つのビッグレースを制覇。しかもイモラとザルツブルグ、モデナは1-2フィニッシュ、バルセロナでは表彰台を独占するという強さで、当時のライバル勢はまったく歯が立たなかったのである。