TEXT&PHOTO:牧野茂雄(Shigeo MAKINO)
*本記事は2012年12月に執筆したものです
中国では過給ダウンサイジングエンジンが流行している。VW(フォルクスワーゲン)が中心的存在であり、GMもターボ車の投入は早かった。これをBMWやPSAなどの欧州勢、フォードとクライスラーの米国勢が追い、中国の国営系と独立系(非国営系)もダウンサイジング過給エンジンの開発に拍車をかけている。唯一、この波に乗り遅れたのは日本勢である。
中国乗用車市場ターボ化のきっかけは、2008年秋のリーマンショックだった。上り調子にあった市場を減速させてはならないと、中国政府はエンジン排気量1600cc未満の乗用車に対する税制優遇措置を実施、税額は半分になった。
なぜ1600ccだったかと言えば、筆者は当時いろいろな話を聞いた。「ある政府関係者がVWのTSIエンジンとDSGをいたく気に入っている」「GMは1.6lターボ車の投入を約束した」など、さもありなんという話はあちこちから入ってきた。1600cc以下は自動車購入税半額という購入促進策は見事に当たり、09年の中国自動車市場は諸外国の不振を尻目に空前の活況を呈したのである。
一方、外資の支援を得られない中国の独立系自動車メーカーは、自前のターボエンジン設計を決める。もっとも積極的だったのは独立系最大手の奇瑞汽車(Chery Automobile)だった。海外のエンジニアリング会社にエンジン設計を依託し、欧州系サプライヤーの協力を得て1600cc直4エンジンを完成させた。このエンジンには独・シェフラーグループが開発した可変バルブタイミング機構が組み込まれていた。
奇瑞は上海奇瑞だった時代に旧世代エンジンのライセンスを欧州から購入していたほか、独立系になってからは三菱自動車から4G系エンジンの購入を開始し、最上級モデルに搭載していた。その一方で自前のエンジンを持とうという計画が進んでいたのである。それも1機種ではなく、3機種ほぼ同時の計画だった。
2ℓ直4エンジンの設計に当たっては、オーストリアのエンジニアリング会社であるAVLに依頼した。エンジン量産に当たっては中国国内にAVLと合弁工場まで建設した。生産面でも支援を得なければ、奇瑞が望む性能のエンジンを入手できなかったためだ。ここで開発された「ACTECO」4気筒ターボエンジンは最高出力125kW/5500rpm、最大トルク235Nm/1900rpmという性能である。現在はさらに性能が向上し信頼性も高くなった。
欧州進出を狙う華晨汽車(Brilliance Auto)は、奇瑞よりも早く欧州エンジニアリング会社の力を借り、07年に「自前設計」のDK4A型ターボディーゼルエンジンを完成させていた。しかし、肝心の車両が衝突安全性の問題でEU認証を取得できなかった。エンジンについても「排ガス規制はユーロ4に適合する。将来的にはユーロ5を視野に入れている」と奇瑞のエンジニアは語っていたが、独・ADACが実施した試験では不合格だった。
しかし、09年の1600cc以下減税を受け、華晨汽車は新世代の直列4気筒エンジンの開発に着手した。もちろん設計は外部委託だが、同社のエンジニアは「外資系の最新エンジンに負けない燃費を目標にする」と語っていた。その後同社は、ガソリンとディーゼルの両方で過給エンジンを完成させたが、会社が中国政府に買収されてしまった。独立系なのにBMWとの合弁会社を持っていた同社は、政府ににらまれたのだろうか。同社の技術およびAVLとの協力関係と資産はすべて政府のものになった。
その政府も、自前のエンジン開発を熱心に進めてきた。第一汽車廠(現・第一汽車)、第二汽車廠(現・東風汽車)などと呼ばれていた時代はソ連製エンジンの設計をそのまま譲り受けていた(そのルーツは独や英の旧世代エンジン)が、ソ連の崩壊後は海外の自動車メーカーからの技術移転と国内外のエンジニアリングリング会社や研究機関を通じた研究および開発委託を行なっている。その象徴とも言える出来事は、08年2月の「国産初のV12エンジン、点火に成功」という人民網の記事である。
このエンジンには「CA12GV」の型式名が与えられていた。ボア84.0×ストローク90.0mmで12気筒だから総排気量は5985ccである。左右バンクに載るサージタンクと吸気ポートのレイアウトからはBMWのM70型を想像するが、第一汽車は「自主設計」と公表している。
人民網には「2月22日午前8時30分に中国第一汽車集団公司の技術センターで点火に成功した」と記されていた。このエンジンは、のちに「大紅旗」に搭載され、胡錦濤国家主席が建国60周年式典で使用している。中国初のV12とは言え、自動車のエンジンが有人宇宙ロケットの発射なみに報道された背景は、当初から建国60周年式典のためのプロジェクトだったことを窺わせる。
現在、中国の自動車メーカーでのエンジン開発は、さまざまな方法で行なわれている。国営自動車メーカーは提携先の海外自動車メーカーから技術情報を得ている。外資との提携がない多くの独立系自動車メーカーは、エンジニアリング会社や技術コンサルティング会社にお金を払って設計依託している。中国の大学に資金提供してエンジン設計を手伝わせている自動車メーカーもあるし、海外の研究機関や大学と密かにつながっている自動車メーカーもある。エンジンについての知的財産を海外から購入する例もけして少なくない。
最新のエンジンは当然、入手して分解し、さまざまな試験を行なう。細部まで完全にリバースし設計データを得る。同時に、海外のエンジニアリング会社にリバースを依託する。とにかく現状では資金力があるため、さまざまな手段で「次世代エンジン」のための情報を集め、さまざまな試作を行なっている。
ボルボ・カーズを買収した浙江省吉利汽車(Geely Automobile)は「以前はエンジニアを募集しても我われが望むような人材はやってこなかったが、ボルボを買収してからは人材確保がスムーズになった」と語る。日本の大学の工学部にもかなりの数の中国人留学生がいる。欧米の工科大はもっと多いだろう。中国政府は、海外で実績を積んだエンジニアに帰国を呼びかけている。いずれこのエンジニアの数がモノを言うときが来るだろう。
こうした中国でのエンジン開発状況をウォッチしていると、そろそろ『ワールド・エンジン・データブック』に「中国製エンジン」という項目を設けなければならないのでは、という気持ちになる。ここ数年で中国製の過給エンジンは一気に増えた。完全な自前設計でないとは言え、そのレベルは毎年確実に上昇している。製造面でも経験を重ねている。
2012年1〜9月のデータで見ると、中国の乗用車市場に占める過給エンジン搭載車の比率は約9%である。このうち45%がVWグループのモデルである。EV(電気自動車)およびHEV(電動モーター併用ハイブリッド車)はそれぞれわずか0.03%に過ぎない。ちなみに、中国政府が掲げた「2020年までにHEV/プラグインHEV/EVを500万台」との目標は2012年から2020年までの8年間累計であり、この間に約2億台が販売されれば500万台など2.5%に過ぎない。中国の本音はエンジン開発なのである。
尖閣諸島問題の影響で12年9月以降、中国での日本車販売が大きく落ち込んだ。しかし、数年分のデータをさかのぼれば、日本車の停滞はすでに2011年から兆候があったことがわかる。そのひとつがターボ車の不在である。尖閣のせいにばかりにしていられないのだ。