当時自動車は稀で、ハーレーやインディアン、イギリスのアリエルやAJSのエンジンを載せた、後ろ二輪の3輪車がトラック代わりだった時代だ。そんななか、メグロは三輪車用のトランスミッションを1928年(昭和3年)に初めて国産化し、まずは変速機メーカーとして高い評価を得た。
1932年(昭和7年)には500ccクラスの空冷OHV単気筒を自社開発。他メーカーへの供給を開始した。また、新聞社や雑誌社が主催する競技会等に、独自開発したワークスマシンで出場し実績を積み上げていったのだ。ちなみに、この戦前からの競技会は、戦後オートレースに発展。オートレースでは、トライアンフとともに80年代末まで「メグロ」ブランドのエンジンが使用されていたのは有名な話だ。
1937年(昭和12年)。メグロは自社初の完成車「Z97型」を販売。空冷OHV単気筒500ccエンジンを搭載するZ97型は、のち1956年(昭和31年)の「スタミナZ7」まで続く“単気筒メグロ”の始祖モデルだ。メグロ通は「メグロは単気筒が本領」というが、実際、500ccモデルとしてもっとも長く生産されたのはこの単気筒モデルで、2気筒モデルはメグロの歴史を考えると、50年代中盤に入ってからの「新型車」の部類に入るのだ。このZ型は性能を買われ、白バイとして警視庁に納入されたというから、性能は当時卓越したモノだったといえる。
さて、戦後の物資不足を乗り越え、1950年(昭和25年)に販売を再開したZシリーズに加え、メグロは市場のニーズを反映し250ccの空冷OHV単気筒エンジンを搭載する「ジュニアJ1」を発売した。するとこれが大ヒット。J2、S、S2……S8とモデルチェンジを重ね、1965年のSGまで続くロングセラーとなった(このジュニアスタイルはのち、カワサキの「エストレヤ」に引き継がれることとなる)。
50年代中盤、メグロは500cc単気筒の「Z」、250cc単気筒の「ジュニアJ/S」シリーズに加え、白バイ用に開発された650cc「セニアT」、350cc「レックスY」、125cc「レジナE」と幅広いラインナップを揃えるにいたっていた。