ところで3代目である現行のFFモデルが登場する際に、そのスピリッツを確認するのにどうしても外せないコンセプトカーがある。2004年に突如としてジュネーブショーに現れた、トレピウーノ・コンセプトだ。そのイタリア語が示すのは、「3+1」。ダッシュボード内部の構造を変更して、助手席側を広くし席を前進させることで、大人3人と子供1人あるいは荷物が載せられるようにしたもの。
フィアットの中に脈々と生きる“できるだけ小さく、実用的にしたい”という思いが詰まったパッケージで、全長はわずか3.3mだった。この点こそがまさに500スピリットであり、またフィアットの哲学にも通じるものだ。
3代目モデルではFF化、さらに大型化という中で、2代目のイメージを継承するために、コンパクトに見えながらも安定感のある下半身をしっかりと表現する必要がある。
加えて現代的要件となる燃費性能を実現するためには、高い空力性能も必須で、フロントエンドのローノーズ化やフロントウインドウの後傾化も必要となる。この中で500らしさを強調するのが、ぐるっと一周するキャラクターラインと、モノフォルムではなくキャビンと分離した張りのあるボンネット、そして四隅に踏ん張るタイヤのレイアウトだ。
加えて、前後のオーバーハングを短く見せることは必須で、FFでありながらもフロントのタイヤから先をできるだけ短く見せるデザインとしている。楕円で側面に回り込むヘッドライトとコンビランプがポイントとなった。どちらも正面からみれば円形に近いが、斜め前方から見るとオーバーハングを隠す効果を見せている。
さらに2代目ではボディ側面のキャラクターラインはやや後ろに向かって下がっていくが、3代目では前傾。これは空力性能の観点から下げなければならないボンネットに、もっと存在感を与えることができる。また後傾するフロントピラーが与える過度にスポーティな印象も薄めている。
ボンネットのセンターやサイドウインドウのモール、ドアハンドルなどにクラシカルな要素を織り込むことで、レトロな雰囲気を醸し出している。随所にメッキをアクセントで入れているのも、クラシカルな商品性を高めている。こうして3代目FFフィアット500は、再び市民権を得ることができた。それはレトロルックではあったが、フィアット哲学をじっくりと熟成したモデルでもあった。
そして2020年に登場する新型500は、どうか。とりあえずは実車を見ることができないので、写真からわかることをじっくりと考えていきたい。
まず、現行の3代目500の考え方が市場で大いに受け入れられたことが、デザイナーにとっても大きな自信につながっていることは間違いない。しかし、大きな挑戦となるのは、10年先を見据えたデザインとして本質の良さで直球勝負をしてきた点だ。単なる継承で造りあげてしまっては、あまりにもクラシカルすぎるということだっただろう。
テーマやフォルムを継承しながらも、すべての要素や造形はここから世界をリードする、最新で奇抜で、フィアットならではのものに仕立てなければならない。
しかし、この“ダサカッコよさ”にも、大きなメッセージが感じられるような気がする。フィアット500はFF化した3代目の復活によって、Aセグメントの中でもスペシャルティ、あるいはプレミアムの存在となった。新型ではEVとなることでさらなるハイスペックを手に入れる。
その中にあって、どうイタリア的表現をすればいいのかわからないのだが、日本的なたとえをあえていうなら“2度づけ禁止”の大阪の串揚げの味という感じか。串揚げの世界には東京なら1万円も出すコースという全く違う姿もあるのだが、あえての庶民の味というべきか。
そんなものを意識的に織り込んでいるのでは? と感じる。ここは最終的なフィニッシュであり、全体の造形とは違い変更はそれほどは難しくない。それほど「フィアットらしさ」を真正面に考え抜いた形が、ここにあるさらなるエッセンスだ。
こうしたベタな要素を、いかにフィアットらしくエレガントに見せるか、ここにイタリアを代表する最先端デザインとしての主張があるように思う。
では、新型500はどんなデザインなのか。
2004年に発表されたトレピウーノは、“できるだけ小さくても快適なフィアット500のスピリッツ”を現代に表明しただけではない。問題は前述もしたが、長いフロントオーバーハングをいかに感じさせないかをはじめとした、全体のプロポーションの解決も含まれたはず。
その結果、フロントピラーを前進させ、フードを小さく見せた。オーバーハングは、前述の通りヘッドライト等をサイドに周り込んだ造形とすることで、短く見せた。
ここでは、RRからFFにするという大作業でも、フィアット500らしく見えるための要素の洗い出しが行なわれた。そしてプロポーションだけでなく、必要最小限のフィアット500らしさの要素が検討されたようだ。だからこそ、その後登場する3代目で多用されるメッキパーツが、ここでは極めて少ない。装飾のない最小限の構成要素で、フィアット500だと理解してもらえるかどうかのリサーチでもあったと見ることができる。ここで、フィアット500らしさの洗い出しは完了しているのだ。
それをベースに3代目が生まれ、4代目となる新型に至っては、3代目の現行モデルのリサーチも済んでいる。
その中で最大の課題は、どう見せるか。フルEV化するに当たって、次世代のデザインや新しさの表現に傾注したのだろうか。
と思いきや、ボディを見る限り、それ以上に感じたのは車としての本質の形を真正面から捉えたようだ。
また、アイコニックな要素をそのまま流用することが、はばかられたように見える。
例えばヘッドライト。大きな丸いヘッドライトは、フィアット500らしく見せるための大切な要素。しかし現状は小さなLEDユニットがあれば、ヘッドライトの役は十分に果たしてしまう。かなり以前から光源を拡散させるリフレクターなどは必要ないものだったが、大きなヘッドライトを表現するためにリフレクターのような飾りの造形がつけられているのが多くの車の姿だ。
そんな中、大きな丸をLEDのデイライトとしてイメージさせたのが面白い。できるだけ機能で構成し必要のないものは削ぎ落す考え方だ。また、新型でも狙われている“carefree”、日本語で言う「のんき」さの表現にもうってつけだ。
またフロントフードで前後に伸びるプレスラインも、これまでは細くクラシカルなものだった。仕様によっては、ここにメッキのモールディングを施し、さらにクラシカルな表現としていた。しかし新型では、そうした表現とは決別しより幅広なプレスラインに。むしろプレーンで柔らかなフードにシャープなインパクトを加えている。
イタリア的価値観として、美しさを探求するときに原点となるのはビーナス像だという話を聞いたことがある。日本人が昔の建築物や日本の自然などのインスパイアされるように、イタリア人もそうしたルーツを持っている。ビーナス像に表現された髪の毛の繊細さ、体の豊かな美しさ、羽衣の柔らかな表現など、情感的に訴求されるものや、その技法、表現方法の原点がそこにあるのだという。
この表現の豊かさが、高い質感となる。そんな視点で、2代目の500や600を見て欲しい。剛性や製造のしやすさに配慮してプレスされたボディ面は、確かに潔く軽快ではあるがチープさも感じてしまうはずだ。
他方で、例えばコーヒーカップやグラスはどのように選んでいるだろうか。手が熱くならないことや、飲みやすいことはもちろんかもしれないが、そこから先はどうか。単純にかっこいいや、綺麗。インテリアに合いそう。食事をリッチに演出してくれそう。
これらはすべて、色合い、素材、面構成などデザインからのメッセージだ。コーヒーカップの抑揚や素材感、色合い。私たちはそれらを吟味して、どう使いたいかでコーヒーカップやグラスを選んでいる。
こんな視点で新型フィアット500を見ると、もはや使い倒す実用車ではないことがデザインからも理解できるはず。それは、現行型と比べても格の差を見せつけるほどだ。価格帯的にもかなり高価になることもあるが、コンパクトなプレミアムモデルとして、実に魅惑的な存在となっている。