「課長に呼ばれて『マニュアルトランスミッションの担当なんだからなんとかしろ』と言われるわけです。当時は構造解析がようやく始まった時期でして、それを利用して強度を計算するのですが、まだ精度に乏しく大きなものも作れない。仕方なく、壊れたところの周辺にパッチを充てて修正、すると当然別のところにしわ寄せがくる。だからまた修正――5回くらいは直したでしょうか」
どうにかアクチュエーターはケースに搭載できた。結果、7kgもの重量になったという。ところが今度は試運転の段になってギヤ鳴りが生じてしまう。自動変速の動作をひとつひとつ確認していく作業が始まり、どうやらクラッチミートが若干早いということを突き止める。
「シンクロは済んでいるんです。だけど、スリーブの爪がギヤに噛み終わる前にクラッチをつないでしまっていた。シフトが完了したという信号を送るためのディテントスイッチがあるんですが、それの位置がおかしかったんです。じゃあスイッチを動かせばいいとなるんですが、ご存じスリーブの移動量なんてわずか。どのくらいのストロークでスイッチをONとするかとなっても、ちょっとしかストローク量がないわけです。結局、ヂーゼル機器に選別で仕立ててもらいました」
寒いとギヤが入らないというのも悩みのひとつだった。EDSは低温時にもアクチュエーターをきちんと動かせるように、通常の自動車用ギヤオイルよりも柔らかい航空機作動油を用いた。-30°Cで200cSt、40°Cで14.0cSt、100°Cでは5.14cStという粘度で、たとえば75W-90の某ギヤオイルでは40°Cで102cSt、100°Cで15.1cStという粘度だから、非常に柔らかいことがわかる。
「にもかかわらず、極低温下ではオイル抵抗でギヤが入らないケースがありました。そこで油温スイッチを急きょ取り付け、低温になると停止時以外はローギヤに入れない制御を盛り込んだんです」
業務後、午後8時くらいになるとEDSの会議が始まり、侃々諤々の議論が交わされる。午後10時を過ぎてようやく散会すると、ソフト屋はそこから仕事を始める。朝までにできあがっている制御をその日にまた試し、会議に諮り......という繰り返し。登場までの期限を切られたEDSの開発は、目の回るような急ピッチで不眠不休のなか進められたという。
「ところで」と古賀氏が言う。EDS=NAVi5はスロットル・バイ・ワイヤー(TBW)だった。考えてみれば当然のことで、仮にケーブル接続だったら変速時にクラッチを自動でシステムに切り離された場合、ドライバーはアクセルペダルを踏み続けている状態なのでエンジンが吹け上がってしまう。TBWは必須だったのである。しかし当時のガソリンエンジンの燃料噴射はキャブレター。インジェクターのように「燃料を噴く量」ではなく、「空気が通る通路の大きさ」を操作して、そこを通る空気の流速によって吸い上げられる燃料が混合気化して筒内に吸入されるという構造であり、フィードバック制御はするものの、現代の観点からも困難さが想像できる。しかも、制御のためのコンピューターは速度/容量ともに乏しかった。
TBWの機械的システムとしては、スロットルにセンサーを備え、8ビットのマイコンでストロークを256等分に演算し、その信号を受けたキャブレターのバタフライバルブに備わるステップモーターが、やはり256段階で動かしていた。低速で走っていると、このステップモーターのコツコツという動作がわかったという。フェイルセーフについては二重系統を敷いておらず、ダウンしたら止めるという制御だった。
ユニークだったのは、ペダルの操作感にこだわったことである。
「アクセルペダルは、当初センサーを備えるだけの構造だったのですが、フリクションがないとフィーリングが悪いとなりました。そこで、ダミーのケーブルをつけたんです。アクセルペダルの先から、グルッと回してループさせる構造で、わざと曲率を強くしてフリクションを設けました」
世界でも類を見なかった最速のタイミングのTBWは、さまざまな工夫とともにどうにか実現を見たのである。