よく耳にする言葉ではあるが、アウディほど、それを実践しているメーカーはないだろう。アウディのモータースポーツ活動の総指揮を執るディーター・ガスに、同社のフィロソフィーを聞く。
TEXT◉大谷達也 (Otani Tatsuya)
PHOTO◉Audi Sport GmbH
我々にとってなじみ深いアウディスポーツのロゴが初めて世界で広く知られるようになったのは、1981年世界ラリー選手権(WRC)にアウディ・クワトロがデビューしたときのこと。それまで誰も思いつかなかった「4WDをオンロードでの高速走行に役立てる」というコンセプトを具現化したクワトロの認知度を高めるため、舗装路、ダート、雪道などの一般道で競技が繰り広げられるWRCに挑戦。初年度に3勝を挙げると翌年にはメーカータイトルを獲得し、それまで前輪駆動もしくは後輪駆動の競技車だけで争われていたWRCの世界を一変させたのである。
実は、アウディスポーツという名の部門はこれに先立つ1978年に創設され、ドイツ国内のラリー選手権に参戦していた。3年後のWRC戦を控えて、密かにその準備が始まっていたといえるだろう。
アウディスポーツを語るうえでもうひとつ忘れることができないのがクワトロGmbHである。1983年にクワトロ(quattro)の商標を管理するために設立されたアウディの子会社は、やがてRSのモデル名を冠したハイパフォーマンスモデルの企画や開発に着手。さらに顧客からのオーダーにきめ細かく応えるパーソナライゼーションプログラムのアウディ・エクスクルーシブ、アウディのブランドを掲げた様々なアイテムを取り扱うアウディ・コレクションなどが誕生する。
さらに2006年にはアウディ初のスーパースポーツモデルであるR8がデビュー。これをベースにしたGT3レーサーのR8 LMSが完成すると、世界中のプライベートチームに販売され、ニュルブルクリンク24時間を始めとする各国のレースへの参戦を開始する。ワークスチームではなくプライベートチームが主体となるカスタマーレーシングの始まりである。クワトロGmbHはこうした活動のすべてを取り扱ってきたが、アウディスポーツがサブブランド化されることに伴い、16年にはアウディスポーツGmbHと社名を改めている。
これで本稿の主要な登場人物は出揃った。つまり、アウディ・モータースポーツのワークスチームとアウディスポーツGmbHの二者が、我々の知るアウディスポーツの活動を担っていたのである。
ここではアウディ・モータースポーツのワークス活動を指揮するディーター・ガスへのインタビューを通じ、アウディとモータースポーツの結びつきについて解き明かすことにしよう。
まず、アウディはなぜモータースポーツに挑戦し続けるのかについて、ガスに語ってもらった。
「アウディは主にふたつの理由からモータースポーツ活動に取り組んでいます。ひとつは、自分たちの技術的な競争力を発揮して競合他社に対するアドバンテージを証明すること。もうひとつはモータースポーツで成功を収めてブランドイメージを高めることです。これらを通じてアウディ全体の成功に貢献することがモータースポーツに参戦する理由です」
アウディと聞くと「誕生して間もないプレミアムブランド」という漠然としたイメージを抱くファンも少なくないようだが、アウディの創設者であるアウグスト・ホルヒは、自分の名を冠した自動車メーカー“ホルヒ”を設立して7年後の1906年にはヘルコマーラリーに自ら参戦して栄冠を勝ち取るなど、自動車メーカーとしてもモータースポーツ活動としても長い歴史を有している。さらに30年代には現代のF1に相当するグランプリレースに参戦して度重なる優勝を記録。アウディのモータースポーツにおける成功は、こうして時を超えて受け継がれていった。81年に始まったクワトロによるWRC参戦も、そうした一連の流れのひとつとして捉えると、また見え方が変わってくるはずだ。
一方、アウディのモータースポーツ活動で特徴的なのは、量産車に用いられる技術をモータースポーツにも投入して成功を収め、その有用性を証明する点にある。クワトロによるWRC参戦はその象徴といえるし、その後もアウディはクワトロを搭載したマシンで各国のツーリングカーレースを席巻。最終的には、これに対抗する技術を持ち得なかったライバルメーカーによってツーリングカーレースでの4WDが禁止されるほど、クワトロは圧倒的な速さを誇った。続いてアウディはル・マン24時間に活動の場を移す。F1やツーリングカーレースと異なり、ル・マンが様々な新技術に門戸を開いていたことが、その最大の理由だった。
99年のル・マン24時間にテスト参戦して3位と4位に入ったアウディは、翌2000年に早くも初優勝を達成。01年には2連覇を成し遂げるが、これはモータースポーツ史に残る歴史的な勝利だった。というのも、レース後にアウディは優勝したR8(ル・マン24時間を戦うために開発されたレーシングカーで、後に登場するロードカーのR8とは別物)にガソリン直噴エンジンを搭載していたと発表。世界中に大きな反響を巻き起こしたからだ。アウディが先鞭をつけたガソリン直噴エンジンのFSI、もしくはそのターボ版であるTFSIがその後、ヨーロッパを中心とする自動車産業界を席巻し、いまやなくてはならない存在となっていることはご存知の通り。
しかし、ガソリン直噴エンジン搭載のレーシングカーで世界的に有名なレースを制したのは、モータースポーツの長い歴史のなかでもアウディR8が初めてだったのである。その後もアウディはディーゼル直噴ターボ・エンジンのTDI、クワトロ、電動化技術のe-tron、レーザーを光源とするヘッドライトのレーザーハイビームといった量産車向け技術を次々とル・マンに投入。ここで栄冠を勝ち取ることで、その優位性を証明してみせたのである。
そこでガスに「アウディのモータースポーツ活動は量産車の技術と密接な関係があるところに特徴があるのではないか?」と問いかけてみると、こんな答えが返ってきた。
「そうですね、そうした一面は確かにあります。量産車に近い技術で作られたレーシングカーが活躍すると、ブランドイメージを高めるのに大きな貢献を果たします」
さらに彼は言葉をつないだ。
「思い起こしていただきたいのは、私たちのルーツがどこにあるか、という点にあります。アウディスポーツはもともとクワトロでモータースポーツに参画し、そこで大変大きな成果を得ました。こうした考えを受け継いで、ル・マンでは直噴エンジン、ハイブリッドなどの技術を培ってきたのです」
日本に暮らす我々にはあまり知られていないが、ドイツメーカーのなかでもどちらかといえば平凡な存在だったアウディがスポーティで先進的な技術を積極的に採り入れるプレミアムブランドとして認知されるようになるうえで、クワトロは重大かつ決定的な役割を果たしたという。その歴史を、彼らはいまも大切にしながらモータースポーツ活動に取り組んでいるのである。
では、量産車開発とモータースポーツ活動はどの程度、密接な関係にあるのか? ガスに質問してみた。
「アウディでは、量産車の研究開発部門とモータースポーツ部門が一般的な自動車メーカー以上に深く連携しています。そもそもアウディのワークス活動を担うモータースポーツ部門はアウディ本社内の研究開発部門に属しています。また、研究開発部門の幹部が出席するミーティングにはモータースポーツの担当者が定期的に参加しているほか、そのほかの作業レベルなどでも極めて緊密に協力しています」
そうした活動から生まれた技術の具体例をガスに挙げてもらった。
「最も代表的なのはやはりクワトロですが、最近の例としてはレーザーハイビームが挙げられます。これはモータースポーツの世界でも量産車の世界でも大きな成果を挙げました。もともと量産車用に開発が進められてきたレーザーハイビームですが、ル・マン24時間を戦うワークスチームがその存在を知り、ル・マンでも役立つと判断してレーシングカーに採用しました。ロードカーのR8に搭載して市販したのは、ル・マンで技術的な熟成を図った後のことです。これほど量産車とモータースポーツ活動の両方に大きく貢献した技術は近年ではほかに例がありません」
続いてアウディのワークスチームが現在取り組んでいるカテゴリーについてガスに説明してもらった。
「まずはDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)が挙げられます。これは内燃機関のエンジンを搭載した量産車ベースのレーシングカーで競われるカテゴリーで、日本のスーパーGTのGT500マシンと近い成り立ちにあります。DTMとGT500は車両規則の多くの部分がすでに共通化されており、同じDTMを戦うマシンにも同じように多くの共通部品が用いられています。このため車両の性能差を生み出すことが難しく、緊迫したレースが毎戦繰り広げられるのがDTMの特徴で、ブランドイメージを高めるうえでも非常に効果が大きいといえます」
「もうひとつ重要なのがフォーミュラEです。こちらはEモビリティ、いわゆる電動化自動車のマーケティングの一環として取り組んでいます。さらに技術面ではレース参戦を通じて電気自動車の効率を高める技術開発も行っています。これは今後の電気自動車開発で最も大切な技術と目されているものです。今シーズン、私たちはフォーミュラEでチャンピオンになりましたが、これは素晴らしい成果であると自負しています」「3つめはワールドラリークロス。これは完全なワークス活動ではありませんが、参戦するチームをアウディがサポートする形を採っています。ワールドラリークロスには量産車ベースの車両で参戦しているほか、クワトロも搭載されています。その点では自分たちのルーツに立ち返る活動といえるかもしれません」
タイトルを獲得したフォーミュラEでは、今季、それまでのセミワークスから純ワークスに参戦体制を強化。マシンを大幅に進化させたことが好成績に結び付いたとされる。その象徴といえるのがギヤボックスを1段にしたこと。ギヤボックスを簡略すれば歯車による伝達効率が改善され、同じバッテリーでもより強力なパワーを長く発揮できる。ただし、幅広い回転数で十分なトルクを発揮できるモーターがなければ、ギヤボックスを1段にしてもマシンのトータルパフォーマンスは改善されない。つまり、ギヤボックスだけでなくパワートレイン全体が進化したおかげでマシンの戦闘力が向上し、これがタイトル獲得に結び付いたのである。
「14年にフォーミュラEが始まった当時は、どのチームも旧来の考え方に捕らわれていて、ギヤの段数はいくつもあったほうがいいと考えていたのです」とガス。「しかし、電気モーターの特性はエンジンと異なっているため、ギヤボックスの必要性は高くないことが明らかになります。それどころかギヤチェンジするたびにタイムをロスしていたのです。そこで私たちはギヤボックスを最終的に1段にして効率を高めることができました。ご指摘の通り、これがタイトル獲得に大きく役立ったことは間違いありません」
16年にル・マン24時間の参戦終了を発表した際、今後はフォーミュラEにワークス活動の主力を置くとの説明があった。その方針にいまも変わりはないのだろうか?
「これは個人的な意見ですが、私は二重路線が好ましいと考えています。今後のことを考えればフォーミュラE参戦は確かに重要な活動です。ただし、現時点では通常の内燃機関を用いたレースも同じくらい重要といえます。したがって今後はフォーミュラEとDTMを同じ比重で取り組んでいくつもりです」
ガスの方針は、旧来からモータースポーツを愛するファンとってまたとない福音といえそうだ。
最後に、アウディに対する個人的な思いをガスに語ってもらおう。
「まだ子供だった頃、私の父がポルシェでラリーに参戦していて、そのメンテナンスを受け持っていたのが近所のフォルクスワーゲン・ディーラーでした。そんな関係もあって、このディーラーには毎日のように出入りしていました。いまにして思えば、子供の頃からフォルクスワーゲン・グループとの結びつきが強かったのですね。また、こんなこともありました。私の住んでいた家は丘の上に建っていたのですが、冬になって道が凍ると後輪駆動のクルマでは坂を登れなくなってしまいました。それで我が家もクワトロに乗り換えることにしたのです」
「アウディはいま、素晴らしい製品を作っていると思います。このアウディで大好きなモータースポーツに取り組んでいられることに、私は深い喜びを感じています」
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